聖書 — 口語訳 (1955)

ヘブル人への手紙 11

概要

ヘブル人への手紙11章は、信仰の大いなる章です。まず信仰の定義から始まります。信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することです。著者はその後、アベルからラハブまでのイスラエルの歴史をたどり、すべてを見通せなくても神に従った男女を示します。勝利を得た人もいれば、苦しんだ人もいて、全員が約束のものを手にしないまま世を去りました。この章は、彼らの待望が私たちとともに成就し、さらにすぐれたものへと向かうと語ります。

この章の5つの区分

  1. 1-3節信仰とは何か:確信と確認
  2. 4-7節アベル、エノク、ノア:神に喜ばれる信仰
  3. 8-22節アブラハム、サラ、族長たち:旅立ち、神の都を待ち望む
  4. 23-31節モーセ、過越し、紅海、エリコ、そしてラハブ
  5. 32-40節勝利と苦しみ、そしてさらにすぐれた約束

1さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。

2昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。

3信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。

4信仰によって、アベルはカインよりもまさったいけにえを神にささげ、信仰によって義なる者と認められた。神が、彼の供え物をよしとされたからである。彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている。

5信仰によって、エノクは死を見ないように天に移された。神がお移しになったので、彼は見えなくなった。彼が移される前に、神に喜ばれた者と、あかしされていたからである。

6信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自分を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。

7信仰によって、ノアはまだ見ていない事がらについて御告げを受け、恐れかしこみつつ、その家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世の罪をさばき、そして、信仰による義を受け継ぐ者となった。

8信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。

9信仰によって、他国にいるようにして約束の地に宿り、同じ約束を継ぐイサク、ヤコブと共に、幕屋に住んだ。

10彼は、ゆるがぬ土台の上に建てられた都を、待ち望んでいたのである。その都をもくろみ、また建てたのは、神である。

11信仰によって、サラもまた、年老いていたが、種を宿す力を与えられた。約束をなさったかたは真実であると、信じていたからである。

12このようにして、ひとりの死んだと同様な人から、天の星のように、海べの数えがたい砂のように、おびただしい人が生れてきたのである。

13これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。

14そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している。

15もしその出てきた所のことを考えていたなら、帰る機会はあったであろう。

16しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。

17信仰によって、アブラハムは、試錬を受けたとき、イサクをささげた。すなわち、約束を受けていた彼が、そのひとり子をささげたのである。

18この子については、「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるであろう」と言われていたのであった。

19彼は、神が死人の中から人をよみがえらせる力がある、と信じていたのである。だから彼は、いわば、イサクを生きかえして渡されたわけである。

20信仰によって、イサクは、きたるべきことについて、ヤコブとエサウとを祝福した。

21信仰によって、ヤコブは死のまぎわに、ヨセフの子らをひとりびとり祝福し、そしてそのつえのかしらによりかかって礼拝した。

22信仰によって、ヨセフはその臨終に、イスラエルの子らの出て行くことを思い、自分の骨のことについてさしずした。

23信仰によって、モーセの生れたとき、両親は、三か月のあいだ彼を隠した。それは、彼らが子供のうるわしいのを見たからである。彼らはまた、王の命令をも恐れなかった。

24信仰によって、モーセは、成人したとき、パロの娘の子と言われることを拒み、

25罪のはかない歓楽にふけるよりは、むしろ神の民と共に虐待されることを選び、

26キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる富と考えた。それは、彼が報いを望み見ていたからである。

27信仰によって、彼は王の憤りをも恐れず、エジプトを立ち去った。彼は、見えないかたを見ているようにして、忍びとおした。

28信仰によって、滅ぼす者が、長子らに手を下すことのないように、彼は過越を行い血を塗った。

29信仰によって、人々は紅海をかわいた土地をとおるように渡ったが、同じことを企てたエジプト人はおぼれ死んだ。

30信仰によって、エリコの城壁は、七日にわたってまわったために、くずれおちた。

31信仰によって、遊女ラハブは、探りにきた者たちをおだやかに迎えたので、不従順な者どもと一緒に滅びることはなかった。

32このほか、何を言おうか。もしギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル及び預言者たちについて語り出すなら、時間が足りないであろう。

