民数記12章:神が立てられた秩序にとどまる

読了時間 1分

はじめに

民数記12章でミリアムとアロンがモーセを非難する時、それは小さな家族げんかではありません。イスラエルを約束の地へ導くために神が立てられた秩序そのものが、攻撃を受けているのです。神ご自身が遣わされた二人の人物(ミカ6:4)が、自分たちの兄弟に与えられた立場に異を唱え始めます。そしてこの物語を通して、神は今日のあなたに語りかけておられます。あなたが神の民の中で担っている役割について、あなたの比較について、あなたの心の中の静かなねたみについて、そしてあなたが道を外れた時にあなたを連れ戻す恵みについてです。

このメッセージは、民数記11章から始まった学びの続きです。これは歴史の授業ではありません。神がご自分の民の中に秩序を立てられた理由、その秩序があなたをどう守っているのか、そしてあなたが気づかないうちにそこから外れてしまうとどうなるのかを理解することが目的です。

アウトライン

1. 神がご自分の民の中に立てられた秩序

民数記12章を開く前に、神がモーセの周りに築かれた構造を見ておく必要があります。エジプトを出たばかりの200万人から300万人ものイスラエルの民が崩れずにいられるのは、モーセが天才だったからではありません。神があらゆる段階を組織してくださったからです。

その頂点には神ご自身がおられます。雲の柱と火の柱が民を導き、モーセはそれを見て歩みます。次にモーセ。彼は40年の荒野生活の後に召し出され、自分自身が失敗した人間であり、神によって立ち上がらされた者であることを知っていました。彼の兄アロンは、神と民の間に立つ大祭司となります。彼もまた不完全であり、金の子牛を作ってしまったほどですが、それでも恵みによってその務めにとどまり続けます。彼らの姉妹ミリアムは出エジプト記15:20で「女預言者」と呼ばれています。紅海を渡った後、女性たちを賛美へと導いたのは彼女でした。

彼らの周りには、モーセに与えられた霊の力の一部を受け取った70人の長老たちがいます(民数記11章)。まだ人数の少ない祭司たち、つまりアロンとその息子エルアザルとイタマルが奉仕を行います。レビ人たちは幕屋を運び、組み立てます。そして出エジプト記18章にあるエテロの助言に従い、千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長が民の間の事件をさばきます。数えてみれば、この組織には数万人もの人々が関わっていることになります。

何一つ偶然に任されてはおらず、何一つ人間の働きの上に成り立ってはいません。すべては神が立てられたからこそ成り立っているのです。だからこそ、かつて奴隷であった大群衆が、40年もの間、荒野で崩壊しなかったのです。

2. ミリアムとアロンの反逆

「ミリアムとアロンは、モーセがめとったクシュの女のことで、モーセを非難した」(民数記12:1-2)。二人はこう言います。「主はただモーセによってのみ語られたのか。私たちによっても語られたではないか。」

モーセの妻とは、ミディアン人のツィポラのことです(出エジプト記2:21)。ではなぜ本文は「クシュの女」と記しているのでしょうか。このメッセージはそれを断定しようとはしていません。他に結婚についての記述はなく、最も単純な読み方はやはりツィポラだというものです。大切なのは彼の妻の民族ではありません。ミリアムとアロンが口実を探していたということです。2節がそれを示しています。彼らの本当の問いは、この女性とは何の関係もなく、モーセ自身に向けられているのです。「なぜ彼だけで、私たちではないのか。」

浮かび上がってくるのは、ねたみです。心の底にある苦さです。比較です。彼らは自分に与えられた役割を見つめ、モーセの役割を見つめ、それを公平だとは思えません。自分でも気づかないうちに、兄弟を批判することで、彼らは兄弟をその場所に置かれた神ご自身を批判しているのです。

