イザヤ書55章:神に渇く人への救い

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はじめに

「かわいている者はみな水にきたれ、金のない者もきたれ。」このイザヤ書55章の叫びで、Église Évangélique de Pentecôte de Nantes で語られたメッセージは始まります。説教者はメッセージ全体を通して、ひとつの言葉を繰り返しました。渇いている人々には救いがある、ということです。

この章は、贖い、解放、自由を語るイザヤ書53章と54章のすぐ後に置かれています。説教者にとって、イザヤ書55章は恵みの福音の要約です。この福音は「来なさい、聞きなさい、求めなさい、呼びなさい」と語り、続く箇所は「捨てなさい、立ち返りなさい」と付け加えます。神はまずイスラエルの民に呼びかけますが、今日の私たちにも呼びかけておられます。まだ神に出会ったことがない人にも、神の道から離れてしまった人にもです。

メッセージ全体を貫く問いはひとつです。あなたは今も神に渇いていますか。

メッセージの流れ

1. 神から離れた人への呼びかけ

  • イザヤ書55章1節から6節を読みます。「来て、金を出さずに、価を払わずに、ぶどう酒と乳を買え。」救いは差し出されるものであり、買うものではありません。
  • 説教者は創世記にさかのぼります。初めに、人は神の臨在と交わりを楽しんでいました。「想像してみてください。毎日、神の臨在のうちにあり、神がアダムとエバに会いに来てくださったのです。」
  • 人は不従順によってこの関係を壊しました。不幸になり、罪人となり、神から引き離されたのです。
  • 神はこの人に向かって叫ばれます。「来なさい」と。主は、遠く離れた者が御もとに近づき、立ち返って、神との交わりと祝福に回復されるよう招いておられます。

2. 神を必要とする自分に気づく

  • 「救いの本質的な条件のひとつは、霊的な飢えと、赦しへの渇きを持つことです。」この渇きは神との本当の関係へ導きます。「宗教の神でも、遠くにいる神でも、罰する神でもなく、和解の神です。」
  • 毎週土曜日、教会は福音を伝えに出かけます。多くの人は「結構です、必要ありません」と答えます。それでも説教者は、前日に出会った青年のことを語ります。彼は両手に荷物を抱えていました。差し出されているのが福音だと知ると、「彼はすべてを置いた」のです。「ああ、それは興味があります。」
  • 私たちは、自分が強いから、健康だから、神は必要ないと思いがちです。しかし明日か明後日、「少し咳が出る」。苦しみが訪れ、人は問いを抱き始めます。
  • イエスはサマリヤの女に言われました。「わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水がわきあがるであろう」(ヨハネによる福音書4章14節)。「それはこの地上で、もう始まっています。天国に行くまで待たなくても、神のものを喜び始めることができます。」
  • ですから「この世の干上がった水ためから汲むのをやめ」、まことの泉、祝福に満ちたイエス・キリストご自身から汲むべきです。

3. 十字架で支払われた代価

  • この無償の救いには土台があります。メシヤであり神の御子であるイエスの、身代わりの死です。「イエスは代価を支払わなければなりませんでした。」
  • 説教者はイザヤ書53章に戻ります。「彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。」彼は私たちの病を負い、私たちの悲しみをになわれました。虐待され、苦しめられても、口を開かず、「ほふり場にひかれて行く小羊のように」でした。
  • 「イエスは決して罪を犯しませんでした。」私たちの怒り、苦々しさ、悪意、高ぶりを、イエスは十字架に負ってくださったのです。
  • そこから悔い改めへの呼びかけが生まれます。私たちは心をへりくだらせ、罪と不正に憤り、自分の罪を恥じ、自分の惨めさを嘆かなければなりません。
  • 前の週の土曜日、伝道の最中に、四、五人の若い女性のグループが最初は固い態度でした。教会の兄弟が御言葉を証しすると、そのうちのひとりがイエスを受け入れ、「私のために祈ってください」と頼みました。説教者は感動しました。救い主を必要とすることを実感するとは、まさにこのことです。
  • この渇きは、信仰を知り始めたばかりの人だけのものではありません。「たとえ20年イエスと共に歩んでいても、なおイエス・キリストに渇いていましょう。」

