はじめに
「わたしはまことのぶどうの木で、わたしの父は農夫です。」ヨハネ15章1-5節をもとに、改革長老教会であるCovenant Church Londonの牧師、J. M. Bragatto師は、その夜「神の契約における犠牲」について説教します。前日には教会でバプテスマが行われ、この夕礼拝は聖餐で締めくくられます。
出発点は単純です。聖書が語るのはただ一つの物語、救いの物語だということです。人はエデンの園で神に背き、裁きが人類に及びましたが、神はイエス・キリストによる救いの計画を進めてこられました。「聖書全体が、ただ一人の方について語っています。イエスについてです。」
この物語を理解するために、説教者は聖書を「契約的に」読むよう勧めます。神がご自分の民を救うために契約を通してどのように働かれたかを見ること、そしてどの段階でも犠牲が十字架を指し示していることに気づくことです。最後にヨハネ15章に戻り、契約に属する者は、ぶどうの木にとどまって実を結ぶよう召された枝であると語ります。
メッセージの流れ
1. 聖書は一つの物語を語る一冊の書である
- マラキ書とマタイの福音書の間に、「新約聖書」と書かれたページがあります。牧師は「そのページは使徒たちが書いたものではありません」と注意します。後から、読み手が位置を確かめやすいように加えられたものです。
- 聖書の新しい書は旧約聖書を絶えず引用します。著者たちは自分が何か新しいものをもたらしているとは考えていなかったからです。「聖書は、二冊の本を貼り合わせたものではありません。」
- ノアとその家族が箱舟に入るとき、私たちも霊的に彼らとともに入ります。神の民がエジプトを出るとき、「私たちもエジプトを出たのです」。
- パウロはガラテヤの教会に、アブラハムは神を信じ、それが義と認められたこと、そして信仰を持つ者はアブラハムの子であることを書いています(ガラテヤ3章6-7節)。同じ神が、旧い時代にも新しい時代にも、同じ民である教会を救い、祝福されます。
- 聴衆の大半はユダヤ人の血筋ではありません。異邦人出身の信者として、契約の民に接ぎ木された人々です。
2. 契約とは何か
- 牧師は、この言葉が長い間わかりにくかったと打ち明けます。説教者たちが契約や「契約の血」について語るのを、外国語のように聞いていたそうです。
- 契約とは神と人との関係であり、上の者と下の者との間の厳粛な結びつきです。そこには祝福と責任があり、それを果たさなければ呪いや結果が伴います。
- 牧師は聖書に七つの契約があると数えます。「引いて見れば、二つしかありません。近づいて見れば、七つ見えます。」
- 説明のために、キャロットケーキの例を挙げます。ニンジンとほかの材料が必要です(ブラジル風なら、チョコレートとコンデンスミルクもたっぷり)。契約にも材料があります。
3. あらゆる契約に共通する要素
- 約束。七つの契約のどれにおいても、神は何かを約束されます。
- 命令と責任。創造の契約(創世記1章から3章)では、神は男と女を祝福し、すべての木を与え、そのうえで善悪の知識の木から食べることを禁じられます。
- 警告。「それを取って食べると、きっと死ぬ」(創世記2章17節)。
- しるしと封印。創造の契約では、いのちの木です。今日では聖餐とバプテスマがそれにあたります。聖礼典とは「見えない恵みの見えるしるし」です。パンとぶどう酒はイエスの完全な犠牲を指し示し、信仰によって私たちは霊的にその肉と血にあずかります。バプテスマは、すべての罪を洗い清めるキリストの血、上から来られる聖霊、そして清めるみ言葉を指し示します。
- 犠牲。堕落後のすべての契約にあります。罪の前には犠牲はありませんでした。
4. アダムからダビデまで、十字架を指し示す犠牲
- 回復の契約。堕落の後、アダムとエバは葉で身を覆いますが、神はそれをお受けになりません。神は彼らに皮の衣を着せられました(創世記3章21節)。彼らを覆うために動物が犠牲にされたのです。「堕落の始まりから、神は救いがイエスにあることを示しておられます。」その後、アベルは群れの最良のものを神に捧げます(創世記4章4節)。
- 保持の契約。箱舟から出たノアは、まず犠牲を捧げます(創世記8章20節)。神は空にしるしとして虹を置き、もう二度とこのように地を滅ぼさないと約束されます。
