マルコ1章:イエスに従わせる不可抗の恵み

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はじめに

Église Baptiste Toulouse Métropole は、シリーズ「On t'appelle」(「あなたを呼んでおられる」)を続けています。この日曜日の聖書箇所は、最初の弟子たちの召命を記したマルコ1章16〜20節です。説教者は、四つの福音書すべてが伝えているこの場面を、マルコが語る語り口は「印象的」だと述べます。

シモン、アンデレ、ヤコブ、ヨハネには、仕事も、網も、家族も、将来の計画もありました。イエスがわずかな言葉で呼ぶと、彼らはすべてを置いてイエスに従います。そこで問いが生まれます。「人がある日、それまで自分の安定だったものを捨ててイエスに従うのは、何がそうさせるのでしょうか。」

答えは二つの言葉に尽きます。「不可抗の恵み」、つまり「私たちにキリストを求めさせる恵み」です。説教者はこれを次のように定義します。神は福音によって外側から呼びかけ、聖霊によって心の内側に働きかけ、罪人が信仰によって自由にキリストのもとに来て、キリストに従うようにされる。メッセージは三つの流れで進みます。神の主導、意志の変化、そしてふさわしい応答です。

メッセージの流れ

1. 神の主導:イエスは、ご自分を求めていなかった人々を呼ばれる

  • 16〜17節で、イエスはガリラヤ湖のほとりを歩き、シモンとアンデレを見て言われます。「わたしに従ってきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。マルコが彼らについて語るのは、これが初めてです。
  • イエスの時代には、弟子が自分のラビを選びました。経験と円熟を備えた師を、弟子入りする者が選ぶのです。ところがここでは逆で、イエスご自身が弟子たちを選ばれます。
  • ヨハネ15章16節でこう言われます。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである」。ローマ8章30節は神のご計画を思い起こさせます。あらかじめ定められた者たちを、神は召し、義とし、栄光を与えてくださるのです。
  • 「もしイエスが呼びに来られなかったなら、彼らは決してイエスに従わなかったでしょう。それは私たち皆に当てはまります。」イエスはこう言われます。「わたしをつかわされた父が引き寄せて下さらなければ、だれもわたしのところに来ることはできない」(ヨハネ6章44節)。

2. なぜだれも自分の力ではキリストのもとに来られないのか

  • 私たちは生まれながらに、全面的に堕落しているからです。「義人はいない、ひとりもいない。悟りのある者もいない、神を求める者もいない」(ローマ3章10〜12節)。
  • パウロは、人が道を見つけ直せるような「遠く離れた」存在だとは言っていません。迷子であり、自分では戻れないのだと言っています。
  • 罪は人のあらゆる面に及んでいます。知性、意志、感情、欲望です。「私たちは願いますが、間違ったものを願うのです。」私たちは罪の中に死んでいました(エペソ2章1節)。
  • 死んで四日たったラザロの墓の前で、イエスが呼ぶと、ラザロは出てきます。「呼びかけが結果を生んだのです。」
  • コリント第二4章4節によれば、この世の神が不信者の心の目をくらませています。ですから、神が主権的な御業によって、見えない人の目を開いてくださる必要があります。

3. 心に光を生み出す召し

  • 「「やみの中から光が照りいでよ」と仰せになった神は、キリストの顔にある神の栄光の知識を明らかにするために、わたしたちの心を照らして下さったのである」(コリント第二4章6節)。これは創世記1章の神、「光あれ」と言われた神です(創世記1章3節)。
  • 「これは奇跡です。」神が呼ばれるとき、心に光が生まれ、その人はイエス・キリストの美しさと輝きを悟ります。
  • 召された人々は、もはや十字架を愚かなものとは見ず、神の力、神の知恵として見ます(コリント第一1章18、24節)。
  • ルデヤに起こったのがこれです。「主が彼女の心を開いて、パウロの語ることに耳を傾けさせた」(使徒行伝16章14節)。「神が私たちの心を開いてくださらなければ、私たちは福音のメッセージに注意を向けないでしょう。」
  • 第一の意味合いは謙遜です。「私がクリスチャンなのは、他の人より優れていて、賢くて、受け入れやすかったからだ」と言える人はいません。すべては恵みです。
  • 第二の意味合いは礼拝です。私たちはよく、自分の回心をこう語ります。「神を探し、考え、信じようと決めた」。マルコが示すのは、来られるのはイエス、呼ばれるのはイエス、変えてくださるのもイエスだということです。なぜある人は信じ、その配偶者は信じないのでしょうか。なぜ教会の迫害者だったパウロが使徒になったのでしょうか。「神が彼らに恵みを注がれたからです。」

