「よくやった、良い忠実なしもべだ」

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はじめに

神戸のキリストの栄光教会で迎えた、年末最後の礼拝です。北山進牧師は聖書をマタイ25:14-30、タラントのたとえに開き、主人の言葉をそのまま題とした一つのメッセージを語ります。「よくやった、良い忠実なしもべだ」。その声は落ち着いていて、まるで親しい人に語りかけるようです。牧師はまず、今年一年に受けた恵みを数え上げ、そこから話を広げていきます。大切なのは、あなたがいくつのタラントを受けたかではなく、それを主とともに何に用いたかです。そして2025年を締めくくり、2026年を迎えるにあたって、忠実で実り豊かな人生を歩むための、みことばに基づいたいくつかのシンプルな心構えを示してくれます。

メッセージの構成

1. タラントのたとえ:マタイ25:14-30

  • ある主人が旅に出ます。彼はしもべたちに、それぞれの力に応じて財産を預けます。五タラント、二タラント、一タラントです。そして旅立ちます。
  • 五タラントを受けた者はすぐに出かけて商売をし、さらに五タラントをもうけました。二タラントを受けた者も同じようにして、さらに二タラントをもうけました。しかし一タラントしか受けなかった者は、地面に穴を掘り、主人の金をそこに隠しました。
  • 戻って来た主人は、しもべたちと清算をします。最初の二人には、まったく同じ言葉が語られます。「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたはわずかなものに忠実だった。多くのものを任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ」(マタイ25:21、23)。
  • タラントを隠した三人目のしもべには、こう言われます。「悪いなまけ者のしもべだ」。彼のタラントは取り上げられ、十タラントを持つ者に与えられます。
  • このたとえの問いは、「あなたはいくつ受けたか」ではありません。問いは「あなたは、預けられたものをどうしたか」です。主人はしもべ同士を比べません。それぞれを、その人自身の忠実さにおいて評価するのです。
  • 三人目のしもべは、管理を誤ったから失ったのではありません。恐れに麻痺したから失ったのです。彼はリスクを取るよりも、隠すことを選びました。北山牧師はそこに、一年全体への警告を見ています。恐れに、神から預けられたものを埋めさせてはいけません。

2. 毎日を聖霊とともに生きる

  • 牧師は教会の年間聖句であるコリント第二4:6-7に立ち返り、こう続けます。「この現実を追い求めましょう。聖霊とともにあるということを」。それは頭の中に蓄えておく考えとしてではなく、本当の同行として、です。
  • 牧師自身の実践はこうです。一日を通して、声に出して言うのです。「聖霊様、今日もあなたは私とともにいてくださいます」。オフィスに向かうとき。掃除をするとき。車に乗るとき。スーパーに行くとき。営業回りをするとき。
  • このシンプルな一言が、心の目を開きます。少しずつ、あなたは神の臨在を、無数の小さな出来事の中に感じ始めます。ちょうど良いタイミングで浮かんでくる考え、うまく置かれたアイデア、道路での事故を防いでくれる見えない手。
  • 聖霊がいなければ、残るのはあなた自身の力だけです。そして自分の意志だけで聖書を生きようとすれば、それは結局、この世の宗教とよく似たものになってしまいます。誠実さ、努力、善行はあっても、神の力はないのです。
  • イエスご自身も、御霊とともにご自分の働きをなさいました。「神はナザレのイエスに聖霊と力を注がれた」(使徒の働き10:38)。イエスご自身が御霊とともに歩まれたのなら、あなたがそうしない理由がどこにあるでしょうか。
  • クリスチャンを根本的に特徴づけるもの、それは道徳でも宗教的努力でもありません。聖霊があなたとともにいてくださる、それがすべてです。いつも、です。

3. 恐れではなく、いのちを告白する:ヨブに学ぶ

  • ヨブは主の目から見て、ほとんど完全な人でした。「地上には彼のような者はいない。潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている」(ヨブ1:8)。神からの、この上ない賛辞です。
  • それにもかかわらず、彼の人生は一夜にして覆されました。子どもたちは死に、財産は奪われ、妻さえも彼に背を向けたのです。
  • ヨブ自身が一つの鍵を与えてくれます。「私が恐れていたことが私に降りかかり、私が怖がっていたことが私に襲ってきた」(ヨブ3:25)。彼は模範的な敬虔さを持っていましたが、その心の奥にはずっと隠れた恐れがありました。
  • 北山牧師はここから、シンプルで真剣な教訓を引き出します。信仰はプラスの方向にだけ働くのではありません。マイナスの方向にも働くのです。あなたがよく告白すること、よく思い巡らすことを、あなたは結局引き寄せてしまいます。
  • 否定的な信仰を追い払いましょう。「私にはできない、両親もそうだったから自分もそうなる、幸せにはなれない」と言ってはいけません。みことばの上に立ちましょう。
  • 牧師とともに声に出して繰り返してください。「困難を前にしても、私は勝利者だ。試練を前にしても、私は勝利者だ。問題を前にしても、私は勝利者だ。曲がり角や回り道はあっても、私の人生は勝利が保証された人生だ」。
  • 神はあなたを打ち砕くためにこの地に置かれたのではありません。あなたを祝福し、あなたを通してご自分の栄光が現されるために置かれたのです。痛みや不条理は確かに存在しますが、それが最終的な目的ではありません。それを通り抜けて神に栄光を帰すこと、それこそが目的なのです。

