はじめに
「神は今も語っておられます。」これは問いかけではなく、断言なのだと、Église Lille Métropole の説教者は強調します。月曜の朝に備えて一人ひとりを整えることを大切にする教会の持ち味だった「Bon lundi」シリーズに続き、この日曜日から、神の声をテーマにした数週間の新しいシリーズが始まりました。
出発点は、超コミュニケーションの時代という現実です。これほど多くの連絡手段があったことはないのに、ひとつの問いが残ります。「神が語っておられるのなら、なぜ私はこんなに聞き取るのが難しいのだろうか。そして、どうすれば聞き取れるのだろうか。」説教者の答えは、最初から安心を与えてくれます。神の声を聞き分けることは、一部の人だけに許された神秘的な体験ではありません。信仰の深さや知識の多さにかかわらず、すべての人に開かれているのです。
メッセージのタイトルははっきりしています。「神は語られる。しかし、私たちはそれを聞く備えができているでしょうか。」三つの問いが全体を支えています。どのように神の声を聞くのか、どのような心の姿勢で聞くのか、そしてその声があなたの中にどんな影響をもたらすのか。中心にあるのは、列王記上19章でエリヤが聞いた、静かでやさしいささやきの箇所です。
メッセージの流れ
1. 神は語ることをやめたことがない
- 説教者は今でも、地球の裏側に一瞬でメッセージを送れることや、ビデオ通話で孫の顔を見られることに驚きを覚えるそうです。かつては、郵便配達人を何日も、ときには何週間も待たなければなりませんでした。ところが今では、WhatsApp のメッセージが既読になって2分もすると、もう待ちきれなくなります。
- けれども神は、こうした技術を待って語られたわけではありません。聖書の最初のページから、神は言葉によって創造されます。堕落のあと、アダムとエバが身を隠したとき、神は彼らを捜しに行き、こう尋ねられます。「あなたはどこにいますか」(創世記3:9)。
- 「神が問いかけられるのは、情報を得るためではありません。誰かと関係を結びたいからです。」
- 神はアブラハムに語られましたが、聖書の物語にほんの一瞬だけ登場するメルキゼデクにも語られました(創世記14:18-20)。アブラハムからイエスへと続く約束の系譜の外にも、神と関係を持った人は大勢いたのです。
- その頂点がイエスです。肉となった言葉(ヨハネ1:14)。ヘブル人への手紙の著者はこうまとめています。神は昔、預言者たちによってさまざまな方法で語られたが、今や御子によって私たちに語られた(ヘブル1:1-2)。
- 主導権はいつも神にあります。「私が神を求めていなかったときでさえ、神のほうから私に語りかけてくださいました。」
2. ささやきは近づくよう招いている
- カルメル山で、エリヤは自分の働きの頂点を経験します。天から火が下り、神は何百人もの偽預言者たちの誤りを明らかにされました(列王記上18章)。私たちにも、天が開いているように感じられる山の頂があります。
- ところがエリヤは、恐ろしい重圧を抱えて山を下ります。血に飢えた女で、言ったことを実行できるイゼベルが、彼を殺すと脅したのです。神の人は荒野へ逃げ、死を願うまでになります。ここでも、神のほうから語りかけてくださいます。「おそらく今朝、あなたにもそうしておられるように」と説教者は言います。
- 強い激しい風が吹きますが、神は風の中におられません。次に地震が起こりますが、神はその中にもおられません。次に火が起こります。神はすでに燃える柴の中から語られたことがあったのに、神は火の中にもおられません。そして最後に「静かな細い声」が聞こえます(列王記上19:11-12)。タイトルの「静かでやさしいささやき」はこのことです。
- なぜささやきなのでしょうか。「ささやきは、語る方に近づくよう招くのです。」説教者は、二種類の先生を思い出します。大声で叫んだり、定規で机をたたいたりする先生と、教室がざわつくと声を低くする先生です。後者の場合、月曜に小テストがあると告げられるかもしれないので、指示を聞き逃さないよう、みんなが静かになったそうです。
- 神は劇的な方法で語ることもできます。説教者がよく知る牧師は、運転が乱暴でした。高速道路のサービスエリアで止まったとき、メッセージ入りのウエハースを一袋買ったところ、中に書かれた言葉が、「あなたの運転はめちゃくちゃだ」と告げていたそうです。「神に語っていただくために、ウエハースの袋を買いに走らないでください」と説教者は付け加えます。神は預言を含め、どんな方法でも語ることができるからです。
- しかし多くの場合、神はささやきによって語られます。私たちをご自身のそばに置きたいからです。「関係なしに啓示はありません。神に近づけば近づくほど、神との関係を生きることになります。そして神との関係を生きれば生きるほど、神はあなたに多くのことを伝えてくださいます。」