4. 意志の変化:強制は行動させ、召しは望ませる

  • 17〜18節では、「すぐに網を捨てて、イエスに従った」とあります。同じ即座の応答は、20節のヤコブとヨハネにも、マルコ2章14節のレビにも繰り返されます。
  • イエスには催眠術のような力があったのでしょうか。いいえ。説教者は兵役を思い出します。18歳のとき、当時のフランスの若者全員と同じく、召集されました。召集令状があり、12か月の法的義務があり、拒めば罰則がありました。権力は、心からの同意なしに、外面的な服従を得たのです。
  • イエスの呼びかけは、そのような種類のものではありません。「強制は意志に逆らって働きます。」宗教はそのように動きます。「しかしキリストの召しは、意志そのものに働きかけます。」
  • 神は御霊によって心の向きを変え、私たちが拒んでいたものを望ませ、自由に神のもとへ来させてくださいます。「強制は行動させ、キリストの召しは望ませます。神の恵みは意志を壊すのではなく、むしろ意志を自由にします。」

5. 一般の召しと効果的な召し:私たちが伝道し、祈る理由

  • 14〜15節で、イエスはすでに福音を宣べ伝え、群衆に悔い改めを呼びかけておられました。これが一般の召しであり、教会は今もすべての人に呼びかけ続けています。「わたしたちはキリストの使者なのである。それはあたかも、神がわたしたちをとおして勧めをなさっているようなものである。そこで、キリストに代って願う、神の和解を受けなさい」(コリント第二5章20節)。
  • 一方、効果的な召しは、すべて神の御業です。個別的で、内面的で、心の奥底に触れ、必ず実を結びます。意志に反して信じさせるものではなく、説教や人間の応答と対立するものでもありません。神は福音の宣教を用いて、ご自分の民を呼ばれるのです。
  • 私たちは落胆しません。「人々がキリストを受け入れようとしなかったからといって、私は苦々しく思いません。」彼らは目が見えませんが、神には、目を開き、死者をよみがえらせ、彼らのうちに願いを起こさせ実現に至らせる力があります(ピリピ2章13節)。
  • 救いは、説教の質や説得力にかかっているのではありません。ですから、一つの魂を救ったと誇ることも、説明がうまくいかなかったと罪悪感に押しつぶされることも、ふさわしくありません。
  • 私たちは祈ります。「主よ、彼の心を開いてください。目からうろこを落としてください。キリストの栄光を見せてください。」神の主権は私たちを消極的にするのではなく、大胆にします。「わたしは植え、アポロは水をそそいだ。しかし、成長させて下さるのは、神である」(コリント第一3章6節)。

6. ふさわしい応答:イエスの足跡に自分の足を重ねる

  • マルコは、弟子たちが捨てたものを二度強調します。シモンとアンデレは網、つまり「仕事」を。ヤコブとヨハネは父ゼベダイを、雇人たちと舟にいたまま、事業のすべてを。
  • マルコは「彼らはイエスを信じようと決めた」とは書かず、「イエスに従った」と書きます。「キリスト教とは、イエスが道であると信じることだけではありません。キリスト教とは、イエスの足跡に自分の足を重ねることです。」心からの従順であって、単なる知的な同意ではありません。
  • マルコは弟子たちの言葉を一つも伝えていません。心が照らされると、キャリアも、家業も、地位も、「カトリックであれ、イスラム教であれ、世俗的であれ」文化の圧力も、イエスの魅力の前ではさほど重くありません。
  • これは狂信でしょうか。一方には、本当は実践していない信者がいます。他方には、規則の上に規則を重ね、同じようにしない人を見下す狂信者がいます。イエスは、遠くからついていく相手ではありません。「日曜日の10時から12時」に加わるよう招くのではなく、毎日自分の十字架を負うように(ルカ9章23節)、そして自分の家族よりもご自分を愛するように(ルカ14章26節)と言われます。
  • 説教者はティム・ケラーを引用します。イエスは、ほかのあらゆる愛着が比べると憎しみに見えるほど、完全に、激しく、持続的に従われることを望んでおられます。
  • 「イエスさま、キャリアが前進するなら従います」「まとまりのある家庭、家、夫、赤ちゃんを与えてくださるなら」……。「『なら』という言葉に結びついているものこそ、あなたの本当の主人です。」イエスは私たちの目的を果たすための手段ではありません。「イエスはあなたのしもべではなく、主人です。」

