聖書 — 口語訳 (1955)

ヨハネによる福音書 4

概要

ヨハネによる福音書4章は、壁を打ち破る二つの出会いを語ります。ヤコブの井戸で、イエスはユダヤ人から軽んじられていたサマリヤ人の、しかも世間から白い目で見られていた女性に語りかけ、本当に渇きをいやす生ける水を差し出されます。また、礼拝はもはや場所によらないことも教えられます。村の人々は信じ、イエスは刈り入れについて語られます。章の終わりはカナです。ひとりの役人がイエスのことばだけを信じ、その息子はいやされます。

この章の4つの区分

  1. 1-15節ヤコブの井戸で:イエスが生ける水を与える
  2. 16-26節あらわにされた人生と、まことの礼拝
  3. 27-42節女性の証しと、サマリヤでの刈り入れ
  4. 43-54節カナで:イエスのことばが役人の息子をいやす

1イエスが、ヨハネよりも多く弟子をつくり、またバプテスマを授けておられるということを、パリサイ人たちが聞き、それを主が知られたとき、

2(しかし、イエスみずからが、バプテスマをお授けになったのではなく、その弟子たちであった)

3ユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。

4しかし、イエスはサマリヤを通過しなければならなかった。

5そこで、イエスはサマリヤのスカルという町においでになった。この町は、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにあったが、

6そこにヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れを覚えて、そのまま、この井戸のそばにすわっておられた。時は昼の十二時ごろであった。

7ひとりのサマリヤの女が水をくみにきたので、イエスはこの女に、「水を飲ませて下さい」と言われた。

8弟子たちは食物を買いに町に行っていたのである。

9すると、サマリヤの女はイエスに言った、「あなたはユダヤ人でありながら、どうしてサマリヤの女のわたしに、飲ませてくれとおっしゃるのですか」。これは、ユダヤ人はサマリヤ人と交際していなかったからである。

10イエスは答えて言われた、「もしあなたが神の賜物のことを知り、また、『水を飲ませてくれ』と言った者が、だれであるか知っていたならば、あなたの方から願い出て、その人から生ける水をもらったことであろう」。

11女はイエスに言った、「主よ、あなたは、くむ物をお持ちにならず、その上、井戸は深いのです。その生ける水を、どこから手に入れるのですか。

12あなたは、この井戸を下さったわたしたちの父ヤコブよりも、偉いかたなのですか。ヤコブ自身も飲み、その子らも、その家畜も、この井戸から飲んだのですが」。

13イエスは女に答えて言われた、「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。

14しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。

15女はイエスに言った、「主よ、わたしがかわくことがなく、また、ここにくみにこなくてもよいように、その水をわたしに下さい」。

16イエスは女に言われた、「あなたの夫を呼びに行って、ここに連れてきなさい」。

17女は答えて言った、「わたしには夫はありません」。イエスは女に言われた、「夫がないと言ったのは、もっともだ。

18あなたには五人の夫があったが、今のはあなたの夫ではない。あなたの言葉のとおりである」。

19女はイエスに言った、「主よ、わたしはあなたを預言者と見ます。

20わたしたちの先祖は、この山で礼拝をしたのですが、あなたがたは礼拝すべき場所は、エルサレムにあると言っています」。

21イエスは女に言われた、「女よ、わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。

22あなたがたは自分の知らないものを拝んでいるが、わたしたちは知っているかたを礼拝している。救はユダヤ人から来るからである。

23しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。

24神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」。

25女はイエスに言った、「わたしは、キリストと呼ばれるメシヤがこられることを知っています。そのかたがこられたならば、わたしたちに、いっさいのことを知らせて下さるでしょう」。

26イエスは女に言われた、「あなたと話をしているこのわたしが、それである」。

27そのとき、弟子たちが帰って来て、イエスがひとりの女と話しておられるのを見て不思議に思ったが、しかし、「何を求めておられますか」とも、「何を彼女と話しておられるのですか」とも、尋ねる者はひとりもなかった。

28この女は水がめをそのままそこに置いて町に行き、人々に言った、

29「わたしのしたことを何もかも、言いあてた人がいます。さあ、見にきてごらんなさい。もしかしたら、この人がキリストかも知れません」。

30人々は町を出て、ぞくぞくとイエスのところへ行った。

31その間に弟子たちはイエスに、「先生、召しあがってください」とすすめた。

32ところが、イエスは言われた、「わたしには、あなたがたの知らない食物がある」。

33そこで、弟子たちが互に言った、「だれかが、何か食べるものを持ってきてさしあげたのであろうか」。

34イエスは彼らに言われた、「わたしの食物というのは、わたしをつかわされたかたのみこころを行い、そのみわざをなし遂げることである。

35あなたがたは、刈入れ時が来るまでには、まだ四か月あると、言っているではないか。しかし、わたしはあなたがたに言う。目をあげて畑を見なさい。はや色づいて刈入れを待っている。

36刈る者は報酬を受けて、永遠の命に至る実を集めている。まく者も刈る者も、共々に喜ぶためである。

37そこで、『ひとりがまき、ひとりが刈る』ということわざが、ほんとうのこととなる。

38わたしは、あなたがたをつかわして、あなたがたがそのために労苦しなかったものを刈りとらせた。ほかの人々が労苦し、あなたがたは、彼らの労苦の実にあずかっているのである」。

39さて、この町からきた多くのサマリヤ人は、「この人は、わたしのしたことを何もかも言いあてた」とあかしした女の言葉によって、イエスを信じた。

40そこで、サマリヤ人たちはイエスのもとにきて、自分たちのところに滞在していただきたいと願ったので、イエスはそこにふつか滞在された。

41そしてなお多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた。

42彼らは女に言った、「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。自分自身で親しく聞いて、この人こそまことに世の救主であることが、わかったからである」。

