聖書 — 口語訳 (1955)

ルカによる福音書 13

概要

ルカ福音書13章は、エルサレムへ向かうイエスの旅路を追います。イエスは、当時の二つの惨事に答えて、すべての人に悔い改めを呼びかけ、次に実のならないいちじくの木の譬を語られます。園丁は、もう一年だけ世話をさせてほしいと願い出ます。安息日には、十八年間腰の曲がっていた女をまっすぐにされます。神の国をからし種とパン種にたとえ、救われる人の数についての問いには、狭い戸口の譬で答えられます。最後に、エルサレムへの嘆きで章を閉じます。

この章の6つの区分

  1. 1-5節二つの惨事、一つの呼びかけ:「あなたがたも悔い改めなければ」
  2. 6-9節実のならないいちじくの木と園丁の忍耐
  3. 10-17節安息日にまっすぐにされた腰の曲がった女
  4. 18-21節からし種とパン種:小さくても育つ神の国
  5. 22-30節狭い戸口:「はいるように努めなさい」
  6. 31-35節エルサレム、エルサレム:めんどりとひな

1ちょうどその時、ある人々がきて、ピラトがガリラヤ人たちの血を流し、それを彼らの犠牲の血に混ぜたことを、イエスに知らせた。

2そこでイエスは答えて言われた、「それらのガリラヤ人が、そのような災難にあったからといって、他のすべてのガリラヤ人以上に罪が深かったと思うのか。

3あなたがたに言うが、そうではない。あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう。

4また、シロアムの塔が倒れたためにおし殺されたあの十八人は、エルサレムの他の全住民以上に罪の負債があったと思うか。

5あなたがたに言うが、そうではない。あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう」。

6それから、この譬を語られた、「ある人が自分のぶどう園にいちじくの木を植えて置いたので、実を捜しにきたが見つからなかった。

7そこで園丁に言った、『わたしは三年間も実を求めて、このいちじくの木のところにきたのだが、いまだに見あたらない。その木を切り倒してしまえ。なんのために、土地をむだにふさがせて置くのか』。

8すると園丁は答えて言った、『ご主人様、ことしも、そのままにして置いてください。そのまわりを掘って肥料をやって見ますから。

9それで来年実がなりましたら結構です。もしそれでもだめでしたら、切り倒してください』」。

10安息日に、ある会堂で教えておられると、

11そこに十八年間も病気の霊につかれ、かがんだままで、からだを伸ばすことの全くできない女がいた。

12イエスはこの女を見て、呼びよせ、「女よ、あなたの病気はなおった」と言って、

13手をその上に置かれた。すると立ちどころに、そのからだがまっすぐになり、そして神をたたえはじめた。

14ところが会堂司は、イエスが安息日に病気をいやされたことを憤り、群衆にむかって言った、「働くべき日は六日ある。その間に、なおしてもらいにきなさい。安息日にはいけない」。

15主はこれに答えて言われた、「偽善者たちよ、あなたがたはだれでも、安息日であっても、自分の牛やろばを家畜小屋から解いて、水を飲ませに引き出してやるではないか。

16それなら、十八年間もサタンに縛られていた、アブラハムの娘であるこの女を、安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったか」。

17こう言われたので、イエスに反対していた人たちはみな恥じ入った。そして群衆はこぞって、イエスがなされたすべてのすばらしいみわざを見て喜んだ。

18そこで言われた、「神の国は何に似ているか。またそれを何にたとえようか。

19一粒のからし種のようなものである。ある人がそれを取って庭にまくと、育って木となり、空の鳥もその枝に宿るようになる」。

20また言われた、「神の国を何にたとえようか。

21パン種のようなものである。女がそれを取って三斗の粉の中に混ぜると、全体がふくらんでくる」。

22さてイエスは教えながら町々村々を通り過ぎ、エルサレムへと旅を続けられた。

23すると、ある人がイエスに、「主よ、救われる人は少ないのですか」と尋ねた。

24そこでイエスは人々にむかって言われた、「狭い戸口からはいるように努めなさい。事実、はいろうとしても、はいれない人が多いのだから。

25家の主人が立って戸を閉じてしまってから、あなたがたが外に立ち戸をたたき始めて、『ご主人様、どうぞあけてください』と言っても、主人はそれに答えて、『あなたがたがどこからきた人なのか、わたしは知らない』と言うであろう。

26そのとき、『わたしたちはあなたとご一緒に飲み食いしました。また、あなたはわたしたちの大通りで教えてくださいました』と言い出しても、

27彼は、『あなたがたがどこからきた人なのか、わたしは知らない。悪事を働く者どもよ、みんな行ってしまえ』と言うであろう。

28あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが、神の国にはいっているのに、自分たちは外に投げ出されることになれば、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。

29それから人々が、東から西から、また南から北からきて、神の国で宴会の席につくであろう。

30こうしてあとのもので先になるものがあり、また、先のものであとになるものもある」。

31ちょうどその時、あるパリサイ人たちが、イエスに近寄ってきて言った、「ここから出て行きなさい。ヘロデがあなたを殺そうとしています」。

32そこで彼らに言われた、「あのきつねのところへ行ってこう言え、『見よ、わたしはきょうもあすも悪霊を追い出し、また、病気をいやし、そして三日目にわざを終えるであろう。

