はじめに
櫻井牧師は、2026年信仰会の第三セッションを、来る前に沖縄を訪れたときの体験を語ることから始めました。今から15年前、2011年3月、地震とそれに続く原発事故が日本の東北地方を襲ったとき、ある心配性の責任者が家族全員を東京から遠く離れた場所へ移そうとしました。彼の両親はそれを拒みました。「わたしたちはここで、我が家で死ぬ。」彼自身も、仙台や石巻の教会の働きに携わっていたため、それを断りました。ただ長女だけが出発し、父にこう言いました。「安心して死んでください。わたしが櫻井家の血筋を守ります。」半年後、彼女は沖縄をすっかり気に入り、また戻り、そこで夫と出会いました。そして今日、櫻井牧師の孫たちはそこで暮らしています。混乱のただ中における神の摂理のこの話が、このセッションの始まりです。神は、だれも期待していなかった場所に実を結ばせてくださるのです。
この第三セッションの題名「収穫のために実を結ぶ」は、マタイ3:7〜8「悔い改めにふさわしい実を結べ」から来ています。悔い改めるとは、と櫻井牧師は思い起こさせます、もともと軍事用語であり、方向を変えるという意味です。終わりなく自分を責め続けることではなく、赦してくださる方に向き直ることです。そしてキリストに向き直ったなら、あとはその方向転換にふさわしい実を結ぶことが残されています。
教えの構成
1. 悔い改めとは方向転換であり、自己処罰ではない
櫻井牧師は、以前のセッションで語ったある女性の話に立ち返ります。彼女は中絶を経験し、それが悔い改めることだと信じて絶えず自分を責め続けていました。それは違います。自分に非があると認めること、それは確かに必要です。過ちを認めなければ、赦しは必要ないことになってしまうからです。しかし自己非難にとどまり続けるなら、決してキリストのもとへは行きません。悔い改めとは、赦してくださる方のもとへ行くことなのです。
櫻井牧師は路上野球のたとえを用います。子どもが窓ガラスを割ってしまったとき、だれも怒りっぽい隣人に謝りに行きたがりません。ひっぱたかれるかもしれないからです。しかし、隣の家に決して怒らない人が住んでいるなら、みんなそこへ行きたがります。神も同じです。キリストは魂の奥底まで赦してくださいます。だからこそ、わたしたちは思い切って主のもとへ向かうことができるのです。そして、この方向転換こそが、変化を生み出す力となるのです。
2. すべての奉仕の動機:キリストが支払ってくださったものをお返しすること
キリストは打たれ、のろわれ、わたしたちの代わりに見捨てられました。わたしたちはキリストにすべてを負っています。この負い目と感謝の思いこそが、あらゆる奉仕を支える動機でなければなりません。櫻井牧師は率直に語ります。会衆の前に立って説教するとき、それはお金のためであってはならない、と。「みんなが喜ぶ説教をしよう、そうすれば献金が増える」などと考えて壇上に立つことはできません。それは福音をねじ曲げることになります。
本当の動機はこうです。キリストがわたしを赦してくださった、だからわたしはキリストを差し出し、だれもがキリストと結びつくようにする。この同じ動機は、あらゆることに当てはまらなければなりません。ピアノを弾くこと、受付をすること、コーヒーを入れること、音響を担当すること、だれかの話を聞くこと、だれかのために祈ることです。そうでなければ、「わら」の部類、つまり焼かれてしまうものの部類に入ってしまいます。動機はたやすくずれてしまうものです。それを絶えず中心に戻す必要があります。
3. 働き手の姿:あわれみを持つ者
マタイ9:35〜38。イエスは町々を巡り、教え、あらゆる病気とあらゆる患いをいやされます。そして、羊飼いのいない羊のように弱り果て、倒れている群衆を見て、深くあわれまれます。これが中心的なことばです。収穫の働き手とは、人々をあわれむことのできる人のことです。
だれかがおなかが痛いと言ったとき、あなたは「頑張れ、すぐ治るよ」と答えますか。それでは働き手ではありません。だれかの心臓がどきどきしているとき、あなたは「しっかりしろ」と言って肩をたたきますか。それも働き手ではありません。働き手は疲れを見て、それに心を動かされ、時間を割くのです。
櫻井牧師は、教会の成長について長年抱いてきた懸念に立ち返ります。ある教会が千人規模に達すると、人々はもっと大きな建物を夢見るようになり、銀行から借金をし、少しずつ人々の頭の中はお金のことでいっぱいになっていきます。人々を財布のように見るようになるのです。そうなると、人々の体も魂も、もはや世話をしなくなります。もはや働き手ではなく、経営者になってしまうのです。
4. なぜ収穫は豊かなのか:新しい契約が有効になっている
