聖書 — 口語訳 (1955)

マルコによる福音書 10

概要

マルコによる福音書10章は、エルサレムへの道を進むイエスに従い、この世の価値観をひっくり返す教えを集めています。イエスは、神が創造のときから望まれた結婚について語り、神の国に入る模範として子どもたちを受け入れ、ひとりの金持ちを従うよう招かれます。ご自分の死を告げ、ヤコブとヨハネの野心に、偉大さは仕えることにあると答え、そしてバルテマイの目を開かれます。

この章の5つの区分

  1. 1-12節結婚と離婚:初めからの神のご計画
  2. 13-16節幼な子のように神の国を受ける
  3. 17-31節金持ちの人と、イエスに従う代価
  4. 32-45節ヤコブとヨハネ:仕えることによる偉大さ
  5. 46-52節イエスに叫ぶ盲人バルテマイ

1それから、イエスはそこを去って、ユダヤの地方とヨルダンの向こう側へ行かれたが、群衆がまた寄り集まったので、いつものように、また教えておられた。

2そのとき、パリサイ人たちが近づいてきて、イエスを試みようとして質問した、「夫はその妻を出しても差しつかえないでしょうか」。

3イエスは答えて言われた、「モーセはあなたがたになんと命じたか」。

4彼らは言った、「モーセは、離縁状を書いて妻を出すことを許しました」。

5そこでイエスは言われた、「モーセはあなたがたの心が、かたくななので、あなたがたのためにこの定めを書いたのである。

6しかし、天地創造の初めから、『神は人を男と女とに造られた。

7それゆえに、人はその父母を離れ、

8ふたりの者は一体となるべきである』。彼らはもはや、ふたりではなく一体である。

9だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」。

10家にはいってから、弟子たちはまたこのことについて尋ねた。

11そこで、イエスは言われた、「だれでも、自分の妻を出して他の女をめとる者は、その妻に対して姦淫を行うのである。

12また妻が、その夫と別れて他の男にとつぐならば、姦淫を行うのである」。

13イエスにさわっていただくために、人々が幼な子らをみもとに連れてきた。ところが、弟子たちは彼らをたしなめた。

14それを見てイエスは憤り、彼らに言われた、「幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。止めてはならない。神の国はこのような者の国である。

15よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受けいれる者でなければ、そこにはいることは決してできない」。

16そして彼らを抱き、手をその上において祝福された。

17イエスが道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄り、みまえにひざまずいて尋ねた、「よき師よ、永遠の生命を受けるために、何をしたらよいでしょうか」。

18イエスは言われた、「なぜわたしをよき者と言うのか。神ひとりのほかによい者はいない。

19いましめはあなたの知っているとおりである。『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。欺き取るな。父と母とを敬え』」。

20すると、彼は言った、「先生、それらの事はみな、小さい時から守っております」。

21イエスは彼に目をとめ、いつくしんで言われた、「あなたに足りないことが一つある。帰って、持っているものをみな売り払って、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。

22すると、彼はこの言葉を聞いて、顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。

23それから、イエスは見まわして、弟子たちに言われた、「財産のある者が神の国にはいるのは、なんとむずかしいことであろう」。

24弟子たちはこの言葉に驚き怪しんだ。イエスは更に言われた、「子たちよ、神の国にはいるのは、なんとむずかしいことであろう。

25富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。

26すると彼らはますます驚いて、互に言った、「それでは、だれが救われることができるのだろう」。

27イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである」。

28ペテロがイエスに言い出した、「ごらんなさい、わたしたちはいっさいを捨てて、あなたに従って参りました」。

29イエスは言われた、「よく聞いておくがよい。だれでもわたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、もしくは畑を捨てた者は、

30必ずその百倍を受ける。すなわち、今この時代では家、兄弟、姉妹、母、子および畑を迫害と共に受け、また、きたるべき世では永遠の生命を受ける。

31しかし、多くの先の者はあとになり、あとの者は先になるであろう」。

32さて、一同はエルサレムへ上る途上にあったが、イエスが先頭に立って行かれたので、彼らは驚き怪しみ、従う者たちは恐れた。するとイエスはまた十二弟子を呼び寄せて、自分の身に起ろうとすることについて語りはじめられた、

33「見よ、わたしたちはエルサレムへ上って行くが、人の子は祭司長、律法学者たちの手に引きわたされる。そして彼らは死刑を宣告した上、彼を異邦人に引きわたすであろう。

34また彼をあざけり、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺してしまう。そして彼は三日の後によみがえるであろう」。

35さて、ゼベダイの子ヤコブとヨハネとがイエスのもとにきて言った、「先生、わたしたちがお頼みすることは、なんでもかなえてくださるようにお願いします」。

36イエスは彼らに「何をしてほしいと、願うのか」と言われた。

37すると彼らは言った、「栄光をお受けになるとき、ひとりをあなたの右に、ひとりを左にすわるようにしてください」。

38イエスは言われた、「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていない。あなたがたは、わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けることができるか」。

39彼らは「できます」と答えた。するとイエスは言われた、「あなたがたは、わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けるであろう。