- 割礼の契約。アブラハムとその子孫との間で、割礼は切ることと血、そして清さを伴います。それは、神の子が私たちを清めるために「生ける者の地から断たれる」ことを予告していました。創世記15章9-18節と22章7-14節に登場します。バプテスマは割礼に代わるもので、もはや血を伴いません。「血はすでに流されたからです。」
- 律法の契約。エジプトを出る前の夜、各家庭は子羊をほふり、その血を戸口に塗らなければなりませんでした(出エジプト記12章)。荒野で犠牲の制度が定められますが、そのすべてがイエスの犠牲に向けられています。
- 王国の契約。ダビデとソロモンも神の前に犠牲を捧げます(サムエル記下6章17-18節、24章18-25節、列王記上8章62-64節)。
5. 新しい契約:イエスの完全な犠牲
- イエスの完全で十分な犠牲は、それを指し示していたすべての犠牲を成就します。「この血によって、私たちは神の御前に出ることができます。この血が、私たちをすべての罪から洗い清めるのです。」
- イエスは聖餐を制定されました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。飲むたびに、わたしを覚えてこれを行いなさい」(コリント人への手紙第一11章25節)。このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで主の死を告げ知らせるのです。
- バプテスマは一度だけ授けられます。それは契約と見える教会に入るしるしです。聖餐は、キリストとの間で続いていく関係のしるしであり、封印です。
- だからこそ、主の食卓に来る前に自分を吟味します(コリント人への手紙第一11章28節)。そこに迎えられるのは、聖餐が何であるかを理解し、教会の前で信仰を告白し、自分を吟味した人々です。
6. ぶどうの木と枝:契約の条件に従って生きる
- 新しい契約は一本の木のようです。ローマ人への手紙11章ではオリーブの木、ヨハネ15章ではぶどうの木です。私たちはそれぞれ枝であり、神はどの枝にも実を結ぶことを期待しておられます。
- 約束は「あなたがたとその子どもたちのもの」です(使徒の働き2章39節)。バプテスマを受けた子どもは、すべてを理解するまで中立の場所にいるのではありません。「その子はすでに木に属しています。」神は、その子が真理の知識に成長し、しかるべき時に悔い改めと信仰の実を結ぶことを期待しておられます。
- すでに信仰を告白した人々も、心を新たにし、新しいいのちに歩むことで、新しい生き方の実を結び続けるよう召されています。
- では選びについてはどうでしょう。予定は聖書の事実ですが、神はそのリストを私たちに与えてはおられません。「リストを持っていると想像してみてください。あなたは自分の名前を見つけます。そして、あまり好きでない人の名前がそこにありません。あなたはその人にどう接しますか。」神はむしろ、敵を愛するよう求めておられます。「私たちは選びや予定によって生きるのではありません。契約によって生きるのです。」
- 契約の条件はヨハネ15章にあります。実を結ばない枝は取り除かれ、実を結ぶ枝はきれいに手入れされます。「神はあなたがもっと実を結ぶように、あなたの人生を整えてくださいます。」
- 十字架のことばは、あなたには愚かに思えますか。もしそれが救いをもたらす神の力であり、あなたの人生を変えたのなら、それはあなたが死からいのちに移ったしるしです(ヨハネ5章24節、コリント人への手紙第一1章18節)。
7. ヘブル人への手紙10章の警告と確信
- 牧師は、これを聖書の中でもっとも難しい箇所の一つと見ています。木と枝のイメージを理解すると、意味がはっきりしてきます。
- ヘブル人への手紙10章28-29節は、「神の子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものと見なした」者には、さらに重い罰があると告げます。どの契約にも警告があります。
- 「聖なるものとされた」とは、区別されたという意味です。コリント人への手紙第一7章14節でパウロは、親の一方だけが信者である家庭の子どもたちは聖である、つまり主に仕えるために区別されている、と書いています。契約の一員でありながら、主を捨て、イエスの名を冒涜するまでに至る人は、この血を踏みつけているのです。