4. あなたの口があなたの人生を形づくる:箴言18:21

  • 「死と生は舌の力に支配されている。それを愛する者はその実を食べる」(箴言18:21)。あなたの人生は、あなたの告白によって支配されているのです。
  • イエスは別の言い方でこれを語られました。「あなたの信仰のとおりになるように」(マタイ9:29)。言い換えれば、あなたが毎日告白すること、毎朝あなたの口から出ることのとおりになる、ということです。
  • 私たちは人間ですから、弱い日も、不信仰な日もあります。牧師はそれを否定しません。しかし、立ち返りましょう。主の上に自分を調整し直し、聖書の約束の上に立ちましょう。神の約束はいたるところにあり、あなたのために、あなたの祝福のために書かれています。
  • 2026年もまた、あなたの口をみことばに合わせましょう。空虚なポジティブシンキングではなく、神がすでに語られたことに基づいて、声に出して告白する信仰です。

5. 平和を作る者になる:家庭で、教会で、職場で

  • 人がいるところには、必ず緊張が生まれます。牧師もそれをよくわかっています。何かしらの問題が起こらずに生きることは不可能です。
  • 彼の原則はシンプルです。「大きさ1の問題は、大きさ1で解決する。二人の間の問題は、二人の間で解決する」。小さくあるべきものを大きくしてはいけません。
  • もしあなたがAを証人にし、次にBを、さらに十人もの人を証人にし始めたら、本来二人だけの間の不和を、十人を巻き込む醜聞に変えてしまいます。それはクリスチャンの知恵ではありません。
  • イエスは言われます。「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです」(マタイ5:9)。キリストにあって、あなたはすでに神の子どもです。ですから、あなたは平和を作る者です。それは選択肢ではなく、あなたのアイデンティティです。
  • 「神の国は食べることや飲むことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです」(ローマ14:17)。御国が進むところには、平和が住むのです。
  • 箴言17:1。「平穏無事で乾いたパンのひと切れがあるのは、争いに満ちた宴の家にまさる」。心の平和は、物質的な快適さよりも価値があります。
  • あなたの家庭、教会、職場、学校で、和らげる人になってください。争いの種をまく人にではありません。隣の席の人を見て、こう言ってあげましょう。「あなたは平和を作る人のようですね」。それは一つの祝福の言葉であり、祝福そのものです。

6. 福音を携えて出て行く:マルコ16章とローマ10章

  • 「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16:15)。あなたが世界中に行くことは不可能です。しかし、あなた自身の世界(家族、同僚、あなたの住む地域、あなたが動き回る範囲)、それはすでに一つの世界です。
  • 「信じてバプテスマを受ける者は救われます。しかし、信じない者は罪に定められます」(マルコ16:16)。そしてこの言葉もあります。「彼らは病人に手を置き、病人は癒やされます」(マルコ16:18)。
  • 「弟子たちは出て行き、至るところで福音を宣べ伝えた。主も彼らとともに働き、伴うしるしをもってみことばを確かなものとされた」(マルコ16:20)。これもまた、あなたへの約束です。あなたが出て行くとき、聖霊はあなたとともに働かれます。
  • ローマ10:13-15。「主の御名を呼び求める者はみな救われるからです。しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょうか。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょうか。宣べ伝える者がいなくて、どうして聞くことができるでしょうか。遣わされなくて、どうして宣べ伝えることができるでしょうか。良い知らせを伝える人たちの足は、なんと美しいことでしょう」。
  • この聖句こそ、六十年以上前、高校生だった若き日の北山青年の心を揺さぶり、生涯を主に献げるよう彼を突き動かした聖句です。遣わされる者がいなければ、誰も聞くことはできません。宣べ伝える者がいなければ、誰も信じることはできません。今日もなお、あなたがその遣わされる者なのです。
  • すでに家族のために祈りましょう。「主よ、私の家族のすべてが、あなたのもとに立ち返りますように」。まだキリストに委ねきれていない身近な人がいる方は多いはずです。それを単なる敬虔な言葉で終わらせず、日々のとりなしとしてください。