7. あなたを呼ぶ方は、従うにふさわしい方である

  • マルコは最初の1節から、「神の子イエス・キリスト」を紹介します。この方は、イザヤ(2節)が告げ、またバプテスマのヨハネが告げた方です。ヨハネは、自分はその方のくつのひもを解く値打ちもないと思っていました(7節)。
  • 父なる神がイエスを証しされます。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」(11節)。御霊はイエスの上にとどまり(10節)、御使いたちは仕え(13節)、イエスは悪魔に打ち勝ち、その業を滅ぼすために来られます(13節と23節以下)。
  • 「毎日イエスに従うことは狂信ではなく、その召しに対するふさわしい応答です。」配偶者、両親、子どもへのあなたの愛は、イエスを心を尽くして愛すること以上に大きくなることはありません。
  • 宗教とは、神のみもとに席を得るための助言です。チャンピオンになり、他の人より優れ、優越感を持たなければなりません。福音は良い知らせです。イエスは完全な命を十字架で差し出し、失われた罪人のための身代金とされました。それは贈り物、恵みであり、感謝と、イエスに似たいという願いを生み出します。なぜなら「あなたがたの主人は謙遜で柔和な方」だからです。
  • 「わたしは良い羊飼である。[...] わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについてくる」(ヨハネ10章14、27節)。説教者はこう結びます。「罪の重さに押しつぶされているなら、死とさばきを前に震えているなら、羊飼いの呼びかけを聞いてください。わたしに従ってきなさい。」ありのままの姿で来て、イエスの犠牲に身をゆだねてください。落胆に打ちのめされているなら、イエスは平安と安息、そのすべての宝を差し出してくださいます。

心に留めたいこと

  • 不可抗の恵みとは、私たちにキリストを求めさせる恵みです。神は福音によって呼び、御霊によって心を変えてくださいます。
  • だれも自分の力でイエスのもとに来ることはできません。ラザロの場合のように、神の召しは、命じるその命を生み出します。
  • 強制は行動させ、キリストの召しは望ませます。恵みは意志を壊さず、意志を自由にします。
  • 心を開いてくださるのは神だけですから、私たちは苦々しさも高ぶりもなく福音を伝え、大胆に祈ります。
  • すべてを捨ててイエスに従うことは狂信ではなく、神の子の前でのただ一つのふさわしい応答です。

個人への問いかけ

  • 自分の回心を語るとき、それを自分の決断として語っていますか。それとも、来て、呼び、変えてくださったイエスの御業として語っていますか。
  • 心を閉ざしているように見えて、祈るのをやめてしまった人があなたの周りにいませんか。「目からうろこを落としてください」と祈ると、あなたの中で何が変わるでしょうか。
  • イエスへの従順に、どんな「なら」がついていますか。キャリア、健康、家族、ある計画でしょうか。それはあなたの本当の主人について何を表していますか。
  • シモンとアンデレの網のように、あなたがまだ自分の安定として握りしめているものは何ですか。
  • 生活のどの領域で、毎日ではなく、日曜日の10時から12時だけ、イエスに「遠くから」従っていますか。

引用された聖句

よくある質問

不可抗の恵みとは何ですか。

私たちにキリストを求めさせる恵みのことです。効果的な召しとも呼ばれます。神は福音によって外側から呼びかけ、聖霊によって心の内側に働きかけ、罪人が信仰によって自由にキリストのもとに来て、キリストに従うようにされます。神が私たちの意志に反してキリストのもとへ引きずっていくのではなく、神が私たちの目を開き、心を神へと向けさせてくださるのです。

神だけが心を開いてくださるのなら、なぜ伝道し、祈るのですか。

神は、まさに福音の宣教を用いて、ご自分の民を呼ばれるからです。救いは、私たちの説教の質や説得力にかかっているのではなく、神にかかっています。そのことは私たちを苦々しさと高ぶりから守り、祈るための特別な理由を与えてくれます。主よ、彼の心を開いてください。目からうろこを落としてください。

すべてを捨ててイエスに従うことは狂信ですか。

いいえ、ふさわしい応答です。イエスは、あなたの人生に対して権威を振りかざす人ではありません。マルコはイエスを、キリスト、神の子、父がその心にかなうとされた方として紹介しています。宗教は神のみもとに席を得るための助言を与え、福音は良い知らせを告げます。私たちがイエスに従うのは優越感を持つためではなく、私たちの主人が柔和で謙遜な方であり、その方に似たいと願うからです。

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