33しかし、きょうもあすも、またその次の日も、わたしは進んで行かねばならない。預言者がエルサレム以外の地で死ぬことは、あり得ないからである』。

34ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人々を石で打ち殺す者よ。ちょうどめんどりが翼の下にひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。

35見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう。わたしは言って置く、『主の名によってきたるものに、祝福あれ』 とおまえたちが言う時の来るまでは、再びわたしに会うことはないであろう」。

鍵となる聖句

3節
あなたがたに言うが、そうではない。あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう。

ニュースになるような出来事を前にして、イエスは、その人たちがなぜ死んだのかを説明しようとはされません。問いを聞いている人々自身に向け直されます。メッセージは、向きを変えるようにとの呼びかけで、3節と5節でくり返されます。

8-9節
すると園丁は答えて言った、『ご主人様、ことしも、そのままにして置いてください。そのまわりを掘って肥料をやって見ますから。 それで来年実がなりましたら結構です。もしそれでもだめでしたら、切り倒してください』」。

園丁は、いちじくの木のために、行き届いた世話をしながらもう一年と願います。この姿は、神の忍耐が永遠には続かないことと、恵みの時が実を結ぶための場であることを示しています。

16節
それなら、十八年間もサタンに縛られていた、アブラハムの娘であるこの女を、安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったか」。

イエスは腰の曲がった女を「アブラハムの娘」と呼ばれます。安息日に彼女を束縛から解かれたのは、その解放を待たせられなかったからです。安息日は、人の益のために定められています。

24節
そこでイエスは人々にむかって言われた、「狭い戸口からはいるように努めなさい。事実、はいろうとしても、はいれない人が多いのだから。

「努めなさい」という動詞は、競技者の努力を思わせます。救いが獲得されるという意味ではなく、イエスに従うことが、他の方向へ引っぱる世の中で、全存在をかけるものだということです。

34節
ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人々を石で打ち殺す者よ。ちょうどめんどりが翼の下にひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。

めんどりが翼の下にひなを集める姿は、エルサレムに対するイエスの優しさを示しています。続く「それだのに、おまえたちは応じようとしなかった」は、その招きが拒まれうることを思い出させます。

この章に登場する人物

説教が語っていること

実を結ばない無花果の木:悔い改めへの招きこの説教はルカ13章1節から9節から始まります。悲劇を前にして、イエスは一人ひとりを自分自身へと向き直らせます。悔い改めとは方向転換することで、日々生きる動きであり、いちじくの木の譬は、神の忍耐に限りがあることを思い出させます。要約を読む →みんな天国に行ける?ルカ13章の狭い門みんな天国に行くから大丈夫という考えに対して、メッセージはルカ13章22節から35節で答えます。戸口は一つで、狭く、いつか閉じられます。「努めなさい」という動詞は恵みに取って代わるものではなく、全存在をかけるものだと語ります。要約を読む →狭い門と、エルサレムへの叫び:みんな天国に行けるのか説教者は「救われる人は少ないのですか」という問いを、からし種とパン種の光のもとで読みます。神の国は今は小さいが、育ちます。イエスは、問いを一人ひとりの個人的な応答へと向け直されます。要約を読む →今年は恵みの中を歩もう、断罪の中ではなくメッセージはルカ13章1節から5節に触れます。イエスは、亡くなった人々を、その犠牲者たちの罪に直接結びつけることを拒まれますが、揺れ動く世界に向けて、悔い改めへの呼びかけを引き出されます。要約を読む →「主よ、私の信仰を増してください」:神様は今日どのようにいやされるのか説教者は、ルカ13章と倒れた塔にふれ、病気や事故を個人的な呪いに直接結びつけてはならないと語ります。犠牲者の死は、彼らが他の人より悪かったことの証明にはならないのです。要約を読む →

ルカによる福音書13章についてよくある質問

ルカ13章の実のならないいちじくの木の譬はどういう意味ですか

ある人が三年間、いちじくの木に実を探しますが見つかりません。園丁は、木の世話をするためにもう一年を願います。聖書では、いちじくの木はしばしばイスラエルを表し、この譬はすべての人への呼びかけとして読まれます。神の忍耐は確かにありますが、遅れずに実を結ぶよう招いているのです。

イエスの言われた狭い戸口とはどういう意味ですか

「救われる人は少ないのですか」という問いに、イエスは数を答えられません。代わりに、狭い戸口からはいるように努めなさい、という命令で答えられます。問いを一人ひとりに向け直されるのです。あなたはそこに入っていますか、と。本文は、戸が閉じられたあとには入れなくなることも思い出させます。キリスト者は、イエスご自身がその戸口であると見ることが多いのです。

なぜイエスは安息日に腰の曲がった女をいやされたのですか

会館司は、休みの日にいやしをしたことを責めます。イエスは、誰でも安息日に牛やろばを解いて水を飲ませに連れて行くのに、十八年間縛られていたアブラハムの娘が解放されるのは当然ではないか、と答えられます。この行為は、安息日が解放の日であることを示しています。

なぜイエスは、亡くなった人たちが他の人より罪深かったわけではないと言われるのですか

1節から5節で、イエスはピラトに殺されたガリラヤ人と、塔の下敷きになった十八人の死を知らされます。イエスは、これらの犠牲者が他の人より罪深かったという考えを退けられます。そこから、すべての人への悔い改めの呼びかけを引き出されます。本文は、苦しみを個人的な罰として読まないよう促しています。

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