聖書 — 口語訳 (1955)

使徒行伝 7

概要

ステパノは、アブラハムからソロモンまでのイスラエルの歴史をたどり、神がいつも決まった場所の外でご自身を現されたこと、そして民がしばしば神の使者たちに逆らったことを示します。最後に、聞く人々が聖霊に逆らっていると訴えます。そのとき彼は、天が開けて、イエスが神の右に立っておられるのを見ます。群衆は彼に石を投げ、彼は迫害する人々のために祈り、サウロという若者がその場に立ち会っています。

この章の5つの区分

  1. 1-8節アブラハム:神が召し、約束される
  2. 9-16節エジプトのヨセフと、救われたヤコブの家族
  3. 17-43節拒まれた解放者モーセと、民の偶像礼拝
  4. 44-50節幕屋と神殿:神は人の手で造ったものの中にはお住みにならない
  5. 51-60節告発、開かれた天の幻、そしてステパノの死

1大祭司は「そのとおりか」と尋ねた。

2そこで、ステパノが言った、「兄弟たち、父たちよ、お聞き下さい。わたしたちの父祖アブラハムが、カランに住む前、まだメソポタミヤにいたとき、栄光の神が彼に現れて

3仰せになった、『あなたの土地と親族から離れて、あなたにさし示す地に行きなさい』。

4そこで、アブラハムはカルデヤ人の地を出て、カランに住んだ。そして、彼の父が死んだのち、神は彼をそこから、今あなたがたの住んでいるこの地に移住させたが、

5そこでは、遺産となるものは何一つ、一歩の幅の土地すらも、与えられなかった。ただ、その地を所領として授けようとの約束を、彼と、そして彼にはまだ子がなかったのに、その子孫とに与えられたのである。

6神はこう仰せになった、『彼の子孫は他国に身を寄せるであろう。そして、そこで四百年のあいだ、奴隷にされて虐待を受けるであろう』。

7それから、さらに仰せになった、『彼らを奴隷にする国民を、わたしはさばくであろう。その後、彼らはそこからのがれ出て、この場所でわたしを礼拝するであろう』。

8そして、神はアブラハムに、割礼の契約をお与えになった。こうして、彼はイサクの父となり、これに八日目に割礼を施し、それから、イサクはヤコブの父となり、ヤコブは十二人の族長たちの父となった。

9族長たちは、ヨセフをねたんで、エジプトに売りとばした。しかし、神は彼と共にいまして、

10あらゆる苦難から彼を救い出し、エジプト王パロの前で恵みを与え、知恵をあらわさせた。そこで、パロは彼を宰相の任につかせ、エジプトならびに王家全体の支配に当らせた。

11時に、エジプトとカナンとの全土にわたって、ききんが起り、大きな苦難が襲ってきて、わたしたちの先祖たちは、食物が得られなくなった。

12ヤコブは、エジプトには食糧があると聞いて、初めに先祖たちをつかわしたが、

13二回目の時に、ヨセフが兄弟たちに、自分の身の上を打ち明けたので、彼の親族関係がパロに知れてきた。

14ヨセフは使をやって、父ヤコブと七十五人にのぼる親族一同とを招いた。

15こうして、ヤコブはエジプトに下り、彼自身も先祖たちもそこで死に、

16それから彼らは、シケムに移されて、かねてアブラハムがいくらかの金を出してこの地のハモルの子らから買っておいた墓に、葬られた。

17神がアブラハムに対して立てられた約束の時期が近づくにつれ、民はふえてエジプト全土にひろがった。

18やがて、ヨセフのことを知らない別な王が、エジプトに起った。

19この王は、わたしたちの同族に対し策略をめぐらして、先祖たちを虐待し、その幼な子らを生かしておかないように捨てさせた。

20モーセが生れたのは、ちょうどこのころのことである。彼はまれに見る美しい子であった。三か月の間は、父の家で育てられたが、

21そののち捨てられたのを、パロの娘が拾いあげて、自分の子として育てた。

22モーセはエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、言葉にもわざにも、力があった。

23四十歳になった時、モーセは自分の兄弟であるイスラエル人たちのために尽すことを、思い立った。

24ところが、そのひとりがいじめられているのを見て、これをかばい、虐待されているその人のために、相手のエジプト人を撃って仕返しをした。

25彼は、自分の手によって神が兄弟たちを救って下さることを、みんなが悟るものと思っていたが、実際はそれを悟らなかったのである。

26翌日モーセは、彼らが争い合っているところに現れ、仲裁しようとして言った、『まて、君たちは兄弟同志ではないか。どうして互に傷つけ合っているのか』。

27すると、仲間をいじめていた者が、モーセを突き飛ばして言った、『だれが、君をわれわれの支配者や裁判人にしたのか。

28君は、きのう、エジプト人を殺したように、わたしも殺そうと思っているのか』。

29モーセは、この言葉を聞いて逃げ、ミデアンの地に身を寄せ、そこで男の子ふたりをもうけた。

30四十年たった時、シナイ山の荒野において、御使が柴の燃える炎の中でモーセに現れた。

31彼はこの光景を見て不思議に思い、それを見きわめるために近寄ったところ、主の声が聞えてきた、

32『わたしは、あなたの先祖たちの神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である』。モーセは恐れおののいて、もうそれを見る勇気もなくなった。

