荒野に道を備えましょう:ウェイメーカーになりましょう

読了時間 1分

はじめに

今日、神様があなたに求めておられることを理解するための、とてもシンプルなイメージがあります。それはあなたの旅行かばんです。休暇に出発する前、あなたはそれを準備するために時間をかけます。何が必要か、行き先はどこか、子どもたちのこと、配偶者のこと、飼っている犬のことまで考えます。何一つ、行き当たりばったりにはしません。もし、あなたが自分の霊的な生活にも同じくらい真剣に向き合ったとしたら、どうなるでしょうか。

「Essere un Waymaker」というシリーズの中で、モメンタムの説教者は、幾世紀もの時を超えて語り継がれてきたひとつの聖句に立ち返ります。「呼びかける者の声がする。『主の道を荒野に備えよ。荒地に、私たちの神のために、大路をまっすぐにせよ。』」(イザヤ40:3)。キリストより七世紀も前にイザヤによって語られたこの叫びは、ヨルダン川のほとりでバプテスマのヨハネによって受け継がれます。それは今日もなお響き渡っており、あなたに向けても響いているのです。

あなたは、まず自分自身の道を切り開いていなければ、他の人のために道を開くことはできません。この記事では、出発する前に、あなたのかばんの中身を確認していきましょう。

説教の構成

1. まず、自分自身の道を備えましょう

バプテスマのヨハネが「道を備えよ」と叫び始めたのは、偶然ではありません。彼の人生全体が、この使命を中心に築かれていました。ルカ1:41には、母エリサベツの胎の中にいた時、マリアが母に挨拶した瞬間に、彼が踊ったことが記されています。彼はすでに、やがて来られる方を認識していたのです。荒野の人であり、世の目には片隅に追いやられた存在でしたが、彼はただひとつのことのために生きていました。それは、イエス様の到来のために人々の心を備えることです。

御言葉を外に運ぶ前に、まずそれを自分の内側に運ばなければなりません。神様の御言葉は「両刃の剣よりも鋭く」、たましいと霊、関節と骨髄をも刺し通すまでに入り込み、心の思いやはかりごとを見分けます(ヘブル4:12)。しかし、それはあなたを責めるためのものではありません。御言葉があなたに触れる時、神様はあなたが理解したことを喜んでくださいます。言葉に詰まる時には、聖霊様がことばにならないうめきをもって執り成してくださいます(ローマ8:26)。あなたは満たされ、強められ、神の子どもとしてのアイデンティティの中に再び立たされるのです。

客室乗務員がキャリーバッグを持ち歩くように、御言葉をどこへでも、毎日携えていきましょう。その時こそ、あなたは外に出て行く備えができているのです。

2. 御言葉と一致した生き方をしましょう

「神である主の霊が、わたしの上にある。主が、わたしに油を注いだからだ。主はわたしを遣わして、貧しい者に良い知らせを伝えさせ、心の傷ついた者をいやし、捕らわれ人に自由を告げさせるためである。」(イザヤ61:1)。あなたも同じ油注ぎを受けています。あなたは聖霊に満たされているのです。ですから、外に出て行き、イエス様のことを語り、まだ主を知らない人々のために道を備えましょう。

しかし、外に出て行くには一貫性が求められます。海に行くための旅行かばんに、スキー靴を詰める人はいません。主の道を歩むと決めたなら、あなたの行いは、その行き先にふさわしいものでなければなりません。モメンタムの大会でエマヌエーレ・フレディアーニが語っていたように、あなたのサインとは、あなたの行いそのものです。人々があなたを覚えているのは、あなたが語ったことによってではなく、あなたが行ったことによってなのです。

車にクリスチャンのステッカーを貼っていても、割り込んできた車の運転手に暴言を吐いてしまうなら、それはあなたを本当のクリスチャンにはしません。祝福しなさい、呪ってはいけません(ローマ12:14)。運転中でさえ、あなたは二度と会うことのない誰かに、いのちのことばをかけることができます。あなたはその後どうなるかを知らないまま、道を開いているのです。

3. 自分の意志ではなく、父なる神様の御心を行いましょう

ウェイメーカーであるということは、時に、自分がしたくないことをすることでもあります。イエス様ご自身も、ゲツセマネで、ペテロ、ヤコブ、ヨハネにこう言われました。「わたしは死ぬほどに悲しい。」そして、こう祈られました。「わが父よ。もしできることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたが望まれるようになさってください。」(マタイ26:38〜39)。イエス様はこの祈りを三度祈られました。

もし神様が、あなたを傷つけた人、もう二度と会いたくない人のところへ行くように求められるなら、従いましょう。あなたはそれを自分のためにするのでも、その人のためにするのでもありません。イエス様のためにするのです。なぜなら、イエス様があなたのためにそうしてくださったからです。こうして神様は、あなたを用いて、誰かの人生に道を開いてくださるのです。

4. 柔和さの模範となりましょう

「あなたがたの寛容を、すべての人に知らせなさい。」(ピリピ4:5)。自己中心的な人、金銭を愛する人、うぬぼれた人、反抗的な人であふれるこの世界の中で(テモテ第二3:1〜5)、柔和さは際立ちます。それは人々の目を引き、好奇心を呼び起こします。