イエスは弟子たちにこう言われます。「収穫は多いが、働き手が少ない」(マタイ9:37)。なぜ豊かなのでしょうか。キリストがすでに十字架ですべてを成し遂げられたからです。新しい契約はすでに結ばれています。それはもはや、モーセの契約のように、祝福を受けるために従わなければならない、石に刻まれた律法ではありません。それは聖霊が心に書き記す律法であり、神ご自身が変えてくださる心なのです。
神を愛すること、キリストがわたしたちを愛してくださったように隣人を愛すること、それをひとりでできる人はだれもいません。しかし神は、少しずつ、わたしたちをそれができるようにしてくださいます。工事中なのです。アンダー・コンストラクションです。わたしたちは必ず失敗します。しかしエレミヤが告げ、ヘブル人への手紙の著者が繰り返す、三つの約束があります。神は過ちを赦し、根から清め、罪を思い出さない、というものです。告白するたびに、神はあなたを、まるで一度も失敗したことがないかのように、真っ白なキャンバスとして見てくださいます。
これは神のわざです。人間にはできません。わたしたちはすべてを覚えていて、思い返してくよくよし、隣人に昔の失敗を蒸し返します。そんな雰囲気の中では成長できません。しかしキリストはそのようには働かれません。キリストは七の七十倍まで赦してくださいます。そして毎回、あなたを新しい者として見てくださいます。それこそが、宣べ伝えなければならないことなのです。
5. あなたは世界の基が置かれる前から選ばれていた:神があなたの魂を愛しておられるから
わたしたちはこの恵みにふさわしくありません。それが表すものに「値する」わけではないのです。かつて日本では、結婚の前に「釣書」という家系書を交換し、両家が同じ格であることを確認しました。神の前では、だれもその格に見合いません。わたしたちは王の王とともに共同の相続人であり、キリストはわたしたちの兄であり、わたしたちはキリストとともに相続するのです。これはあらゆる想像を超えています。
では、なぜこの選びがあるのでしょうか。神があなたの魂を愛しておられるからです。あなたの性格ではなく、あなたの国籍でも、肌の色でも、銀行口座でもありません。あなたの魂です。歴代誌第一28章には、神がダビデを選ばれたのは、ダビデの魂を愛しておられたからだと書かれています。わたしたちも同じように選ばれました。地が造られる前から、アブラハムが存在する前から、あなたの魂は選ばれていたのです。どうしてそれが確かだとわかるのでしょうか。あなたが十字架と復活を信じるなら、あなたは選ばれているからです。それ以外の理由はありません。
ダビデには欠点がなかったわけではありません。彼はウリヤの妻を奪い、その夫を殺させ、自分の息子の反逆を招きました。それでも神はダビデを愛しておられました。マタイの系図では、ソロモンは「ダビデの妻」の子ではなく「ウリヤの妻の子」として紹介されています。姦淫による子どもです。そして神は、神殿という国家的な事業を、その彼にゆだねられたのです。神はふさわしくない者を選ばれます。それこそ理解すべきことです。
6. 収穫とは終わりの時のこと:そして時は迫っている
マタイ13:39で、イエスは「収穫は世の終わりであり、刈る者は御使いたちである」と説明しておられます。わたしたちはその狭間の時代に生きています。世界の出来事はめまいを覚えるほどです。グリーンランドをめぐる緊張、ホルムズ海峡、再軍備を進めるヨーロッパなど。ダニエル2章の預言的な解釈(鉄と粘土の混じった足)によれば、反キリストはヨーロッパから出るとされています。時計の針は進んでいます。
何をすべきでしょうか。パウロはテサロニケ人への第一の手紙でこう答えます。静かな生活を送り、互いに愛し合うよう努めなさい、と。残るものは、信仰と希望と愛です。それ以外のすべて(政治、経済、文化)は過ぎ去ります。もし終わりが来て、あなたとわたしが実を結んでいなければ、それは重大なことです。実を結ばなければなりません。そして互いに実を結ぶのを助け合わなければなりません。それが収穫の働き手ということです。
7. 実は、あなたのうちにあるキリストのいのちによってのみ結ばれる(ヨハネ15章)
ヨハネ15:8。「あなたがたが実を豊かに結び、こうしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになるのである。」5節。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにおり、またわたしがその人におるなら、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしを離れては、あなたがたは何一つできないからである。」12節。「わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。」
