聖書 — 口語訳 (1955)

マルコによる福音書 3

概要

マルコの福音書3章は、称賛と反対のはざまに立つイエスを描きます。イエスは、パリサイ人の敵意のまなざしの中、安息日に片手のなえた人をいやし、各地から集まる群衆を迎えます。そして、ご自身のそばに置き、宣教に遣わすために十二人を立てられます。気が狂ったと言われ、さらに悪霊につかれたと非難されると、サタンは内輪で分かれ争わないと答え、聖霊をけがす罪について警告します。章の結びは、意外な家族の定義です。神のみこころを行う者こそ、イエスの家族なのです。

この章の5つの区分

  1. 1-6節安息日に片手のなえた人がいやされる
  2. 7-12節群衆と汚れた霊
  3. 13-19節ご自身のそばに置くために召された十二人
  4. 20-30節分裂した国と聖霊をけがす罪
  5. 31-35節イエスの本当の家族

1イエスがまた会堂にはいられると、そこに片手のなえた人がいた。

2人々はイエスを訴えようと思って、安息日にその人をいやされるかどうかをうかがっていた。

3すると、イエスは片手のなえたその人に、「立って、中へ出てきなさい」と言い、

4人々にむかって、「安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか」と言われた。彼らは黙っていた。

5イエスは怒りを含んで彼らを見まわし、その心のかたくななのを嘆いて、その人に「手を伸ばしなさい」と言われた。そこで手を伸ばすと、その手は元どおりになった。

6パリサイ人たちは出て行って、すぐにヘロデ党の者たちと、なんとかしてイエスを殺そうと相談しはじめた。

7それから、イエスは弟子たちと共に海べに退かれたが、ガリラヤからきたおびただしい群衆がついて行った。またユダヤから、

8エルサレムから、イドマヤから、更にヨルダンの向こうから、ツロ、シドンのあたりからも、おびただしい群衆が、そのなさっていることを聞いて、みもとにきた。

9イエスは群衆が自分に押し迫るのを避けるために、小舟を用意しておけと、弟子たちに命じられた。

10それは、多くの人をいやされたので、病苦に悩む者は皆イエスにさわろうとして、押し寄せてきたからである。

11また、けがれた霊どもはイエスを見るごとに、みまえにひれ伏し、叫んで、「あなたこそ神の子です」と言った。

12イエスは御自身のことを人にあらわさないようにと、彼らをきびしく戒められた。

13さてイエスは山に登り、みこころにかなった者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとにきた。

14そこで十二人をお立てになった。彼らを自分のそばに置くためであり、さらに宣教につかわし、

15また悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。

16こうして、この十二人をお立てになった。そしてシモンにペテロという名をつけ、

17またゼベダイの子ヤコブと、ヤコブの兄弟ヨハネ、彼らにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。

18つぎにアンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、

19それからイスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。イエスが家にはいられると、

20群衆がまた集まってきたので、一同は食事をする暇もないほどであった。

21身内の者たちはこの事を聞いて、イエスを取押えに出てきた。気が狂ったと思ったからである。

22また、エルサレムから下ってきた律法学者たちも、「彼はベルゼブルにとりつかれている」と言い、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ」とも言った。

23そこでイエスは彼らを呼び寄せ、譬をもって言われた、「どうして、サタンがサタンを追い出すことができようか。

24もし国が内部で分れ争うなら、その国は立ち行かない。

25また、もし家が内わで分れ争うなら、その家は立ち行かないであろう。

26もしサタンが内部で対立し分争するなら、彼は立ち行けず、滅んでしまう。

27だれでも、まず強い人を縛りあげなければ、その人の家に押し入って家財を奪い取ることはできない。縛ってからはじめて、その家を略奪することができる。

28よく言い聞かせておくが、人の子らには、その犯すすべての罪も神をけがす言葉も、ゆるされる。

29しかし、聖霊をけがす者は、いつまでもゆるされず、永遠の罪に定められる」。

30そう言われたのは、彼らが「イエスはけがれた霊につかれている」と言っていたからである。

31さて、イエスの母と兄弟たちとがきて、外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。

32ときに、群衆はイエスを囲んですわっていたが、「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟、姉妹たちが、外であなたを尋ねておられます」と言った。

33すると、イエスは彼らに答えて言われた、「わたしの母、わたしの兄弟とは、だれのことか」。

34そして、自分をとりかこんで、すわっている人々を見まわして、言われた、「ごらんなさい、ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。

35神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。

鍵となる聖句

4節
人々にむかって、「安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか」と言われた。彼らは黙っていた。

イエスは、安息日に善を行うのと悪を行うのと、どちらが許されているかを問われます。休みの日の中心に思いやりを置かれ、反対者たちは黙り込みます。

14節
そこで十二人をお立てになった。彼らを自分のそばに置くためであり、さらに宣教につかわし、

イエスが十二人を立てられたのは、まずご自身のそばに置くため、次に宣教に遣わすためです。順序が大切です。関係が使命に先立ちます。

29節
しかし、聖霊をけがす者は、いつまでもゆるされず、永遠の罪に定められる」。

イエスは、決してゆるされない罪、聖霊をけがす罪について語られます。御霊の働きをサタンのわざだとした律法学者たちという文脈から、それが神の働きを認めることへの頑なな拒絶であることがわかります。その正確な範囲については、キリスト者の間でも議論があります。

35節
神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。

神のみこころを行う者はだれでも、イエスの兄弟、姉妹、母です。イエスは、血のつながりを軽んじることなく、家族を信じる者たちにまで広げられます。

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説教が語っていること

マルコによる福音書3章についてよくある質問

マルコ3章29節の、ゆるされない罪とは何ですか?

イエスは聖霊をけがす罪について語られます。その背景には、イエスがベルゼブルによって悪霊を追い出していると言った律法学者たちがいました。多くの人は、キリストにおける神のわざを頑なに、また続けて拒むことだと理解します。この罪を犯したのではないかと恐れる人は、たいていそうではありません。神に敏感な心を持っているからです。キリスト教の伝統によって、この解釈の受け止め方は少しずつ異なります。

イエスの「わたしの母、わたしの兄弟とは、だれのことか」という言葉は、何を意味しますか?

イエスは家族を退けているのではありません。ご自身との最も深いつながりは、神のみこころを行うことだと示されます。イエスの周りの弟子たちは、すでに新しい家族をなしています。この言葉は、信じるすべての人に扉を開きます。家族に傷つけられた人も例外ではなく、しかも自然なきずなを否定するものではありません。

なぜイエスはマルコ3章で十二人の使徒を召されたのですか?

イエスは十二人を、ご自身のそばに置くために立て、そのあと悪霊を追い出す権威を与えて宣教に遣わされました。この数は、イスラエルの十二部族を思わせ、新しくされた民を表します。その名簿には、ペテロ、ヤコブ、ヨハネがいて、イエスを裏切ったイスカリオテのユダも含まれています。

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