食卓を囲む誰もが誰かの悪口を言っている時、あなたはそれを拒みましょう。ただ「いいえ、私はそれをしません」と言えばよいのです。その一貫性が、人々からの敬意を生み出します。それは周りの人にこう言わせます。「彼(彼女)の語ることは正しい。彼(彼女)の行いも正しい。」あなたは模範となり、扉を開く実例となるのです。

5. 苦しんでいる人のために行動を起こしましょう

善いサマリア人のたとえは、あなたをひとつの選択の前に立たせます(ルカ10:30〜37)。祭司とレビ人は傷ついた人を見て、そのまま通り過ぎました。サマリア人は足を止めました。人を助けるための時間を取りましょう。ただし気をつけてください。助けるということは、その人に代わって問題を解決することではありません。時には、自分のしていることを中断して、そこにいることを示すだけで十分な場合もあります。「喜ぶ者たちとともに喜び、泣く者たちとともに泣きなさい。」(ローマ12:15)。

あなたにはもうひとつ、強力な武器があります。それは祈りです。この説教者は、こんな出来事を語っています。ある日、職場に一人の患者がひどく取り乱した様子でやって来ました。彼女の夫は、家族間に深刻な緊張を抱えながらも、死の床にある義父に別れを告げに行っていたのです。説教者は仕事の手を止め、その患者に飲み物を差し出し、話に耳を傾け、そしてこう尋ねました。「あなたのために祈ってもいいですか。」そして祈りました。その女性は涙を流し、彼女を強く抱きしめました。一週間後、その女性は再びやって来て、こう話しました。一晩中祈り続けたところ、義父の容体が良くなったというのです。一年後も、義父は元気に過ごしています。大切なのは、祈りそのものではありません。この女性の人生の中に、神様へと続く道が開かれたということなのです。

6. 他の人が行かない場所へ、勇気を出して行きましょう

あなたがイエス様を受け入れたなら、あなたの考え方も行動も変えられています。あなたは、自分の人生が確かな土台の上に築かれていることを理解しています。あなたは神様の御手のひらの中に握られているのです(イザヤ49:16)。だからこそ神様は、大胆な霊をあなたに与え、他の人たちが恐れて行かない場所へとあなたを遣わされます。

エステルのことを思い出してください。彼女は、招かれてもいないのに王のもとに出て行き、自分の民を救うために命がけの行動を取りました(エステル4:16)。あなたは今日、自分にもそのような霊があると言えるでしょうか。誰も関わろうとしない人たちのところへ行き、その人たちのためにキリストへの道を開く備えができているでしょうか。

覚えておきたいポイント

  • 他の人のために道を開く前に、御言葉と祈りによって自分自身の道を備えましょう。
  • あなたの霊的なサインとは、語ることではなく、行うことです。
  • 困難な時にも父なる神様の御心を行うことは、ゲツセマネでのイエス様の足跡をたどることです。
  • 柔和さと一貫性は、雄弁な言葉よりも人を引き寄せます。
  • 祈りは武器です。祈りを申し出ることは、神様への道を開くことです。
  • ウェイメーカーは、他の人が踏み出せない場所へ、勇気を出して踏み出す人です。

自分への適用

  • 今日、あなたの霊的な「かばん」の中には何が入っていますか。何が足りないでしょうか。
  • あなたの人生の中で、語ることと行うことが一致していない領域はありますか。それはどこでしょうか。
  • 神様があなたを押し出しておられるのに、避けている人はいませんか。今週、あなたは何をしたいと思いますか。
  • 次の日曜日までに、誰かに「あなたのために祈ってもいいですか」と、シンプルに声をかけることができるとしたら、それは誰でしょうか。
  • あなたにとっての個人的な「荒野」とは何でしょうか。道を開くことのできる場所、人、状況とは、どこにあるでしょうか。

引用された聖句

よくある質問

「ウェイメーカー」であるとは、どういう意味ですか。

それは、御言葉と祈り、一貫性と従順によってまず自分自身の人生を備えることから始め、他の人たちのために神様への道を開く人のことです。その聖書的な根拠は、バプテスマのヨハネによって受け継がれたイザヤ40:3にあります。

自分が避けたいと思っている人のところへ行くように、神様が求めておられるかどうかは、どうすれば分かりますか。

御霊による内側からの促し、御言葉を読むこと、そして祈りが、その手がかりとなります。イエス様でさえ、従う前にゲツセマネで三度祈られたのですから、あなたも見極めるための時間を取ってかまいません。しかし、父なる神様の御心が明らかになったなら、たとえ代償を伴ったとしても、従いましょう。

職場や街中で祈りを申し出るのは、場違いなことではないでしょうか。

この説教者は、ただ話を聞いただけの、取り乱した患者のために祈った経験を証ししています。祈りを場違いなものにするのは、場所ではなく、その人に対する配慮の欠如です。柔和な心をもって申し出るなら、傷ついた心はほとんどの場合、それを受け入れてくれるものです。

メモを取ったり質問したりするにはサインインしてください。

関連記事

説教の公開元 Efficient Church. 説教全体を見る のチャンネルで.

← ブログに戻る