33すると、主が彼に言われた、『あなたの足から、くつを脱ぎなさい。あなたの立っているこの場所は、聖なる地である。

34わたしは、エジプトにいるわたしの民が虐待されている有様を確かに見とどけ、その苦悩のうめき声を聞いたので、彼らを救い出すために下ってきたのである。さあ、今あなたをエジプトにつかわそう』。

35こうして、『だれが、君を支配者や裁判人にしたのか』と言って排斥されたこのモーセを、神は、柴の中で彼に現れた御使の手によって、支配者、解放者として、おつかわしになったのである。

36この人が、人々を導き出して、エジプトの地においても、紅海においても、また四十年のあいだ荒野においても、奇跡としるしとを行ったのである。

37この人が、イスラエル人たちに、『神はわたしをお立てになったように、あなたがたの兄弟たちの中から、ひとりの預言者をお立てになるであろう』と言ったモーセである。

38この人が、シナイ山で、彼に語りかけた御使や先祖たちと共に、荒野における集会にいて、生ける御言葉を授かり、それをあなたがたに伝えたのである。

39ところが、先祖たちは彼に従おうとはせず、かえって彼を退け、心の中でエジプトにあこがれて、

40『わたしたちを導いてくれる神々を造って下さい。わたしたちをエジプトの地から導いてきたあのモーセがどうなったのか、わかりませんから』とアロンに言った。

41そのころ、彼らは子牛の像を造り、その偶像に供え物をささげ、自分たちの手で造ったものを祭ってうち興じていた。

42そこで、神は顔をそむけ、彼らを天の星を拝むままに任せられた。預言者の書にこう書いてあるとおりである、『イスラエルの家よ、四十年のあいだ荒野にいた時に、いけにえと供え物とを、わたしにささげたことが あったか。

43あなたがたは、モロクの幕屋やロンパの星の神を、かつぎ回った。それらは、拝むために自分で造った偶像に過ぎぬ。だからわたしは、あなたがたをバビロンのかなたへ、移してしまうであろう』。

44わたしたちの先祖には、荒野にあかしの幕屋があった。それは、見たままの型にしたがって造るようにと、モーセに語ったかたのご命令どおりに造ったものである。

45この幕屋は、わたしたちの先祖が、ヨシュアに率いられ、神によって諸民族を彼らの前から追い払い、その所領をのり取ったときに、そこに持ち込まれ、次々に受け継がれて、ダビデの時代に及んだものである。

46ダビデは、神の恵みをこうむり、そして、ヤコブの神のために宮を造営したいと願った。

47けれども、じっさいにその宮を建てたのは、ソロモンであった。

48しかし、いと高き者は、手で造った家の内にはお住みにならない。預言者が言っているとおりである、

49『主が仰せられる、どんな家をわたしのために建てるのか。わたしのいこいの場所は、どれか。天はわたしの王座、地はわたしの足台である。

50これは皆わたしの手が造ったものではないか』。

51ああ、強情で、心にも耳にも割礼のない人たちよ。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっている。それは、あなたがたの先祖たちと同じである。

52いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、ひとりでもいたか。彼らは正しいかたの来ることを予告した人たちを殺し、今やあなたがたは、その正しいかたを裏切る者、また殺す者となった。

53あなたがたは、御使たちによって伝えられた律法を受けたのに、それを守ることをしなかった」。

54人々はこれを聞いて、心の底から激しく怒り、ステパノにむかって、歯ぎしりをした。

55しかし、彼は聖霊に満たされて、天を見つめていると、神の栄光が現れ、イエスが神の右に立っておられるのが見えた。

56そこで、彼は「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える」と言った。

57人々は大声で叫びながら、耳をおおい、ステパノを目がけて、いっせいに殺到し、

58彼を市外に引き出して、石で打った。これに立ち合った人たちは、自分の上着を脱いで、サウロという若者の足もとに置いた。

59こうして、彼らがステパノに石を投げつけている間、ステパノは祈りつづけて言った、「主イエスよ、わたしの霊をお受け下さい」。

60そして、ひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」。こう言って、彼は眠りについた。

鍵となる聖句

2-3節
そこで、ステパノが言った、「兄弟たち、父たちよ、お聞き下さい。わたしたちの父祖アブラハムが、カランに住む前、まだメソポタミヤにいたとき、栄光の神が彼に現れて 仰せになった、『あなたの土地と親族から離れて、あなたにさし示す地に行きなさい』。