3. 聖書、神のいちばん控えめなささやき
- 具体的に言えば、ささやきとは、神が私たちに語るために持っておられるいちばん控えめな手段、つまり聖書のことです。聖書は本棚や枕元のテーブルに置かれたままになることもあれば、スマートフォンのアプリの中に埋もれてしまうこともあります。
- 毎朝、説教者が最初にすることは、リビングに座って聖書アプリを開くことです。「家の壁が揺れ始めるわけではありません。天窓から光の筋が差し込むわけでもありません。」ささやきのように、それはシンプルです。時間と注意と傾聴が求められます。
- 「神の言葉は、権威を持つために音を立てる必要がありません。」ある聖句を受け取ったとき、外側では何も起こらなかったのに、そこから何という権威が放たれたことか、と説教者は語ります。
- この権威は、聖書が神から出ていることに由来します。「これは神について書かれた本ではありません。神の本なのです。」
- 最初の答えはこうです。神の声を聞くいちばん確かな方法は、聖書の中で時間を過ごし、神との関係と神の言葉によって毎日養われることです。
4. 聞く前から従う備えのある心
- 二つ目の問いは、どのような心の姿勢か、です。「従順は啓示に先立ちます。先立つのです。神の声を聞くことは、まず方法の問題ではなく、心の姿勢の問題です。」
- 説教者はヨハネ7:17に立ちます。以前から何度も読んでいたのに、こういう意味だとは理解していなかった聖句だそうです。もし誰かが神のみこころを行おうとするなら、イエスの教えが神から出たものかどうかが分かる、というものです。従うという決断は、神が何を語られるかを知る前に来ます。「従おうとする意志が、見分ける力を助けます。」
- それは、御言葉に影響を受けたいという渇きを育てることです。「あなたが何を語られるのか、私にはまだ分かりません。でも、あなたが求められることをするために身を差し出したいという願いが、もう私の中にあります。」
- ときに私たちは、受け入れられる答えをあらかじめ決めてしまっています。「主よ、この状況のために祈ります。でも、あの人と和解しに行くようには、どうか言わないでください。」説教者は自分もその中に含めます。私たちには誰でも譲れない点があり、それがあると、長く待つことになりかねません。
- 説教者は、この心の姿勢を次の祈りにまとめます。「主よ、あなたの言葉が私の人生の何を動かすのか、まだ分かりません。ときにはそれが激しく揺さぶることもあります。それでも、私は受け入れたいのです。言葉によって造り変えられる備えができています。」
5. すでに知っていることに従う
- 次の一歩があります。すでに知っていることに従うと、神は続きを示してくださいます。神は、すでに示されたことに人が応えるまで、それ以上のことを明らかにするのをためらわれることがあります。
- アブラハムは、全体の流れを知りたかったことでしょう。しかし聞いたのは、あなたの国と、親族と、父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい、ということだけでした(創世記12:1)。「ちょっと少ないですよ、主よ。」
- 説教者は、自分は計画を立てる必要があるタイプで、10年先のビジョンを具体的な道筋つきで書ける人間だと話します。それでも、神が示されるのはほんの一部だけで、それは最初の一歩を踏み出すには十分なのだと受け入れる必要があります。
- 「歩くことが道をつくります。」神が先のことを照らしてくださるのを待っているなら、まず、神がたった今求められたことを実行に移してください。一歩目、二歩目を踏み出せば、神は三歩目、四歩目をどこに置けばよいかを示してくださいます。
6. あなたが耳にするものが、あなたの表現を形づくる
- 三つ目の問いは、それが私の中にどんな影響をもたらすのか、です。原則はこうです。「私が耳にするものが、私の表現を形づくります。私の人生の調子を決めているのは、どの声でしょうか。」
- 聴覚の専門家であるアルフレッド・トマティス博士は、あるとき有名なオペラ歌手を診察しました。その歌手は、ある音が歌えなくなっていました。検査の結果、トマティス博士は、その歌手がその音を聞き取れなくなっていることに気づきます。博士は自分の研究を一言でこうまとめています。「声は、耳が聞いたものしか再現できない。」
- 霊的な適用はこうです。声とは、あなたが外に向けて発するすべてのもの、つまり言葉だけでなく、振る舞いや選択も含みます。声は、あなたの内なる耳が聞いたものしか再現できません。
- この耳は、否定的な内なる対話や批判、そして罪に定め、罪悪感を抱かせにやって来る敵の偽りによって養われてしまうことがあります。そのあと、自分が不安やいらだち、怒りを発していることに驚くのです。午後ずっとニュース専門チャンネルを見たあとでは、あなたが発するものは悲しいものになりがちです。