3.「モーセは非常に柔和であった」

民数記12章3節は、まるで挿入句のように置かれています。「さて、モーセは地の上のだれにもまさって、非常に柔和な人であった。」ここで使われているヘブル語「アナヴァー」は、山上の説教の中で「柔和」と訳されている言葉と同じものです。「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです」(マタイ5:5)。

聖書における柔和さとは、弱々しいことではありません。神の前での自分自身の貧しさを知り、自分がどれほど恵みによって立ち上がらされたかを知り、それゆえに自分の力を自己弁護のために使わないことです。モーセには力がありました。彼はパロと渡り合った人物であり、ミリアムとアロンを圧倒することもできたはずです。しかし彼はそうしませんでした。自己弁護すらしません。彼はこの件を神に委ねます。

柔和さとはこういうことです。仕返しをしないほど神を信頼すること。自分で「けじめをつけよう」としないこと。「仕返し」をしないこと。「倍返し」をしないこと。神に神であることを委ねることです。

4. 神がご自分のしもべを弁護される

神は三人を会見の天幕に呼び出されます(民数記12:4-8)。神は雲の柱の中に降りてこられ、率直に語られます。「あなたがたのうちに預言者がいるなら、わたし、主は幻の中で自分を彼に知らせ、夢の中で彼と語る。わたしのしもべモーセはそうではない。彼はわたしの全家を通じて忠実な者である。わたしは彼とは口ずから、明らかに語り、なぞによらない。彼は主の姿を仰ぎ見るのだ。あなたがたはどうして恐れずに、わたしのしもべモーセを非難したのか。」

神はすべてのご自分の子どもたちに語られます。あなたにも語られます。祈りの中で、ある一節を通して、あなたを戒めてくれる兄弟を通して、あなたの心に臨む平安を通して。しかし、神が誰かに委ねられること、示されること、与えられる明確さには違いがあります。この違いは神の決定であって、価値の序列ではありません。

神がミリアムとアロンを責められたのは、彼らが神の声を聞きたいと願ったからではありません。二人はすでにそれを聞いていました。責められたのは、自分の立場に忠実であることではなく、モーセと同じ立場を求めたことでした。

5. 懲らしめと回復

雲が去ると、ミリアムは「雪のように」ツァラアト(規定の病)に冒されます(民数記12:10)。恐れたアロンはモーセのもとに駆け寄ります。「ああ、わが主よ。私たちが愚かにも犯してしまった罪のために、その罰を私たちに負わせないでください。」

アロンは誰に頼るべきかを知っていました。彼は何度もモーセが民のためにとりなしてきた姿を見てきました。彼は神のあわれみを知っていました。大祭司として、彼自身がまさにそれを経験してきたのです。

そしてモーセは、驚くほど簡潔な祈りで答えます。「ああ、神よ。どうか彼女を癒やしてください」(民数記12:13)。たった一節です。長い説教もなく、姉妹への非難もありません。今しがた身内から公然と攻撃されたこの人物が、彼らの癒やしのために願い出るのです。

この言葉に注目してください。「癒やしてください」であって、単に「きよめてください」ではありません。モーセが願っているのは、単なる皮膚病の終息ではなく、神との壊れた関係の回復です。これこそ本当の祈りです。見える快適さだけでなく、深いところでの回復を求めることです。

神はミリアムを七日間、宿営の外に置くことでお答えになります。民全体が歩みを止めます。この七日間は悔い改めの時です。厳しい時であり、有益な時です。最後に彼女は宿営に戻されます。神は懲らしめることによって回復させてくださるのであって、決して断罪するためではありません。そして神が赦す時、それはイエス・キリストの血のゆえに、100パーセント、少しの留保もなくなされます。