- 「生ける神の手に陥るのは恐ろしいことです」(ヘブル人への手紙10章31節)。終わりの日に、神は羊と山羊を分けられます(マタイ25章32節)。
- しかし19節から23節は確信を与えます。イエスの血によって、私たちは聖所に大胆に入ることができ、心は悪い良心から清められ、からだは清い水で洗われています。それが「私たちのバプテスマ」です。「約束してくださった方は真実な方です。」
- イエスの血と苦しみのゆえに、あなたのすべての罪が赦されたと信じるなら、キリストの義があなたのものとされ、あなたの負債は支払われ、神の御前に出ることができます。神はみ言葉と聖礼典を通して、そのことを確かにしてくださいます。
- どうすればぶどうの木にとどまれるのでしょうか。「あなたがたがわたしにとどまり、わたしの言葉があなたがたにとどまるなら」(ヨハネ15章7節)。キリストの言葉によって造り変えられた心は祈り方を知っており、神はそれに答えてくださいます。
心に留めたいこと
- 聖書は、神の契約を通してイエス・キリストにある救いという一つの物語を語る、一冊の書です。
- 契約とは神との厳粛な関係です。約束、命令、警告、しるしと封印、そして堕落以来の犠牲があります。
- エデンの獣の皮からダビデとソロモンの犠牲に至るまで、すべての犠牲が、完全で十分なイエスの犠牲を指し示しています。
- バプテスマは契約に入るためのもの、聖餐は続いていく関係を封印するものです。神はみ言葉と聖礼典によってご自分の約束を確かにされます。
- あなたは、知ることのできない選ばれた者のリストによってではなく、契約によって生きるのです。キリストにとどまり、実を結びましょう。
自分への問いかけ
- あなたは聖書を、イエスについて語る一つの物語として読んでいますか。それとも二冊の別々の本として読んでいますか。
- 神はあなたの中で、どんな実を育てておられますか。また、どの面で手入れされていると感じますか。
- 十字架のことばは、あなたにとって愚かなものですか。それともあなたの人生を変えた神の力ですか。
- 主の食卓に来る前に、自分を吟味して、どのように備えていますか。
- 今週、キリストの言葉があなたの中にとどまるために、何が助けになるでしょうか。
引用された聖句
- ヨハネによる福音書15章1-8節
- ガラテヤ人への手紙3章6-7節
- 創世記2章16-17節
- 創世記3章21節
- 創世記4章4節
- 創世記8章20節-9章17節
- 創世記15章9-18節
- 創世記22章7-14節
- 出エジプト記12章
- サムエル記下6章17-18節
- サムエル記下24章18-25節
- 列王記上8章62-64節
- コリント人への手紙第一11章23-28節
- ローマ人への手紙11章17-24節
- 使徒の働き2章39節
- ヨハネによる福音書5章24節
- コリント人への手紙第一1章18節
- コリント人への手紙第一7章14節
- ヘブル人への手紙10章19-31節
- マタイによる福音書25章32節
よくある質問
聖書における契約とは何ですか?
J. M. Bragattoによれば、契約とは神と人との間の厳粛な関係であり、上の者と下の者との間の結びつきです。そこには約束、命令と責任、警告、しるしと封印、そして堕落以来、イエスの犠牲を指し示す犠牲が含まれます。
なぜ堕落後のすべての契約に犠牲があるのですか?
アダムとエバに与えられた獣の皮から、ダビデとソロモンの捧げ物に至るまで、すべての犠牲は、イエス・キリストの完全で十分な犠牲を指し示しています。新しい契約はその成就であり、あらゆる罪を洗い清め、神の御前に出る道を開くのは、イエスの血です。
ヨハネ15章によれば、どうすればぶどうの木にとどまれますか?
イエスは7節で答えておられます。あなたがたがわたしにとどまり、わたしの言葉があなたがたにとどまるなら、ということです。説教者は、み言葉が心を造り変えるので、神のみこころにかなう祈りを学べるのだと説明します。神は、み言葉と聖礼典、すなわちバプテスマと聖餐を通して、ご自分の約束を確かなものとされます。