- 「私はあなたがたより優れているわけではありません」と説教者は打ち明けます。夜にあれこれ考え込み、「今日は大変な一日になる」と思いながら目が覚めることもあるそうです。けれども朝になると、ささやきである神の言葉に戻ることで、耳を整え直します。その声が、一日に新しい調子を与えてくれます。
- 「神の言葉は、私の人生でいちばん大切なものです。それが私の将来を決め、私が何者であるかを決めます。」さらにそれは、何を語り、何を行い、何を選ぶかも決めるのです。
7. 神の声のために場所を空ける
- 前に出るよう招くことはせず、説教者は一人ひとりに問いかけます。「神の声に身を差し出すために、私は自分のスケジュールの中にどれだけの場所を空けなければならないでしょうか。」
- 説教者は、初めて教会に来た人、そして神が自分に個人的に語りかけてくださるとは知らなかった人のことを思っています。また、何十年も信仰を持ちながら、この耳を傾ける時間から遠ざかってしまった人のことも思っています。
- 「そこに裁きはありません。」小さな子どもたち、早起き、不規則な勤務時間、責任、習い事(柔道、音楽、ダンス)。説教者はそうした事情をよく知っています。慌ただしい日々の中では、主に捧げる時間を削ってしまうのは簡単なことです。
- 説教者の原則はこうです。「もっと祈ることは、働く時間を減らすことではなく、よりよく働くことです。」祈りは独り言ではなく対話であり、「神は、あなたが神に語ることよりも、神があなたに語ろうとしていることのほうに、はるかに関心をお持ちです。」神の御前で過ごした時間は無駄な時間ではなく、よりよく働くための余力をさらに与えてくれます。
- 最後の祈りで、説教者はすでに厳しい言葉を受け取った人を神が強めてくださるよう願い、正直さにもその居場所があることを思い起こさせます。「あなたの言葉を聞きました。でも、私には難しいのです。」神に対して正直であるとき、神は御言葉を成し遂げられるよう助けに来てくださいます。
- 教会には、暗くなっていく世界の中で響かせるべき声があります。そのためには、内なる耳が開かれていなければなりません。「関係が啓示へと導きます。」
心に留めたいポイント
- 神は今も語っておられ、主導権はいつも神にあります。神の声を聞くことは、一部の人だけのものではありません。
- 静かでやさしいささやきは、近づくよう招いています。関係なしに啓示はありません。
- 聖書は、神が語られるいちばん控えめで、いちばん確かな手段です。権威を持つために音を立てる必要はありません。
- 従順は啓示に先立ちます。譲れない点を持たず、すでに知っていることに従う心が、続きを受け取ります。
- あなたが耳にするものが、あなたの表現を形づくります。あなたの声は、内なる耳が聞いたものしか再現できません。
個人的な適用
- 今週、聖書はあなたのスケジュールの中でどれだけの場所を占めているでしょうか。一日のどの時間を聖書のために取り分けられますか。
- 神の前に、譲れない点はありませんか。神にだけは語ってほしくないと思っている話題はないでしょうか。
- 神がすでに求められたのに、まだ実行に移していないことは何ですか。最初の一歩として何ができますか。
- 今、あなたの内なる耳を養っているのはどんな声でしょうか。否定的な考え、批判、ニュースチャンネル、それとも神の言葉でしょうか。
- あなたの祈りは対話ですか、それとも独り言ですか。神があなたに語ろうとしておられることに耳を傾ける時間を取っていますか。
引用された聖句
よくある質問
なぜ神はエリヤに静かでやさしいささやきで語られたのですか。
列王記上19章では、神は風の中にも、地震の中にも、火の中にもおられません。そのあとに静かでやさしいささやきが聞こえ、神はそのようにして語られます。説教者によれば、ささやきは、語っておられる方に近づくよう招いています。神が静かに語られるのは、私たちをご自身のそばに置きたいからです。関係なしに啓示はありません。
日常の中で神の声を聞くにはどうすればよいですか。
メッセージによれば、いちばん確かな方法は、毎日聖書の中で時間を過ごすことです。聖書は、神が持っておられるいちばん控えめなささやきです。本棚に置かれた一冊の本、あるいは数あるアプリのひとつにすぎません。開いたときに劇的なことは何も起こりませんが、神の言葉は、権威を持つために音を立てる必要がないのです。
「従順は啓示に先立つ」とはどういう意味ですか。
説教者はヨハネ7:17に立ちます。神のみこころを行おうと決めている人は、その教えが神から出たものかどうかを見分けます。神の声を聞くことは、まず心の姿勢の問題であり、譲れない点を持たないことです。また、すでに知っていることに従うと、神は続きを示してくださいます。行き先を知らないまま歩き始めたアブラハムのようにです。