心に留めておきたいこと

  • 神はいつもご自分の民の中に秩序を立てられます。その秩序は規則のかごではなく、あなたを約束された安息へと運んでくれる守りです。
  • その秩序の中に完全な人は一人もいません。モーセも失敗しました。アロンも失敗しました。すべてを支えているのは実績ではなく、恵みです。
  • 自分の役割を他人のものと比較することは、ねたみへの扉を開きます。そしてねたみは、気づかないうちに神を批判するようになります。
  • 聖書的な柔和さは弱さではありません。神が対処してくださると知っているからこそ、自分で自分を守ろうとしない強さです。
  • 神の懲らしめは愛のしるしです。神があなたを戒められるのは、あなたを失いたくないからです。
  • 短く誠実な祈りは、心のこもらない長い祈りよりも重みがあります。

個人への適用

  • 今、あなたが教会で、家庭で、チームの中で神から委ねられている場所、役割、奉仕は何でしょうか。それを言葉にできますか。
  • あなたが自分より優れていると感じたり、逆に自分より劣っていると感じたりして、しじゅう比較してしまう相手はいませんか。その比較はあなたの中に何を生み出していますか。
  • 誰かに公然と非難された時、あなたはどう反応しますか。自分を弁護しますか、それともモーセのように神にその件を委ねますか。
  • 今、神があなたをより厳しい懲らしめに進む前に、優しく戒めようとしておられる領域はありませんか。
  • あなたが他者のためにする祈りは、その人の一時的な安らぎだけを求めていますか。それとも神との関係の深い癒やしをも求めていますか。

引用された聖句

  • 民数記12章 - ミリアムとアロンの反逆、モーセの弁護、懲らしめと回復。
  • 民数記11章 - 霊に満たされた70人の長老たち。
  • 出エジプト記15:20 - 女預言者ミリアムが賛美を導く。
  • 出エジプト記18章 - エテロがモーセに千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長を立てるよう助言する。
  • ミカ6:4 - 「わたしはあなたの前にモーセ、アロン、ミリアムを遣わした。」
  • マタイ5:5 - 「柔和な者は幸いです。」
  • コリント第一15:9-10 - 「神の恵みによって、私は今の私になりました。」
  • エペソ3:2 - 恵みとして受けた務め。
  • ピリピ4:6-7 - 感謝をもって、あなたの心にある重荷を神に打ち明けること。

よくある質問

アロンも同じように罪を犯したのに、なぜミリアムだけがツァラアトに冒されたのですか。

本文は直接その理由を説明していません。ミリアムが反対運動の主導者であった可能性が高いと考えられます。民数記12:1で先に名前が挙げられているのは彼女だからです。また、アロンは大祭司であり、彼を打つことは民全体の幕屋での奉仕を止めてしまうことになります。神の懲らしめは的を絞ったものですが、その目的は果たされます。アロンは自分たちが犯したことの重大さを悟り、二人のためにモーセに懇願するのです。

モーセの「クシュの女」とは、ツィポラのことですか、それとも別の女性のことですか。

最も単純な読み方は、出エジプト記2章に登場するミディアン人ツィポラのことだというものです。二人目の妻がいたと考える人もいますが、それを裏づける記述は聖書のどこにもなく、聖書自体もこの点について非常に控えめです。この箇所で重要なのは彼女が誰かということではなく、ミリアムとアロンが彼女と関係のないねたみを表すために、この一件を口実として使ったということです。

自分の教会でどんな役割を神から与えられているのか、どうすれば分かりますか。

他人と自分を比較するのではなく、繰り返し祈りの中で神に尋ねることによってです。あなたに委ねられた役割は、多くの場合、神があなたの心に置かれること、あなたが忠実に行えること、そして神があなたの目の前に置かれる具体的な必要の中に現れます。部屋を準備すること、いすを並べること、誰かに声をかけること、子どもたちに仕えること。そのひとつひとつは、あなたが勝ち取る地位ではなく、神があなたの内に起こしてくださることへの応答なのです。

メモを取ったり質問したりするにはサインインしてください。

関連記事

説教の公開元 Efficient Church. 説教全体を見る のチャンネルで.

← ブログに戻る

民数記12章:神が立てられた秩序にとどまる | Efficient Church