7. 御霊の実を結ぶ:ガラテヤ5章

  • 「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。これらを禁じる律法はありません。キリスト・イエスのものである人々は、肉をその情欲や欲望とともに十字架につけました。私たちが御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか」(ガラテヤ5:22-25)。
  • この実は、生み出すべきパフォーマンスではありません。あなたが御霊とともに歩むときに、あなたの内に現れてくる聖霊のご性質そのものです。
  • 他の宗教は、規律や鍛錬、禁欲によって肉を手なずけようとします。それは誠実なことですが、不可能です。罪は人間の意志によって手なずけることはできません。
  • 聖霊の役割は、あなたの肉を扱うことです。あなたの役割は、それを聖霊にお委ねすることです。「私は自分の肉を、自分の欲望を、自分自身をあなたにお渡しします」。これこそが、意味のある唯一の祈りです。心の中で思うだけではいけません。声に出して言うのです。
  • 北山牧師は最後に、自分自身の祈りを模範として語ってくれます。「天の父よ、御子イエスよ、聖霊よ、おはようございます。永遠の父の愛、イエスの十字架の犠牲、罪の赦し、贖いの恵み、そして復活への道に感謝します。聖霊との甘やかな交わりに感謝します。聖霊様、あなたをお迎えします。私の心の王座に座ってください。私は自分自身を、自分の肉を、自分の欲望をあなたにお渡しします。どうかそれを扱ってください」。
  • そして、どんな決断の際にも心に留めておきたい、この牧師ならではの言葉があります。「聖霊様、今日もまた、ともに考え、計画し、判断し、決定し、行動していきましょう。イエス・キリストの栄光のためです。そしてもし、大切な事柄について、私が間違った判断、間違った決定、間違った行動をしようとしているなら、私に教えてください。示してください。あるいは、止めてください」。前向きでありながら、守られている祈りです。

覚えておきたいポイント

  • 主人はしもべ同士を比べません。それぞれを、その人自身の忠実さにおいて評価します。あなたの問いは「いくつ受けたか」ではなく、「それをどうしたか」です。
  • 恐れはタラントを埋めてしまいます。三人目のしもべは、管理ミスによってではなく、麻痺によって失ったのです。
  • 聖霊とともに歩むことは、実践されるものです。一日に何度も声に出しましょう。「聖霊様、今日もあなたは私とともにいてくださいます」。その臨在への意識は、告白とともに育っていきます。
  • あなたの口はあなたの人生を形づくります。恐れではなく、勝利を告白しましょう。みことばに合わせられた告白は、生きた信仰になります。
  • 大きさ1の問題は大きさ1で解決しましょう。大きくしてはいけません。平和を作る者になってください。あなたは神の子どもなのですから。

自分自身への適用

  1. 今年、神があなたに預けてくださった「タラント」(能力、機会、人間関係、時間、手段)は何でしょうか。それをどうしましたか。恐れによって穴の中で眠っていますか、それとも働いていますか。
  2. あなたの口からよく出てくる否定的な言葉は何ですか。それを書き出して、みことばに基づいた告白に一つずつ置き換えてみましょう。
  3. これから来る一週間、具体的にどんな瞬間に「聖霊様、今日もあなたは私とともにいてくださいます」と声に出して言いますか。運転中、料理中、オフィスで、学校で。決まった瞬間を一つ選んでみましょう。
  4. 「大きさ2」だった不和を「大きさ10」にまで膨らませてしまったことはありませんか。今週、それを本来の大きさに戻すために何ができますか。
  5. あなたの家族の中で、キリストへの立ち返りを祈っている人は誰ですか。毎日、短く、具体的な祈りを決めましょう。手放さないでください。

引用された聖句

よくある質問

日常の中で、具体的にどうすれば聖霊とともに歩めますか。

北山牧師は、とてもシンプルな実践を提案しています。一日に何度も、声に出して言うことです。「聖霊様、今日もあなたは私とともにいてくださいます」。運転中、仕事中、料理をしながら、車を運転しながら。この告白は、あなたの臨在への意識を呼び覚まします。少しずつ、それは頭の中の考えではなく、具体的な体験になっていきます。ちょうど良い考え、良いタイミングで来るアイデア、道での守り。それこそが、キリスト教を他の宗教と区別するものです。私たちは自分の力だけで神に仕えるのではなく、その方ご自身とともに歩むのです。

ヨブのように、恐れに満ちた一年を過ごしているときはどうすればよいですか。

ヨブはこう言いました。「私が恐れていたことが私に降りかかり、私が怖がっていたことが私に襲ってきた」(ヨブ3:25)。否定的な信仰は否定的な実を引き寄せます。北山牧師は、この習慣を断ち切り、箴言18:21に基づいていのちを告白するよう勧めています。「死と生は舌の力に支配されている」。繰り返し言いましょう。「困難を前にしても、私は勝利者だ。試練を前にしても、私は勝利者だ。問題を前にしても、私は勝利者だ」。あなたの口は魔法の呪文を唱えているのではありません。神の約束と自分を合わせているのです。そうしてあなたの信仰は鍛えられていきます。

対立が広がりそうなとき、どうやって平和を保てばよいですか。

北山牧師の原則は一言に尽きます。「大きさ1の問題は大きさ1で解決する。二人の間の問題は二人の間で解決する」。大きくしてはいけません。Aを証人にし、次にBを、さらに十人もの人を証人にすれば、二人の不和は十人を巻き込む問題になってしまいます。それは時間の無駄であり、教会を傷つけることです。イエスは言われます。「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです」(マタイ5:9)。あなたは神の子どもですから、平和を作る者です。争いの種をまく者にならないでください。

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