受け入れがたいことを受け入れる:神が何も説明してくださらないとき

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はじめに

鳴り響く電話、凍りつくような知らせ、下される診断、命を奪う死。体そのものがその知らせを受け入れることを拒むような瞬間があります。サムエル・マブー(Samuel MABBOUX)は、それを「受け入れがたいこと」と呼びます。神が本来望まれたのではないけれど、あなたの人生に許しておられる出来事のことです。そしてその朝、彼はあなたに大きな内面の転換を勧めます。「主よ、なぜですか」という言葉を取り除き、代わりに「主よ、私はあなたを信頼します」と言い換えることです。理解できるからではなく、すべてを理解しておられる方を信頼すると、あなた自身が選び取るからです。

メッセージの構成

1. アブラハム:神から来る受け入れがたいこと

  • 創世記22章で、神はアブラハムに、その息子イサク(ひとり子であり、愛する子であり、約束の子)を焼き尽くすいけにえとして献げるよう求められます。
  • これほど受け入れがたいことはありません。それでも3節にはこうあります。「アブラハムは朝早く起きて出かけて行った。」
  • サムエル・マブーはこう指摘します。アブラハムは議論せず、神にもう一度言ってくださいとも頼まず、物語の結末も知りません。ただ従うのです。
  • あなたには、神のご計画を理解できなくてよい権利があります。しかし、神を疑うこととは話が別です。意味が見えなくても、主を信頼してください。

2. 「もし」と祈りながら、「否」も受け入れる

  • 神がすぐには取り除かれない試練があります。取り除いてくださるかのように祈りながらも、すぐには取り除かれないことも受け入れましょう。
  • あなたの礼拝も、賛美も、奉仕も、神がしてくださること・してくださらないことに条件づけてはいけません。神が与えてくださるものだけでなく、神がどのようなお方であるかのゆえに、神をほめたたえましょう。
  • 試練の真っただ中で、神が何も取り除いてくださらなくても、それでも歌う賛美ほど美しい賛美はありません。
  • 列王記第二4章のシュネムの女性のように。息子が部屋で死んでいるのに、「すべて順調です」と言えるのです。現実逃避ではなく、神が今も治めておられるからです。

3. シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ:真の信仰

  • 燃える炉を前にして、ダニエルの三人の友は「神が私たちを救い出してくださることを知っています」とは言いません。「神にはそれがおできになることを知っています。しかし、たとえそうでなくても、私たちはひれ伏しません」と言うのです。
  • サムエル・マブーは繰り返し強調します。神が救い出してくださると最初からわかっているなら、それは信仰ではありません。信仰とは、炉の前でもなお自分の立場を貫くときに始まるのです。
  • ダニエルは救われました。バプテスマのヨハネは、彼に劣らず偉大な人物でしたが、首をはねられて生涯を終えました。11人の使徒のうち(ユダを除いて)、天寿を全うしたのはただ一人だけです。それでも彼らは、その死によって神の栄光を現しました。
  • 聖別されること、献身することは、免除を保証しません。それらはあなたを、共に歩んでくださる方の中にしっかりと根づかせるのです。

4. ステパノ:石の下に栄光を見る

  • 使徒の働き4章24~31節で、最初の逮捕の後、教会は祈ります。守ってくださいとは求めず、御言葉を大胆に語る確信を求めます。
  • 数章後、ステパノは石打ちにされます(使徒7章)。神は石を止めることもできたはずです(壁でも、御使いでも)。それは、栄光を見せてくださることよりも簡単だったはずです。しかし神は栄光を選ばれました。
  • ステパノは「天が開け、人の子が神の右に立っておられるのを見た」のです。もはや石を見てはいません。キリストを見ているのです。
  • 彼はひざまずいて、自分を殺す者たちのために祈りながら息を引き取ります。「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」。神は彼を守りはしませんでしたが、そばにおられました。

