聖書 — 口語訳 (1955)

ヘブル人への手紙 3

概要

ヘブル人への手紙3章は、イエスがモーセよりも大いなる方であることを示します。モーセは神の家で仕える者として忠実でしたが、キリストは御子として、その家を治める方として忠実です。続いて著者は、詩篇95篇を引いて、荒野の世代のようにならないよう信じる者たちに警告します。彼らは心をかたくなにし、不信仰のゆえに神の安息に入れませんでした。著者は、今日、み声を聞くうちに、背を向けず、日々励まし合うよう呼びかけます。

この章の4つの区分

  1. 1-6節モーセにまさるイエス、神の家を治める御子
  2. 7-11節「きょう、あなたがたがみ声を聞いたなら」:荒野の例
  3. 12-15節不信仰な心に気をつけ、日々励まし合う
  4. 16-19節不信仰のゆえに入れなかった人々

1そこで、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たちよ。あなたがたは、わたしたちが告白する信仰の使者また大祭司なるイエスを、思いみるべきである。

2彼は、モーセが神の家の全体に対して忠実であったように、自分を立てたかたに対して忠実であられた。

3おおよそ、家を造る者が家そのものよりもさらに尊ばれるように、彼は、モーセ以上に、大いなる光栄を受けるにふさわしい者とされたのである。

4家はすべて、だれかによって造られるものであるが、すべてのものを造られたかたは、神である。

5さて、モーセは、後に語らるべき事がらについてあかしをするために、仕える者として、神の家の全体に対して忠実であったが、

6キリストは御子として、神の家を治めるのに忠実であられたのである。もしわたしたちが、望みの確信と誇とを最後までしっかりと持ち続けるなら、わたしたちは神の家なのである。

7だから、聖霊が言っているように、「きょう、あなたがたがみ声を聞いたなら、

8荒野における試錬の日に、神にそむいた時のように、あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない。

9あなたがたの先祖たちは、そこでわたしを試みためし、

10しかも、四十年の間わたしのわざを見たのである。だから、わたしはその時代の人々に対して、いきどおって言った、彼らの心は、いつも迷っており、彼らは、わたしの道を認めなかった。

11そこで、わたしは怒って、彼らをわたしの安息に はいらせることはしない、と誓った」。

12兄弟たちよ。気をつけなさい。あなたがたの中には、あるいは、不信仰な悪い心をいだいて、生ける神から離れ去る者があるかも知れない。

13あなたがたの中に、罪の惑わしに陥って、心をかたくなにする者がないように、「きょう」といううちに、日々、互に励まし合いなさい。

14もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、わたしたちはキリストにあずかる者となるのである。

15それについて、こう言われている、「きょう、み声を聞いたなら、神にそむいた時のように、あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない」。

16すると、聞いたのにそむいたのは、だれであったのか。モーセに率いられて、エジプトから出て行ったすべての人々ではなかったか。

17また、四十年の間、神がいきどおられたのはだれに対してであったか。罪を犯して、その死かばねを荒野にさらした者たちに対してではなかったか。

18また、神が、わたしの安息に、はいらせることはしない、と誓われたのは、だれに向かってであったか。不従順な者に向かってではなかったか。

19こうして、彼らがはいることのできなかったのは、不信仰のゆえであることがわかる。

鍵となる聖句

1節
そこで、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たちよ。あなたがたは、わたしたちが告白する信仰の使者また大祭司なるイエスを、思いみるべきである。

この章の呼びかけは、イエスを「思いみる」こと、つまり注意を向けることです。イエスは神に遣わされた使者であり、犠牲をささげて民のためにとりなす大祭司と呼ばれています。

5-6節
さて、モーセは、後に語らるべき事がらについてあかしをするために、仕える者として、神の家の全体に対して忠実であったが、 キリストは御子として、神の家を治めるのに忠実であられたのである。もしわたしたちが、望みの確信と誇とを最後までしっかりと持ち続けるなら、わたしたちは神の家なのである。

モーセは神の家で仕える者として忠実でしたが、キリストは御子としてその家を治めておられます。この違いはモーセを批判するものではなく、イエスがいかに大いなる方であるかを示しています。

7-8節
だから、聖霊が言っているように、「きょう、あなたがたがみ声を聞いたなら、 荒野における試錬の日に、神にそむいた時のように、あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない。

著者は詩篇95篇を引き、それを聖霊のことばとしています。鍵となるのは「きょう」という言葉です。神の声は今受け取るもので、応えるのを遅らせれば、心はかたくなになりえます。

12節
兄弟たちよ。気をつけなさい。あなたがたの中には、あるいは、不信仰な悪い心をいだいて、生ける神から離れ去る者があるかも知れない。

ここで語られる危険は、目に見える大きな罪というより、生ける神から離れる不信仰な心です。不信仰が問題の根として示されています。

19節
こうして、彼らがはいることのできなかったのは、不信仰のゆえであることがわかる。

章は、荒野の世代が不信仰のゆえに神の安息に入れなかったという結論で終わります。この警告は、今日の読者に向けられています。

説教が語っていること

ヘブル人への手紙3章についてよくある質問

ヘブル人への手紙3章はどういう意味ですか

ヘブル人への手紙3章は、イエスがモーセよりも大いなる方であることを説明します。モーセは神の家で仕える者として忠実でしたが、イエスはその家を治める御子として忠実です。章はさらに、心をかたくなにし、不信仰のゆえに神の安息に入れなかった荒野の世代にならわないよう、信じる者たちに警告します。

なぜ著者はイエスをモーセと比べるのですか

この手紙の読者は、モーセと律法に強い愛着を持つユダヤ人出身のキリスト者でした。著者はモーセを低く見ることなく、忠実であったと認めています。しかし、イエスは御子であり、その家は彼のものであるから、よりまさっていると示します。ですから、後戻りすることは前進ではありません。

心をかたくなにしないとはどういう意味ですか

この言い方は、7節と8節に引かれた詩篇95篇に由来します。荒野で、神のみわざを見ながらも神を信頼することを拒んだイスラエルの民を指しています。心をかたくなにするとは、神の声を聞いたときに応えないことです。本文は「きょう」を強調しており、応答を後に延ばしてはならないのです。

ヘブル人への手紙3章の神の安息とは何ですか

「安息」は、まず荒野の世代が到達できなかった約束の地を指します。著者は4章で、これを神が今日ご自分の民に与えてくださる安息へと広げます。キリスト教の諸伝統は、その現在の面と将来の面を強調する度合いが異なりますが、いずれも信仰と従順に結びつけています。

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