40しかし、わたしの右、左にすわらせることは、わたしのすることではなく、ただ備えられている人々だけに許されることである」。

41十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネとのことで憤慨し出した。

42そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた、「あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者と見られている人々は、その民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。

43しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、

44あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、すべての人の僕とならねばならない。

45人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」。

46それから、彼らはエリコにきた。そしてイエスが弟子たちや大ぜいの群衆と共にエリコから出かけられたとき、テマイの子、バルテマイという盲人のこじきが、道ばたにすわっていた。

47ところが、ナザレのイエスだと聞いて、彼は「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんでください」と叫び出した。

48多くの人々は彼をしかって黙らせようとしたが、彼はますます激しく叫びつづけた、「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんでください」。

49イエスは立ちどまって、「彼を呼べ」と命じられた。そこで、人々はその盲人を呼んで言った、「喜べ、立て、おまえを呼んでおられる」。

50そこで彼は上着を脱ぎ捨て、踊りあがってイエスのもとにきた。

51イエスは彼にむかって言われた、「わたしに何をしてほしいのか」。その盲人は言った、「先生、見えるようになることです」。

52そこでイエスは言われた、「行け、あなたの信仰があなたを救った」。すると彼は、たちまち見えるようになり、イエスに従って行った。

鍵となる聖句

9節
だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」。

イエスは結婚について語るとき、創造に立ち返られます。神が合わせられたものを、人が離してはなりません。離婚や再婚について、教会ごとに実際の結論は異なります。

15節
よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受けいれる者でなければ、そこにはいることは決してできない」。

幼な子のように神の国に入るとは、それを賜物として、信頼して受け取ることです。それにふさわしいものを何も差し出せないままに。

21節
イエスは彼に目をとめ、いつくしんで言われた、「あなたに足りないことが一つある。帰って、持っているものをみな売り払って、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。

イエスは金持ちの人を見つめ、愛し、従うことを妨げているものを示されます。召しは愛から生まれます。ここでイエスが求めたことは、この人個人に向けられたものですが、何が第一の座を占めているのかを、すべての人に問いかけます。

45節
人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」。

人の子は仕えられるためではなく、仕えるために、また多くの人のあがないとして、いのちを与えるために来ました。この節は章全体の鍵です。イエスの見る偉大さは、仕えることを通ります。

51節
イエスは彼にむかって言われた、「わたしに何をしてほしいのか」。その盲人は言った、「先生、見えるようになることです」。

イエスはバルテマイに、ヤコブとヨハネにしたのと同じ問いを向けます。何をしてほしいのか。一方は上座を求め、もう一方は見えるようになることを求めます。

この章に登場する人物

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説教が語っていること

「あなたに何をしてほしいのか」――イエスの問いコネクション教会は、章の二つの願いを並べます。ヤコブとヨハネは名誉の席を、バルテマイは見えることを望みます。イエスは、どちらにも同じ問いを向けられます。要約を読む →イエスに何をしてほしいのですか沼津では、エリコの盲人の場面が、悲しみへの答えとなります。黙らされない叫びと、立ち止まって応えてくださるイエスです。要約を読む →イエス様のように仕える:御国の逆転の論理キャシー牧師はマルコによる福音書10章35節から45節を読みます。イエスは権力の論理をひっくり返し、いのちを与えに来た僕としてご自身を示されます。それが家庭と教会の生活を形づくります。要約を読む →キリストのためにすべてを捨てる ― それが普通のクリスチャン生活マルコによる福音書10章17節から31節をもとに、このメッセージは繁栄を約束する教えを批判し、イエスに従うことを、豊かになる手段ではなく、優先順位の向き直しとして示します。要約を読む →子どものように神の国に入る吉田正牧師は、10章13節から16節を、子どもについての箇所というより、すべての人がどのように神の国に入るかについての箇所として読みます。要約を読む →

マルコによる福音書10章についてよくある質問

幼な子のように神の国を受けない者は決してそこに入れない、とはどういう意味ですか

14節と15節でイエスは、神の国はこのような者たちのものだと言われます。幼な子は、功績なしに受け、信頼します。神の国に入るとは、自分の成果をあてにせず、それを賜物として受け入れることです。

なぜイエスは金持ちの青年に、すべてを売るよう求めたのですか

イエスは、この人の心の第一の座を財産が占めていることを見抜き、愛をもって見つめられました。そして従うことの妨げになっているものを示されます。すべての人にどこまで当てはまるかは意見が分かれますが、誰もが、キリストをお金よりも先に置くようにとの招きを見ています。

仕えられるためではなく仕えるため(マルコ10章45節)とはどういう意味ですか

イエスは弟子たちの野心に、偉大さを逆転させて答えられます。偉大であるとは、仕えることです。そして多くの人のあがないとして、ご自分のいのちをささげて模範を示されました。これは福音の中心であり、教会の生活の手本となります。

マルコによる福音書10章9節は結婚について何を言っていますか

イエスは創造に立ち返られます。男と女は一体となり、神が合わせられたものを、人は離してはなりません。この節は、神が結婚に与えておられる価値を表しています。離婚の場合への適用は、教会ごとに同じではありません。

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