4. 義に飢え渇く

  • 「なぜ私たちは死んでしまうのでしょうか。数年歩むうちに、イエスがそばにいてくださる必要を感じなくなるからです。」イエス・キリストに飢え渇かなくなると、「心のどこかに死が住みついてしまいます」。
  • 飢え渇くとは、「私たちの内に神を熱く慕い求めること」です。マタイによる福音書5章6節で言われました。「義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。」別の訳では、神が求めるとおりに生きることに飢え渇く人々、となっています。
  • どうすればこの御心を知ることができるのでしょうか。「ごく単純に、神の御言葉です。神の御心は聖書にあります。」そしてイエスは心を満たし、静め、満足させ、いっぱいにしてくださいます。
  • モーセにはこの飢えがありました。彼は神に願います。「どうぞ、あなたの栄光をわたしに示してください」(出エジプト記33章18節)。詩篇の作者は言います。「ああ神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ」(詩篇42篇2節)。
  • パウロもそうでした。キリストを知り、その復活の力を体験し、その苦難にあずかって、その死にさえ似た者となること(ピリピ人への手紙3章10節)。彼は苦しむことになると知っていましたが、神のものを慕う願いのほうが強かったのです。この渇きは、神の栄光のために苦しむことへ私たちを導くこともあります。

5. 変わらない岩のもとへ来る

  • 「水に来なさい。」しかし、どの水でしょうか。「岩のもとに行かなければなりません。」パウロはコリントの人々にこう書きました。荒野のイスラエルの民は霊の岩から飲んでいて、「その岩はキリストであった」(コリント人への第一の手紙10章4節)。
  • 「でも牧師先生、それは昔の話でしょう。」答えはこうです。「岩は変わっていません。」この岩は「万代の岩」と呼ばれます。荒野でイスラエルに水を飲ませた同じ岩が、今日あなたのためにここにあります。岩は十字架で打たれたので、今や水は豊かに流れています。
  • イエスは叫ばれました。「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい」(ヨハネによる福音書7章37節)。この節を思い巡らして、説教者は心の中で言いました。「主イエスは確信しておられた」と。イエスはまだ十字架で死んでおられず、石打ちなど別の形で死ぬこともありえました。それでもイエスは、すでに自分が万代の岩であることを知っておられたのです。
  • 2節。「なぜ、あなたがたは、かてにもならないもののために金を費やし、飽きることもできないもののために労するのか。」お金も、気力も、力も、養ってくれないパンのために使い果たして、何になるでしょうか。
  • 信者の渇き、あるいは神のものに触れ始めたのに離れてしまった人の渇きは、この世の思い煩い、富の惑わし、物質的なものの魅力、人生の楽しみに、しばしば押し流されてしまいます。「祝福に満ちたイエス・キリストご自身だけが、心を静めてくださいます。」

6. 聞いて生きる:永遠の契約

  • 「来なさい」の次に、神は「聞きなさい」と言われます。「わたしによく聞きなさい。そうすれば、良いものを食べることができる。」そして3節。「耳を傾けて、わたしのもとに来たれ。聞け、そうすれば、あなたがたは生きる。」
  • 魂が生きるべきだというなら、魂は死んでいるということです。アダムの不従順によって人の魂は死にました。「友よ、イエス・キリストを受け入れていないあなたの魂も、死んでいます。」しかし「それは宿命ではありません。神の御言葉が語られているのですから。」「内側が空っぽなのに、この世のものを人生に積み上げて何になるのでしょうか。」そしてさらに、「空っぽの魂は、死んだ魂です。」
  • 「わたしはあなたがたと永遠の契約を結ぶ。」数週間の契約でも、15年、30年、40年の契約でもありません。「それは人の心に浮かんだことではなく、神の心に浮かんだことです。」
  • これらの言葉はまず、霊的に遠く離れ、新たにされること、新しく生まれることを必要としている人々に向けられています。イエスがニコデモに言われたとおりです。「あなたがたは新しく生まれなければならない」(ヨハネによる福音書3章7節)。「自分の力では、あなたにはできません。」
  • 「確かに、私たちは時に不忠実でしょう。しかし神は、ご自分の契約に忠実であり続けられます。」イエスは十字架で、この契約の求めをご自分の身に負われました。「血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ない」(ヘブル人への手紙9章22節)。
  • 4節と5節。「見よ、わたしは彼を立てて、もろもろの民への証人とし、もろもろの民の君とし、命令者とした。」説教者は感嘆します。これはイスラエルだけの話ではありません。「これこそ神の恵み、神の愛です。イスラエルだけでなく、諸国の民のためでもあるのです。」そしてダビデが治めたのはイスラエルだけでした。ここで語られているのはメシヤです。ダビデに与えられた約束は、イエスにおいて成就します。パウロは使徒行伝でこう語ります。神はイエスをよみがえらせました。詩篇2篇にあるとおり、「あなたはわたしの子、きょう、わたしはあなたを生んだ」(使徒行伝13章33節)。「だから私たちは福音を宣べ伝えるのです。男も女もイエス・キリストのもとへ駆けつけるように。」

