聖書 — 口語訳 (1955)
出エジプト記 33
概要
出エジプト記33章は、金の子牛の罪のあとの出来事です。神はかたくなな民のうちにあって一緒にのぼることはされず、民は嘆き悲しみます。モーセは宿営の外に会見の幕屋を張り、そこで神は彼と顔を合わせて語られます。モーセはとりなし、神の臨在なしには出発しないと言い、「わたし自身が一緒に行く」という約束を得ます。そして神の栄光を見せてほしいと願うと、神はご自分の善を彼の前に通らせ、岩の裂け目に彼を入れられます。
この章の4つの区分
1さて、主はモーセに言われた、「あなたと、あなたがエジプトの国から導きのぼった民とは、ここを立ってわたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓って、『これをあなたの子孫に与える』と言った地にのぼりなさい。
2わたしはひとりの使をつかわしてあなたに先立たせ、カナンびと、アモリびと、ヘテびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとを追い払うであろう。
3あなたがたは乳と蜜の流れる地にのぼりなさい。しかし、あなたがたは、かたくなな民であるから、わたしが道であなたがたを滅ぼすことのないように、あなたがたのうちにあって一緒にはのぼらないであろう」。
4民はこの悪い知らせを聞いて憂い、ひとりもその飾りを身に着ける者はなかった。
5主はモーセに言われた、「イスラエルの人々に言いなさい、『あなたがたは、かたくなな民である。もしわたしが一刻でも、あなたがたのうちにあって、一緒にのぼって行くならば、あなたがたを滅ぼすであろう。ゆえに、今、あなたがたの飾りを身から取り去りなさい。そうすればわたしはあなたがたになすべきことを知るであろう』」。
6それで、イスラエルの人々はホレブ山以来その飾りを取り除いていた。
7モーセは幕屋を取って、これを宿営の外に、宿営を離れて張り、これを会見の幕屋と名づけた。すべて主に伺い事のある者は出て、宿営の外にある会見の幕屋に行った。
8モーセが出て、幕屋に行く時には、民はみな立ちあがり、モーセが幕屋にはいるまで、おのおのその天幕の入口に立って彼を見送った。
9モーセが幕屋にはいると、雲の柱が下って幕屋の入口に立った。そして主はモーセと語られた。
10民はみな幕屋の入口に雲の柱が立つのを見ると、立っておのおの自分の天幕の入口で礼拝した。
11人がその友と語るように、主はモーセと顔を合わせて語られた。こうしてモーセは宿営に帰ったが、その従者なる若者、ヌンの子ヨシュアは幕屋を離れなかった。
12モーセは主に言った、「ごらんください。あなたは『この民を導きのぼれ』とわたしに言いながら、わたしと一緒につかわされる者を知らせてくださいません。しかも、あなたはかつて『わたしはお前を選んだ。お前はまたわたしの前に恵みを得た』と仰せになりました。
13それで今、わたしがもし、あなたの前に恵みを得ますならば、どうか、あなたの道を示し、あなたをわたしに知らせ、あなたの前に恵みを得させてください。また、この国民があなたの民であることを覚えてください」。
14主は言われた「わたし自身が一緒に行くであろう。そしてあなたに安息を与えるであろう」。
15モーセは主に言った「もしあなた自身が一緒に行かれないならば、わたしたちをここからのぼらせないでください。
16わたしとあなたの民とが、あなたの前に恵みを得ることは、何によって知られましょうか。それはあなたがわたしたちと一緒に行かれて、わたしとあなたの民とが、地の面にある諸民と異なるものになるからではありませんか」。
17主はモーセに言われた、「あなたはわたしの前に恵みを得、またわたしは名をもってあなたを知るから、あなたの言ったこの事をもするであろう」。
18モーセは言った、「どうぞ、あなたの栄光をわたしにお示しください」。
19主は言われた、「わたしはわたしのもろもろの善をあなたの前に通らせ、主の名をあなたの前にのべるであろう。わたしは恵もうとする者を恵み、あわれもうとする者をあわれむ」。
