エホバ・イルエ(3):逆境があなたの跳躍台になるとき

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はじめに

あなたは今、困難な季節を通っています。状況は次々と重なり、人々はあなたを失望させ、神が開いてくださったはずの扉に、なぜこれほどの抵抗が伴うのか分かりません。そしてあの小さな声がこうささやきます。「もし神が本当にあなたと共におられるなら、違うふうになっているはずだ」と。

シリーズ『主の山には備えがある』の第3部で、長老ジュニアス・アナネはその考えに真っ向から立ち向かいます。彼はあなたに、今通っていることへの見方を変えるよう勧めます。あなたが受けている逆境は、神があなたを見捨てられた証拠ではありません。それはむしろ、神があなたを次の段階へと押し上げるために用いられる跳躍台であることが多いのです。この記事は、あなたが混乱の真っただ中でも平安を保てるよう、彼の説教の核心を伝えます。

記事の構成

1. 「大きな門」と「多くの敵対者」はともにやって来る

ジュニアス・アナネは、パウロがコリントの教会に宛てて書いた言葉から説教を始めます。「しかし、五旬節までエペソに滞在するつもりです。というのは、働きのための大きな門が私に開かれており、反対者も多いからです」(コリント第一16:8から9節)。パウロは「敵対者にもかかわらず門が開かれている」とも「敵対者を除いて」とも言っていません。彼はまるで、敵対者こそが門が開かれていることの確証であるかのように、両方をひと息に語っているのです。

パロール・ヴィヴァント訳では、この節は別の形で表現されています。パウロは「有望で多様な仕事の見通しに満ちた、広大な活動の場」について語っている、というものです。これこそ、神があなたが経験していることをどう描写しているかです。あなたの昇進、あなたの祝福、この新しい役職、この回復、この召命。それは広大な場であり、多くの見通しに満ちています。そしてそこに入るためには、この門を通らなければなりません。空虚に守られていることは決してない門を。

平安を保ってください。状況が騒がしくても構いません。この逆境こそ、大きな門があなたに開かれている印なのです。そこへの入り口を逃さないでください。

2. 逆境は、あなたの召命への加速装置

人生の道の途中で、あなたは避けられない形で困難な状況に出会い、敵と呼ばれる一群の人々にも出会います。あなたを憎み、あなたを滅ぼそうとする人々です。ジュニアス・アナネはそれを否定しません。谷は時に、通り抜けるのがつらいものです。しかし、神の御言葉を読むとき、私たちはこの通過が時にあなたを召命へと押し上げるために必要であることを発見します。

「私はあなたに、加速装置について語っているのです」と説教者は言います。「私はあなたに、あなたを押し上げる跳躍台について語っているのです。あなたが今経験していることは、あなたをその段階へと連れて行くために必要なことなのです。」あなたが通っていることへの見方を変えてください。逆境が痛みをもたらすのは確かですが、それはまさに、神があなたの人生に栄光を輝かせるために用いられるものであることがあるのです。

彼は、ある神の人がこう祈るのを聞いたことがあると語ります。「主よ、もし誰かが最善を尽くすために逆境を必要とするなら、どうかそれを起こしてください。」これは私たちを困らせる祈りです。なぜなら、私たちにとって最も都合の悪いことを神に求めているからです。しかし、まさにこの祈りが強い人を解き放ち、その人を別の器へと導くのです。

3. あなたを神のもとへ走らせる苦難

神はまた、苦難を用いてあなたの優先順位を変え、あなたをご自分のもとへ引き寄せ、あなたの信仰を増し加えられます。ジュニアス・アナネは率直にこう言います。「もしあなたが今通っていることを通っていなかったら、あなたは今日、この教会に座っていなかったでしょう。」もし試練があなたを主のもとに連れ戻していなかったら、どれだけ多くのものがあなたを迷わせていたことでしょうか。

彼はマルコ5章の会堂司の一人、ヤイロを例に挙げます。多くの群衆の前で、この重要で尊敬されていた人物は、イエスの足もとにひれ伏します。「私の小さな娘が死にかけています。来て、娘の上に手を置いてやってください。そうすれば娘は救われ、生きるでしょう」(マルコ5:23)。彼の同僚たちの目には、このイエスという人物は付き合うべき相手ではありませんでした。しかし苦難は、体裁の問題を二の次にしてしまったのです。