7. 主を見いだせるうちに求める

  • 6節。「あなたがたは主を呼び求めよ、お会いすることのできる間に、近くおられるうちに。」別の訳では、「近くにおられる間に、主に向かいなさい」とあります。「いいえ、私たちが主に近づいたのではありません。主のほうが私たちに近づいてくださったのです。天は窓を開きました。」
  • 「兄弟姉妹、友よ、神はあなたから遠くありません。神の御言葉が語られるのを、あなたは聞いているのですから。」誠実な心で主を求めるだけでよいのです。「主よ、あなたを必要としているのは私です。」アモスも言っています。「わたしを求めよ、そして生きよ」(アモス書5章4節)。
  • しかし救いの時は限られています。パウロは「神の恵みを無駄に受けてはいけない」(コリント人への第二の手紙6章1節)と勧めます。「神がもはや見いだされなくなる日が来ます。」
  • 7節。「悪しき者はその道を捨て、正しからぬ人はその思いを捨てて主に帰れ。そうすれば、主は彼にあわれみを施される。」「神に立ち返るには、神と共にいたことがなければなりません。」人類はエデンで神と共にいましたが、アダムの不従順によって迷い出ました。帰ってくる者は、豊かに赦してくださる憐れみ深い神に迎えられます。
  • 自分の思いを手放すのは簡単ではありません。「私は自分の信念が好きだし、自分の考え方が好きだ。」説教者はこう例えます。ピアノは白いと言っても、「いや、黒い」と言い張る人がいます。8節がそれに答えます。「わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。」
  • もろもろの民の君であり命令者であるイエスは、いつの日かすべての国々を治められます。「イエスがあなたの心をすでに治めてくださる時が、もう来ているのではないでしょうか。」

大切なポイント

  • 救いは、渇いている人に無償で差し出されています。「来なさい、金を出さずに、価を払わずに。」
  • 第一の条件は、神を必要とする自分を認め、赦しに渇くことです。この救いは、イエスが十字架で支払われた代価の上に立っています。
  • 神への渇きは、年月とともに消えてはなりません。それが失われると、心に死が住みつきます。
  • 神は永遠の契約を差し出され、私たちが不忠実なときも忠実であり続けられます。
  • 救いの時は限られています。今こそ主を求め、自分の道を捨てて、主に立ち返るときです。

個人への適用

  1. 今日、通りで誰かがあなたに福音を差し出したら、「必要ありません」と答えますか。それとも、手にしているものをすべて置きますか。
  2. 神への渇きは、歩み始めたころと同じように強いですか。それとも思い煩い、富、楽しみが、少しずつそれを押し流してしまいましたか。
  3. あなたはどんな「干上がった水ため」に、お金や気力や力を、養ってくれないパンのために費やしていますか。
  4. 主に立ち返るために、神はあなたにどんな道、またはどんな考え方を捨てるよう求めておられますか。
  5. イエスはすでにあなたの心を治めておられますか。それとも、主を求める時をまだ先送りにしていますか。

引用された聖句

よくある質問

イザヤ書55章の「神に渇く」とはどういう意味ですか。

説教者によれば、飢え渇くとは、私たちの内に神を熱く慕い求め、神が求めるとおりに生きたいと願うことです。それは、神を必要とする自覚と、赦しへの渇きから始まります。この渇きは、イエスと共に20年歩んだ後でも必要です。それが失われると、心に死が住みつきます。

なぜイザヤ書55章は永遠の契約について語っているのですか。

3節で、主は御もとに来て耳を傾ける人々に永遠の契約を約束されます。それは15年、30年、40年だけの契約ではありません。イエスは十字架で、この契約の求めをご自分の身に負われました。私たちが不忠実なときも、神は忠実であり続けられます。

「主を見いだせるうちに求めよ」とはどういう意味ですか。

神はイエス・キリストによって私たちに近づいてくださいました。天は窓を開いたのです。私たちの役目は、誠実な心で主を求めることです。説教者は、救いの時は限られていて、神がもはや見いだされなくなる日が来ると語ります。キリストのもとに来るのは今です。

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