43ふつかの後に、イエスはここを去ってガリラヤへ行かれた。

44イエスはみずからはっきり、「預言者は自分の故郷では敬われないものだ」と言われたのである。

45ガリラヤに着かれると、ガリラヤの人たちはイエスを歓迎した。それは、彼らも祭に行っていたので、その祭の時、イエスがエルサレムでなされたことをことごとく見ていたからである。

46イエスは、またガリラヤのカナに行かれた。そこは、かつて水をぶどう酒にかえられた所である。ところが、病気をしているむすこを持つある役人がカペナウムにいた。

47この人が、ユダヤからガリラヤにイエスのきておられることを聞き、みもとにきて、カペナウムに下って、彼の子をなおしていただきたいと、願った。その子が死にかかっていたからである。

48そこで、イエスは彼に言われた、「あなたがたは、しるしと奇跡とを見ない限り、決して信じないだろう」。

49この役人はイエスに言った、「主よ、どうぞ、子供が死なないうちにきて下さい」。

50イエスは彼に言われた、「お帰りなさい。あなたのむすこは助かるのだ」。彼は自分に言われたイエスの言葉を信じて帰って行った。

51その下って行く途中、僕たちが彼に出会い、その子が助かったことを告げた。

52そこで、彼は僕たちに、そのなおりはじめた時刻を尋ねてみたら、「きのうの午後一時に熱が引きました」と答えた。

53それは、イエスが「あなたのむすこは助かるのだ」と言われたのと同じ時刻であったことを、この父は知って、彼自身もその家族一同も信じた。

54これは、イエスがユダヤからガリラヤにきてなされた第二のしるしである。

鍵となる聖句

14節
しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。

イエスは、一時しか渇きをいやさない井戸の水と、ご自分が与える水とを対比されます。その水は受けた人のうちで、永遠のいのちに至る泉となります。何ものも満たせない、魂の深い渇きのことです。

24節
神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」。

神は霊です。霊とまことによる礼拝は、山や神殿によるのではなく、神の御霊に触れられ、神が示される真理に合わせられた、誠実な心から生まれます。

29節
「わたしのしたことを何もかも、言いあてた人がいます。さあ、見にきてごらんなさい。もしかしたら、この人がキリストかも知れません」。

女性は水がめを置いて、町で最初の証人となります。その証しは簡素です。自分の人生を知りながら受け入れてくださる方を、来て見てください、というものでした。

42節
彼らは女に言った、「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。自分自身で親しく聞いて、この人こそまことに世の救主であることが、わかったからである」。

サマリヤの人々は、女性のことばから、自分自身の信仰へと進みます。自分でイエスの声を聞いたのです。彼らはイエスを、ユダヤ人だけでなく世の救い主と告白します。

50節
イエスは彼に言われた、「お帰りなさい。あなたのむすこは助かるのだ」。彼は自分に言われたイエスの言葉を信じて帰って行った。

イエスは出向かれません。ただおことばだけで十分で、役人はそれを信じて帰ります。結果を見る前に、約束に寄りかかる信仰の姿です。

この章に登場する人物

説教が語っていること

ヤコブの井戸で、イエスがあなたの渇きを取り戻してくださるルナト・ヤオは、井戸での出会いを鏡のように読みます。イエスは一人ひとりのいる場所まで来てくださり、宗教から抜け出して、本当に神を知るよう招いておられると語ります。要約を読む →井戸辺のイエス:あなたの渇きが生ける水と出会うときこのメッセージは、イエスが越えられた壁と、その導き方に目を向けます。イエスは日常の渇きから魂の渇きへと話を進め、女性を責めることはありませんでした。要約を読む →弟子は御父の御心を行う食べ物についてのイエスのことばから、このメッセージは弟子たちに、父のみこころを行うことを最優先にし、実を結ぶよう招きます。要約を読む →見ないで信じる:トマスとカペナウムの役人ジェームス・ユティネは、エルサレム、ガリラヤ、サマリヤの三つの地方を比べます。サマリヤの人々は奇跡なしに信じ、役人はイエスのことばだけを信じました。要約を読む →「行きなさい、あなたの息子は生きている」:言葉だけで十分なときベンは、役人の息子のいやしから三つのことを引き出します。イエスは恵みによって働かれ、信仰を育てるために試み、生きた信仰は家全体にまで及びうるということです。要約を読む →

ヨハネによる福音書4章についてよくある質問

ヨハネによる福音書4章の生ける水とは何ですか

イエスは、魂の深い渇きを満たす神の賜物を生ける水と呼ばれます。14節では、それを一時しか渇きをいやさない井戸の水と対比されます。多くの人は、ヨハネがのちに福音書の中で述べる、御霊による新しいいのちのことだと理解しています。

なぜイエスはサマリヤの女に話しかけたのですか

ユダヤ人とサマリヤ人は交わりを持たず、ラビが女性と二人きりで話すこともありませんでした。井戸のそばで足を止められたイエスは、ご自分の救いが民族や過去や評判の区別なく、すべての人に差し出されていることを示されました。

霊とまことをもって礼拝するとはどういう意味ですか

24節でイエスは、神は霊であり、礼拝はもはやサマリヤ人の山やエルサレムの神殿といった特定の場所によらないと説明されます。それは誠実で、神の御霊に導かれ、イエスにおいて示された真理に忠実な礼拝です。

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