5. ヨブ:神の前に降伏する

  • ヨブはすべて(子ども、財産、健康)を失い、本のほとんどを費やして自分を正当化しようとします。「私は正しい。こんな目に遭ういわれはない」(ヨブ記27章6節)。
  • イザヤ書45章はこう警告します。「自分を造った方と争う者に、わざわいあれ。」粘土は陶器師に「あなたは何をしているのか」とは言いません。
  • ヨブ記38章から41章にかけて、神はヨブに本来の立場を示されます。「わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。」
  • そしてヨブは答えます。「あなたは何でもできることを知りました……私には理解できない、あまりにも不思議なことを語っていました」(ヨブ記42章1~6節)。神がヨブを回復させ、以前よりも豊かに祝福されたのはまさにこの瞬間でした。

6. イエスはあなたのために受け入れがたいことを受け入れられた

  • イザヤ書53章4節。「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。」
  • イザヤ書53章10節。「主は彼を砕くことを望み、彼を痛めつけられた。」
  • キリストがあなたのために受け入れがたいことを受け入れてくださったのなら、あなたも、神があなたのために許される受け入れがたいことを受け入れることができます。
  • 神から来る受け入れがたいことでさえ、あなた自身の思いよりも常にまさっています。

心に留めたいポイント

  • 神が望まれることと、神が許されることには違いがあります。どちらも神の支配のもとにあります。
  • 「主よ、私を癒してください」と祈ることと、「主よ、御心がなりますように」と祈ることは矛盾しません。信仰は両方を保ち続けます。
  • 神との関係を、神の祝福の上に築いてはいけません。神がどのようなお方であるかのゆえに礼拝してください。そうしなければ、最初の試練でその関係にひびが入ってしまいます。
  • 聖別と免除は同じではありません。バプテスマのヨハネもステパノも献身していましたが、神は彼らを肉体的には守らず、最後まで共に歩まれました。
  • あなたの居場所は、立って神と交渉する場所ではなく、ひざまずいて神の前に出る場所です。降伏することは負けることではなく、神に治めていただくことです。
  • 魂の救いは、癒しよりも先に、あなたの祈りの最優先事項であり続けます。神は単なる癒し主ではありません。癒してくださいますが、神がなさることはすべて永遠を見つめているのです。

あなた自身への適用

  1. 今のあなたの人生で、「主よ、なぜこんなことを許されるのですか」と言っている状況はどこにありますか。その「なぜ」を「あなたを信頼します」に置き換えたら、何と言いますか。
  2. 試練が去る前に、今この瞬間、神をほめたたえることができますか。それとも、神が動いてくださるのを待ってから礼拝を再開しようとしていますか。
  3. 気づかないうちに、ヨブのように神の前で自分を正当化し、降伏する代わりに自分の功績を主張しようとしている場面はどこにありますか。
  4. あなたの周りの人々について、その人の健康を心配する前に、その人の救いのためにこそ心を騒がせるべきだったのはどこですか。
  5. 使徒の働き4章29節(「あなたのしもべたちが大胆に御言葉を語れるようにしてください」)にならって祈るとしたら、守りではなく何を神に求めますか。

引用された聖句

よくある質問

神は、取り除くこともできる試練を、なぜ許されるのですか。

サムエル・マブーは、神が本来望まれることと、神が許されることを区別しています。神はひとことで病を取り除くこともできますが、あらかじめ定められた期間、あえて試練を残される場合があります。コリント人への手紙第一10:13は、あなたの力に耐えられないような試練に遭わせることは決してなく、脱出の道も備えてくださると約束しています。

神が癒してくださらないとき、どう祈ればよいですか。

神が試練を取り除いてくださると心から信じて祈りましょう。ただし、こう付け加えてください。「たとえそうしてくださらなくても、私はあなたをほめたたえ、変わらずあなたに仕えます。」これは、燃える炉を前にしたシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの祈りそのものです。「私たちの神は救い出すことがおできになる。しかし、たとえそうでなくても、私たちはひれ伏しません。」

「主よ、なぜですか」という問いに答えが見つからないとき、どうすればよいですか。

サムエル・マブーは、その「なぜ」を「主よ、私はあなたを信頼します」に置き換えることを勧めます。ヨブも最初は自分を正当化しようとしましたが、神に本来の立場を示されたとき(ヨブ記38-42章)、こう認めました。「私には理解できない、あまりにも不思議なことを語っていました。」まさにその時、神はヨブを回復させ、以前よりも豊かに祝福されたのです。

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