ステパノは、アブラハムの召しから説教を始めます。栄光の神は、約束の地からも神殿からも遠いメソポタミヤにいたアブラハムに現れました。メッセージはすでにここにあります。神はどんな場所にも縛られません。

35節
こうして、『だれが、君を支配者や裁判人にしたのか』と言って排斥されたこのモーセを、神は、柴の中で彼に現れた御使の手によって、支配者、解放者として、おつかわしになったのである。

モーセは同胞に拒まれましたが、神はその彼を支配者、解放者としてつかわされます。ステパノはモーセを、救おうとして来た人々に拒まれたイエスの姿として描きます。

48-49節
しかし、いと高き者は、手で造った家の内にはお住みにならない。預言者が言っているとおりである、 『主が仰せられる、どんな家をわたしのために建てるのか。わたしのいこいの場所は、どれか。天はわたしの王座、地はわたしの足台である。

いと高き方は、手で造った家の内にはお住みになりません。天は神の王座です。ステパノは神殿を軽んじているのではありません。神を建物の中に閉じ込めることを拒んでいるのです。

56節
そこで、彼は「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える」と言った。

ステパノは、人の子が神の右に立っておられるのを見ます。座しておられる姿を想像するところなので、印象的な光景です。多くの人は、そこに自分の証人を迎える姿勢を読み取ります。

59-60節
こうして、彼らがステパノに石を投げつけている間、ステパノは祈りつづけて言った、「主イエスよ、わたしの霊をお受け下さい」。 そして、ひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」。こう言って、彼は眠りについた。

ステパノは、イエスに自分の霊を委ね、この罪を迫害する人々に負わせないでくださいと願って死にます。その言葉は、十字架の上でのイエスの言葉を思い起こさせます。

この章に登場する人物

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説教が語っていること

イエス・キリスト、神殿が崩れるときの確かな支えブノワ・アンジェルは38節から60節をたどります。神は一つの場所に依存されません。頼りにしていたものが崩れるとき、建物や組織ではなく、義なる方イエスに寄りかかるよう招きます。要約を読む →昇天が意味すること――イエスの支配があなたを変えるミレイユ・ボワソナは、イエスが神の右に立っておられるステパノの幻を手がかりに、昇天が信仰生活、望み、そして宣教に何をもたらすのかを示します。要約を読む →変わってから神に近づく必要はない:パウロに学ぶ説教者は、サウロが初めて登場するのが58節、ステパノの石打ちの場面であることに注目します。そこから、迫害する人でも神の恵みに追いつかれることがあるという教えを引き出します。要約を読む →歩め!海に足を踏み入れれば、それは開かれるエジプトでのモーセの教育を語る22節から、メッセージは、召しが神の時に先立つことがあると示します。モーセは一人で動き、失敗し、神を待たなければならなくなります。要約を読む →状況が変わらなくても、約束は生きている約束の中での忍耐についての説教が、モーセの四十年を思い起こさせるステパノの説教に立っています。神は、約束されたことを実現させる前に、長い間働いておられます。要約を読む →

使徒行伝7章についてよくある質問

ステパノはなぜ石打ちにされたのですか

ステパノは、モーセと律法と神殿に対して冒涜の言葉を語ったと訴えられていました。説教の終わりで、聞く人々がいつも聖霊に逆らい、預言者たちが告げた義なる方を殺したと責めます。そして、神の右におられるイエスを見ていると宣言しますが、議会はそれを聞こうとしません。群衆は彼を町の外に引き出し、石を投げます。

使徒行伝7章のステパノの説教は何を言おうとしているのですか

ステパノは、イスラエルの歴史を通して、神がアブラハム、ヨセフ、モーセに神殿の外で現れ、民がしばしば神のつかわした人々を拒んだことを示します。そこから、義なる方イエスも同じ運命をたどったと結論します。この説教は、約束に対する神の忠実さと、神を一つの場所に閉じ込めることへの拒否とを語っています。

使徒行伝7章58節のサウロとは誰ですか

サウロは、のちの使徒パウロです。ここで初めて登場し、ステパノの石打ちのとき、証人たちが彼の足もとに上着を置きます。次の章は、彼がその死に賛成していたと記します。使徒行伝は、そのあとの彼の回心を語ります。

ステパノの幻で、イエスはなぜ座っておらず立っておられるのですか

聖書は、イエスが神の右に座しておられると語るのがふつうです。ここで立っておられることには、さまざまな読み方があります。多くの人は、自分のために殉教しようとしている証人を迎え、支える姿として理解します。聖書はその理由を説明していないので、慎重な読み方が求められます。

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