もしかすると、あなたが家族や同僚の目の前で呼び求めているイエスは、付き合うべき相手ではないと見られているかもしれません。ジュニアス・アナネは、あなたを主のもとへ走らせた苦難のことで神をたたえ、こう宣言します。「あなたはそこに戻ることはありません。」神があなたを主のもとに連れ戻すために用いられたものは、あなたの恥として残るためのものではなく、あなたの心のよりどころとなるためのものなのです。

4. エペソにとどまりなさい、門から逃げてはいけません

パウロはエペソにとどまると書いています。彼は去ることも、街を変えることも、より穏やかな環境を探すこともできたはずです。ジュニアス・アナネはこの選択の重みを強調します。「私はあなたのエペソを知りません。しかし主はあなたに言われます。そこにとどまりなさい、と。」失望や軽蔑、あるいは疲れが去るよう急き立てるからといって、あなたのエペソから逃げようとしないでください。神には期限があります。パウロは五旬節までとどまり、私たちは五旬節に何が起こるかを知っています。

門から逃げることは、その背後に隠された昇進からも逃げることを意味します。逆境があるからといって、あなたの家族、あなたの奉仕、あなたのミニストリー、あなたの召命の場を離れないでください。大きな門は、敵対者がいるまさにその場所に開かれています。そこにとどまることは、歯を食いしばって耐え忍ぶことを意味するのではありません。神がその期限に何かを備えておられるという確信を持って、しっかりと立ち続けることを意味するのです。

5. 見方を変える、ペテロが敷布の前で変わったように

使徒10章で、ペテロはその生き方と行動の仕方を根底から変えられます。彼は敷布のようなものが天から降りて来るのを見て、「ペテロよ、立って、屠って食べなさい」と語る声を聞きます(使徒10:13)。彼はそれを拒みます。それは彼の確信に反し、彼の心にあった砦に反し、物事を判断する彼のやり方に反していたからです。声は繰り返します。そしてついにペテロは理解するに至ります。後に、他の使徒たちが彼を呼び出して説明を求めたとき、彼は神が彼に分からせてくださったことを説明します(使徒11章)。

ジュニアス・アナネはこれをこう適用します。「神はあなたの物事の見方を変えたいと願っておられます。それによって、あなたの態度が変わり、あなたの反応が変わり、あなたの祈り方が変わり、あなたの話し方が変わるためです。」試練は時に、神があなたをここまで運んできたけれど、これ以上先へ運ぶことのできない確信を打ち壊すために用いられる道具です。あなたが障害だと思っていたものは、実は門であるかもしれません。ただし、あなたの見方が変わることが条件です。

6. ペニナがいなければ、新しいアンナはいない

サムエル記第一1章で、アンナは年ごとにライバルであるペニナからの軽蔑を受けます。ジュニアス・アナネはこう牧会的に読み解きます。「ペニナがいなければ、ペニナの軽蔑がなければ、アンナは主についての新しい啓示を受けることはなかったでしょう。」彼はペニナを正当化しているのではありません。ペニナを通して神が許されたことに目を向けているのです。アンナは、語られたことが実現する神を発見します。うわさでしか知らなかった神が、彼女の目が見た神となるのです。

彼女の礼拝はそこから変えられます。彼女はもはや、耳で聞いたことのある神をたたえるのではなく、自分の目で見た神をたたえるのです。彼女の賛美には今や実質が伴っています。敵がいなければ、決して存在しなかったであろう種類の礼拝があるのです。説教者はまた士師記3章も引用します。神は、それまでの戦いを知らなかった世代が戦うことと主を知ることを学ぶために、あえていくつかの国民をカナンに残されました。

この戦いは、あなたを霊的に鍛え上げます。それはあなたを神の目に豊かにします。あなたは信仰においてたくましくなるのであり、見かけだけたくましくなるのではありません。そして敵があなたを見る日、彼はもはや簡単な獲物ではなく、戦いによって鍛えられた戦士を見ることになるのです。

7. 主はあなたの力を鷲のように新しくされます

説教のこの段階で、ジュニアス・アナネは会衆を詩篇103篇に基づく宣言へと導きます。「主はあなたのすべての不義を赦し、あなたのすべての病を癒やし、あなたのいのちを穴から贖い、恵みとあわれみの冠をあなたにかぶらせ、あなたの生涯を良いもので満ち足らせ、あなたの若さを鷲のように新しくされる」(詩篇103:3から5節)。