20また言われた、「しかし、あなたはわたしの顔を見ることはできない。わたしを見て、なお生きている人はないからである」。
21そして主は言われた、「見よ、わたしのかたわらに一つの所がある。あなたは岩の上に立ちなさい。
22わたしの栄光がそこを通り過ぎるとき、わたしはあなたを岩の裂け目に入れて、わたしが通り過ぎるまで、手であなたをおおうであろう。
23そしてわたしが手をのけるとき、あなたはわたしのうしろを見るが、わたしの顔は見ないであろう」。
鍵となる聖句
人がその友と語るように、主はモーセと顔を合わせて語られた。こうしてモーセは宿営に帰ったが、その従者なる若者、ヌンの子ヨシュアは幕屋を離れなかった。
神はモーセと「人がその友と語るように」語られました。この表現は親しさを語るもので、完全に見ることを意味してはいません。20節は、誰も神の顔を見て生きることはできないと明言しています。
主は言われた「わたし自身が一緒に行くであろう。そしてあなたに安息を与えるであろう」。 モーセは主に言った「もしあなた自身が一緒に行かれないならば、わたしたちをここからのぼらせないでください。
神は「わたし自身が一緒に行くであろう」と約束され、モーセはその臨在なしには出発することを拒みます。彼にとって、神がおられないなら約束の地には何の価値もありません。目的地よりも臨在が大切なのです。
モーセは言った、「どうぞ、あなたの栄光をわたしにお示しください」。
「どうぞ、あなたの栄光をわたしにお示しください」は、すでに神を知っている人が、さらに多くを求める叫びです。ここでの祈りは、信仰の欠如からではなく、親しい交わりから生まれています。
主は言われた、「わたしはわたしのもろもろの善をあなたの前に通らせ、主の名をあなたの前にのべるであろう。わたしは恵もうとする者を恵み、あわれもうとする者をあわれむ」。
答えとして、神は「わたしのもろもろの善をあなたの前に通らせ」、ご自分の名を宣べると約束されます。神の栄光は、力である前に、まず善と恵みとして示されます。
わたしの栄光がそこを通り過ぎるとき、わたしはあなたを岩の裂け目に入れて、わたしが通り過ぎるまで、手であなたをおおうであろう。
岩の裂け目は守りの場所です。神の栄光が通り過ぎるあいだ、神は手でモーセをおおわれます。多くのキリスト者はそこに、焼き尽くされることなく神の栄光に近づける、キリストの姿を見ます。
このテーマで祈る
説教が語っていること
出エジプト記33章についてよくある質問
出エジプト記33章の「あなたの栄光をわたしにお示しください」とはどういう意味ですか
モーセは、すでに神と顔を合わせて語っているのに、神の臨在をさらに深く体験することを願います。神は部分的にそれを受け入れられ、ご自分のすべての善を彼の前に通らせ、名を宣べますが、誰も見て生きることができないので、顔は見せませんでした。モーセが見たのは、通り過ぎる神の栄光だけです。
なぜ出エジプト記33章の初めで、神はイスラエルと一緒にのぼろうとされないのですか
金の子牛の罪のあと、神は使をつかわすが、かたくなな民のうちにあっては、道で滅ぼしてしまわないよう一緒にはのぼらない、と宣言されます。これは聖さについてのことばであり、民は悲嘆に暮れます。そこでモーセがとりなし、神はそのことばを改めて、ご自身が共に行くと約束されます。
会見の幕屋とは何ですか
モーセが宿営の外に張り、主に伺いを立てた幕屋です。モーセが入ると、雲の柱が入口に下り、民は礼拝しました。幕屋が建てられる前の、神と出会う場所でした。
岩の裂け目は何を表していますか
神はモーセを岩の裂け目に入れ、ご自分の栄光が通り過ぎるあいだ、手でおおわれます。本文がまず描いているのは守りです。多くのキリスト者は、そこにキリストの姿を見ます。キリストにあって、神に近づくことができるからです。ただし、本文自体はそう述べていません。
出エジプト記 33を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。