33彼らは信仰によって、国々を征服し、義を行い、約束のものを受け、ししの口をふさぎ、

34火の勢いを消し、つるぎの刃をのがれ、弱いものは強くされ、戦いの勇者となり、他国の軍を退かせた。

35女たちは、その死者たちをよみがえらさせてもらった。ほかの者は、更にまさったいのちによみがえるために、拷問の苦しみに甘んじ、放免されることを願わなかった。

36なおほかの者たちは、あざけられ、むち打たれ、しばり上げられ、投獄されるほどのめに会った。

37あるいは、石で打たれ、さいなまれ、のこぎりで引かれ、つるぎで切り殺され、羊の皮や、やぎの皮を着て歩きまわり、無一物になり、悩まされ、苦しめられ、

38(この世は彼らの住む所ではなかった)、荒野と山の中と岩の穴と土の穴とを、さまよい続けた。

39さて、これらの人々はみな、信仰によってあかしされたが、約束のものは受けなかった。

40神はわたしたちのために、さらに良いものをあらかじめ備えて下さっているので、わたしたちをほかにしては彼らが全うされることはない。

鍵となる聖句

1節
さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。

信仰は、望んでいることへの確かな確信、まだ見ていないことへの確認として示されます。それは印象ではなく、神のことばに根ざしています。

6節
信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自分を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。

信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられること、そして神を求める者に報いてくださることを信じなければなりません。

8節
信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。

アブラハムは、どこへ行くのかを知らずに出て行きました。この例は、全体の計画を知る前に、具体的な従順となって表れる信仰を示しています。

13節
これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。

族長たちは約束のものを受けないまま死にましたが、それを遠くから見て、自分たちが地上では旅人であることを認めました。信仰は、現在よりも遠くを見つめます。

26-27節
キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる富と考えた。それは、彼が報いを望み見ていたからである。 信仰によって、彼は王の憤りをも恐れず、エジプトを立ち去った。彼は、見えないかたを見ているようにして、忍びとおした。

モーセが耐え抜いたのは、報いに目を注ぎ、見えない方を見ていたからです。ここでの信仰は、捨てる勇気と、恐れない勇気を与えます。

この章に登場する人物

説教が語っていること

信仰に踏み出す:聞き、従い、忍耐するブリュノ・アスティエは、ヘブル人への手紙11章6節から、頭で信じる信仰と、救う信仰とを区別します。生きた信仰の三つのしるしは、みことばを聞くこと、従うこと、忍耐することです。要約を読む →啓示から実現へ:従順という道サミュエル・ペテルシュミットは、11章8節に基づいてアブラハムを取り上げます。アブラハムは従い、どこへ行くのかを知らずに出て行きました。神から受ける啓示と、その実現との間をつなぐものが従順だと語ります。要約を読む →神は語られた。今こそ信仰によって歩み出そうトニー・チバンギュ牧師は、11章1節と2節の光のもとでエリヤの信仰を読みます。信仰は神の語られたことに基づき、語り、行動し、成就するまで忍耐します。要約を読む →あきらめる時ではない、エリコと六周目の忍耐ジャスマン=ピエ・ビアンブニュは、エリコと11章1節から、六周目にいる人々を励まします。壁を見るのではなく、約束を見るまなざしを選ぶよう招いています。要約を読む →解放者たちへ:モーセのように、もっと先を見る説教者は、モーセがパロの前でも震えなかったのは、見えない方を見ていたからだと語ります(11章27節)。死んだように見えるものを越えて、目を上げるよう招いています。要約を読む →

ヘブル人への手紙11章についてよくある質問

ヘブル人への手紙11章1節にある信仰の定義は何ですか

著者は、望んでいる事がらの確かな確信であり、まだ見ていない事実の確認だと述べています。ですから、信仰は感情に尽きるものではありません。それは神のことばと真実に基づく信頼であり、まだ目に見えないものを、すでに確かなものとします。

なぜヘブル人への手紙11章にはこれほど多くの人物が登場するのですか

それぞれが信仰の一面を示しています。アベルはささげ、エノクは神とともに歩み、ノアは箱舟を造り、アブラハムは旅立ち、モーセは捨てました。著者は、疲れたクリスチャンたちに、自分たちより前にも耐え抜いた信仰者がいたことを示して励まそうとしています。12章は、読者を取り巻く証人の雲というたとえで、この姿を引き継いでいます。

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできない」とはどういう意味ですか

6節は、神に近づく者は、神がおられること、そして神を求める者に報いてくださることを信じなければならないと語っています。神との関係は、成果ではなく信頼に基づいています。完全な信仰ではなく、動き出す本物の信仰が求められています。

なぜ信仰の人々の中には、約束を受けなかった人がいるのですか

13節と39節ははっきり語っています。多くの人は、成就を見ないまま死にました。彼らの信仰は、神が備えてくださる都に向けられていました。本文は、神がさらにすぐれたものを見ておられ、それはキリストにおいて頂点に達し、彼らの歴史は私たちの歴史とつながっていると語っています。

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