あなたが弱っているところ、もう耐えられないと感じているところ、手を離そうとしていたところに、主は来られて、あなたを新しくしてくださいます。主はイエス・キリストの御名によって、あなたが手を離さないよう、あなたの信仰を強めてくださいます。声に出してこう言ってください。「私は手を離しません。私はあきらめません。」説教者はまた、詩篇92篇を告白するよう勧めます。「正しい者はなつめやしの木のように芽を出し、レバノンの杉のようにそびえ立つ。主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄える」(詩篇92:13から14節)。あなたは、あなたの神の栄光のために、豊かで有益な実を結ぶことになるでしょう。

8. 十字架の上で、神はすでに備えられました

このシリーズは『主の山には備えがある』と題されています。ヤーウェ・イルエという名は創世記22:14に由来します。アブラハムが角を茂みに引っかけられた雄羊を見て、神がすべてをすでに備えておられたことに気づいた場面です。ジュニアス・アナネは会衆を十字架へと連れ戻します。あなたに平安をもたらす懲らしめは、イエスの上に下ったのです(イザヤ53:5)。神の最高の備えとは、まず何かの物質的な奇跡ではなく、御子ご自身なのです。

「あなたは立ち上がって十字架の勝利を祝うことができます。自分が備えられているかどうかを問う必要はありません。こう言ってください。『主よ、あなたは私のために死んでくださったので、私のために備えてくださいました。あなたが私のために死んでくださったので、私はあなたのために生きたいのです』と。」この告白で神には十分です。それが土台です。そしてこの土台からこそ、逆境は跳躍台になるのであり、その逆ではないのです。

覚えておきたいポイント

  • 大きな門と敵対者はともにやって来ます。コリント第一16:9はこの二つを結びつけています。敵が多いからといって門から逃げないでください。
  • 逆境は加速装置になり得ます。通っていることへの見方を変えるとき、それはあなたを召命へと押し上げます。
  • 苦難があなたをイエスのもとへ連れ戻しました。あなたを主のもとへ走らせたものは、あなたの恥ではなく、あなたの心のよりどころです。
  • 五旬節まで、エペソにとどまってください。逆境があるからといって、あなたの召命を離れないでください。
  • ペニナがいなければ、新しいアンナはいません。ある種の敵は、その存在なしには決して生まれなかったであろう礼拝をあなたの内に生み出します。
  • 十字架の上で、神はすでに備えられました。それが土台です。逆境が跳躍台になるのはそこからであり、それ以前ではありません。

個人への適用

  1. 今、神は私の人生にどんな「門」を開いておられるように見えますか。そして私はどんな敵対者を、逃げるべき印として解釈しがちですか。
  2. 圧力があまりに強いからという理由で、私が去りたいと思っている「エペソ」はどこですか。神が期限までそこにとどまるよう求めておられるのに。
  3. 過去のどんな苦難について、今日私は神に感謝できますか。それが私を主のもとへ走らせてくれたからです。
  4. ペテロが敷布の前で変わったように、私の祈り方や話し方が変わるために、私は神にどんな確信を打ち壊していただく必要がありますか。
  5. 今日、私にとっての「ペニナ」は誰ですか。そして神はこの軽蔑や圧力を通して、私の内に何を生み出そうとしておられますか。

引用された聖句

よくある質問

なぜ神は、ご自分の子どもたちの人生に逆境が入ることを許されるのですか。

逆境は常に退けるべき攻撃であるとは限りません。それは時に、神があなたを召命へと押し上げ、あなたの優先順位を変え、あなたの信仰を増し加え、あなたをご自分のもとに連れ戻すために用いられる跳躍台です。悪を送るのは神ではありませんが、神はそれをあなたの人生に栄光を輝かせるために用いる術をご存じなのです。

門が開かれ、敵対者が増えていくとき、どう対応すればよいですか。

コリント第一16:9で、パウロは大きな門を多くの敵対者の存在とはっきり結びつけています。敵の存在は門を無効にするのではなく、しばしばそれを裏づけるものです。そこにとどまってください。あなたのエペソから逃げず、神の期限を見据え続けてください。

ヤーウェ・イルエ、「主が備えてくださる」とはどういう意味ですか。

ヤーウェ・イルエは、創世記22:14で神ご自身が名乗られた名前であり、イサクの代わりに雄羊を備えられた山を指しています。それは、あらかじめ見て、あらかじめ備えてくださる神です。試練の中でさえ、逆境をご自身の栄光への入り口に変えてくださり、十字架に至っては、あなたの代わりに御子を備えてくださった神なのです。

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