聖書 — 口語訳 (1955)

ヨハネによる福音書 1

概要

ヨハネの福音書1章は、天地創造より前から始まります。神であるみことばは神とともにおられ、やがて肉となって私たちの間に住まわれました。この序文は、イエスをこの世のいのちであり光であると示します。続いて、イエスを神の小羊と指し示すバプテスマのヨハネの証しがあり、最初の弟子たちが来て見るよう招かれます。ヨハネは数行のうちに、福音書全体を貫く問いを置きます。イエスとはだれなのか、という問いです。

この章の5つの区分

  1. 1-5節初めに、ことばがあった
  2. 6-13節まことの光と、それを受け入れる人々
  3. 14-18節ことばは肉となり、恵みとまことに満ちていた
  4. 19-34節バプテスマのヨハネと、神の小羊
  5. 35-51節最初の弟子たち:来て、見なさい

1初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

2この言は初めに神と共にあった。

3すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。

4この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。

5光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。

6ここにひとりの人があって、神からつかわされていた。その名をヨハネと言った。

7この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。

8彼は光ではなく、ただ、光についてあかしをするためにきたのである。

9すべての人を照すまことの光があって、世にきた。

10彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。

11彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。

12しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。

13それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。

14そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。

15ヨハネは彼についてあかしをし、叫んで言った、「『わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この人のことである」。

16わたしたちすべての者は、その満ち満ちているものの中から受けて、めぐみにめぐみを加えられた。

17律法はモーセをとおして与えられ、めぐみとまこととは、イエス・キリストをとおしてきたのである。

18神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。

19さて、ユダヤ人たちが、エルサレムから祭司たちやレビ人たちをヨハネのもとにつかわして、「あなたはどなたですか」と問わせたが、その時ヨハネが立てたあかしは、こうであった。

20すなわち、彼は告白して否まず、「わたしはキリストではない」と告白した。

21そこで、彼らは問うた、「それでは、どなたなのですか、あなたはエリヤですか」。彼は「いや、そうではない」と言った。「では、あの預言者ですか」。彼は「いいえ」と答えた。

22そこで、彼らは言った、「あなたはどなたですか。わたしたちをつかわした人々に、答えを持って行けるようにしていただきたい。あなた自身をだれだと考えるのですか」。

23彼は言った、「わたしは、預言者イザヤが言ったように、『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声』である」。

24つかわされた人たちは、パリサイ人であった。

25彼らはヨハネに問うて言った、「では、あなたがキリストでもエリヤでもまたあの預言者でもないのなら、なぜバプテスマを授けるのですか」。

26ヨハネは彼らに答えて言った、「わたしは水でバプテスマを授けるが、あなたがたの知らないかたが、あなたがたの中に立っておられる。

27それがわたしのあとにおいでになる方であって、わたしはその人のくつのひもを解く値うちもない」。

28これらのことは、ヨハネがバプテスマを授けていたヨルダンの向こうのベタニヤであったのである。

29その翌日、ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。

30『わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この人のことである。

31わたしはこのかたを知らなかった。しかし、このかたがイスラエルに現れてくださるそのことのために、わたしはきて、水でバプテスマを授けているのである」。

32ヨハネはまたあかしをして言った、「わたしは、御霊がはとのように天から下って、彼の上にとどまるのを見た。

33わたしはこの人を知らなかった。しかし、水でバプテスマを授けるようにと、わたしをおつかわしになったそのかたが、わたしに言われた、『ある人の上に、御霊が下ってとどまるのを見たら、その人こそは、御霊によってバプテスマを授けるかたである』。

34わたしはそれを見たので、このかたこそ神の子であると、あかしをしたのである」。

35その翌日、ヨハネはまたふたりの弟子たちと一緒に立っていたが、

36イエスが歩いておられるのに目をとめて言った、「見よ、神の小羊」。

37そのふたりの弟子は、ヨハネがそう言うのを聞いて、イエスについて行った。

38イエスはふり向き、彼らがついてくるのを見て言われた、「何か願いがあるのか」。彼らは言った、「ラビ(訳して言えば、先生)どこにおとまりなのですか」。

39イエスは彼らに言われた、「きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう」。そこで彼らはついて行って、イエスの泊まっておられる所を見た。そして、その日はイエスのところに泊まった。時は午後四時ごろであった。

40ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのうちのひとりは、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。

41彼はまず自分の兄弟シモンに出会って言った、「わたしたちはメシヤ(訳せば、キリスト)にいま出会った」。

42そしてシモンをイエスのもとにつれてきた。イエスは彼に目をとめて言われた、「あなたはヨハネの子シモンである。あなたをケパ(訳せば、ペテロ)と呼ぶことにする」。

43その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされたが、ピリポに出会って言われた、「わたしに従ってきなさい」。

44ピリポは、アンデレとペテロとの町ベツサイダの人であった。

45このピリポがナタナエルに出会って言った、「わたしたちは、モーセが律法の中にしるしており、預言者たちがしるしていた人、ヨセフの子、ナザレのイエスにいま出会った」。

46ナタナエルは彼に言った、「ナザレから、なんのよいものが出ようか」。ピリポは彼に言った、「きて見なさい」。

47イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼について言われた、「見よ、あの人こそ、ほんとうのイスラエル人である。その心には偽りがない」。

48ナタナエルは言った、「どうしてわたしをご存じなのですか」。イエスは答えて言われた、「ピリポがあなたを呼ぶ前に、わたしはあなたが、いちじくの木の下にいるのを見た」。

49ナタナエルは答えた、「先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」。

50イエスは答えて言われた、「あなたが、いちじくの木の下にいるのを見たと、わたしが言ったので信じるのか。これよりも、もっと大きなことを、あなたは見るであろう」。

51また言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。天が開けて、神の御使たちが人の子の上に上り下りするのを、あなたがたは見るであろう」。

鍵となる聖句

1節
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

ヨハネは、みことばの永遠性から福音書を始めます。みことばは神とともにおられ、神であられました。最初の一行から、イエスが神であることが宣言されています。

5節
光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。

光はやみの中に輝き、やみはこれに打ち勝たなかったと語られます。この節は世のやみを否定せず、やみが光を消すことはできないと告げています。

12節
しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。

イエスを受け入れ、その名を信じる人々に、神は神の子どもとなる権利を与えます。この身分は、得るべき称号ではなく、受け取る賜物です。

14節
そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。

みことばは肉となりました。神はイエスという人物の中に近づいてこられたのです。これは受肉についてのキリスト教信仰の中心であり、クリスマスに祝われます。

29節
その翌日、ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。

バプテスマのヨハネは、イエスを世の罪を取り除く神の小羊と指し示します。この比喩は旧約の犠牲を思い起こさせ、十字架を予告しています。

この章に登場する人物

説教が語っていること

ヨハネによる福音書1章についてよくある質問

ヨハネ1:14のことばは肉となったとは、どういう意味ですか

みことばとはイエスのことで、永遠で神であり、初めから神とともにおられました。肉となったとは、人となって私たちの間に住まわれ、恵みとまことに満ちておられたという意味です。これをキリスト者は受肉と呼び、クリスマスの深い意味と考えています。

なぜヨハネ1章はイエスをみことばと呼ぶのですか

ギリシア語のロゴスは、ことばと訳され、創世記における神の創造のことばを思わせ、ギリシア人の読者には世界を成り立たせる理性をも思わせます。これをイエスに当てはめることで、ヨハネは、神がこの方の内に御自身を現されたと語っています。イエスを見る者は、神がどのように語り、行動されるかを見るのです。

ヨハネ1:29の神の小羊とは何ですか

バプテスマのヨハネは、近づいてくるイエスを見て、世の罪を取り除く神の小羊と呼びました。この比喩は、旧約で犠牲にされた小羊、とくに過越の小羊や、罪ある者の咎を負う罪のない者を指します。キリスト者は、そこにイエスの十字架の死の予告を見ています。

ヨハネ1:12によると、どうすれば神の子どもになれますか

この節は、イエスを受け入れる人、つまりその名を信じる人が、神の子どもとなる権利を受けると答えています。それは、信頼をもってイエスを迎え入れることです。13節は、この誕生が血筋でも人の意志でもなく、神によるものだと明らかにします。

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