キリストにとどまるとは、互いに愛し合うことです。だれも完全にはそれを果たせませんが、それに励むなら、あなたはとどまっています。とどまるなら、あなたは実を結びます。栄光を受けられるのは御父です。なぜなら、それは人間の功績ではないからです。実を生み出すのは御霊であって、あなたの意志でも、あなたの性格でもありません。
8. 恵みを理解すること、そこからすべてが始まる
コロサイ1:6(櫻井牧師はこの箇所を、理解された恵みに結びつけて引用します)。「あなたがたは、この福音が来た日に、真理に基いて神の恵みを聞いて知って以来、それが世界のいたるところで実を結び、また成長しているように、あなたがたの間でも同じことが行われているのである。」言い換えれば、恵みが理解されなければ、実はありません。もしあなたがまだ神に「値する」ことが必要だと考えているなら、最初の失敗であなたはつまずいてしまうでしょう。
恵みとは、値しない良いものを受け取ることです。それを本当に理解したなら、倒れたときに恥じて身を引くことはなくなります。文句を言いながらでも、ためらいながらでも、ありのままの姿で神のもとに来るのです。「助けてください」、これが唯一正しい祈りです。そして御霊が、変えるべきものを変えてくださいます。
福音書の中でキリストが人々にどう近づかれるかを見てください。七つの悪霊に苦しめられていたマグダラのマリヤのもとへ行かれます。娘が悪霊につかれていたスロ・フェニキヤの女のもとへ行かれます。復活後、最初に現れたのはペテロにではなく、マグダラのマリヤにでした。キリストは社会が軽んじる者たちを重んじられます。なぜなら、そこにこそ恵みが最もよく見えるからです。あなたの周りの人々が「あの人は前はいらいらして不安そうだったのに、どうしてあんなに変わったんだろう」と言うのを、キリストは喜ばれます。答えは「キリストのおかげです」。これこそが証しとなる実なのです。
9. 御霊の実(ガラテヤ5:22〜23)
「御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制である。」櫻井牧師は、この実をひとつのもの(愛)が八つの側面に分かれて現れたものとして見ています。分裂で腐りきっていたコリントの教会に対しても、パウロは愛についての一章まるごとを割いています(コリント人への第一の手紙13章)。愛は、愛が欠けている場所にこそ書き記されるのです。
この実は、努力や意志の実ではありません。「歯を食いしばって忍耐しよう」ということではないのです。それを生み出すのは御霊です。あなたの努力は、求めるためにとっておいてください。あなたの気概は、神にこう言うために使ってください。「助けてください。」そうでなければ、あなたは愛のパリサイ人、トイレにコリント人への第一の手紙13章を貼りながら、決してそれを生きていない人になってしまいます。
10. イエスから目を離さないでいなさい(ヘブル12:2)
「信仰の導き手であり、またこれを全うするかたであるイエスを仰ぎ見つつ走ろうではないか。彼は、その前に置かれている喜びのゆえに、恥をもかえりみないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。」
「彼の前に置かれていた喜び」、それはあなたのことです。十字架の凄まじい苦痛のただ中で、キリストはあなたの魂を喜んでおられました。彼は隣で十字架につけられた強盗のためにも喜んでおられました。まさにそのとき信じた最初の実です。彼は、これから信じるすべての人々のためにも喜んでおられました。あなたも含めてです。正しい応答は、努力によってではなく、御霊が湧き上がらせる自発的な喜びによって、その喜びをキリストにお返しすることです。もしそれを感じないなら、それを求めてください。もしかしたら百回求める必要があるかもしれません。キリストはそれをかなえてくださいます。これだけは、キリストがあなたに拒むことのできないものです。なぜなら、キリストはそれをあなたに与えるために死なれたからです。
3節。「あなたがたは、罪人らのこのような反抗を忍耐された者(イエス)のことを思いなさい。そうすれば、たゆまず、心を弱らせないであろう。」落胆は、あなたの視線がキリストから離れることから生まれます。あなたはある奉仕をうまくやり遂げたことを喜びますか。それは結構です。しかし、あなたの根本的な喜びはキリストでなければなりません。そうでなければ、最初の失敗でその喜びは揺らいでしまいます。
キリストの喜びと平安があなたを支えているとき、あなたには内側に少しの余裕が生まれます。その余裕が、あなたをほかの人に対して忍耐強く、親切で、善良で、誠実で、柔和で、自分を制することのできる者にしてくれます。それがなければ、実はありません。クリスチャンであっても、意地悪な者になって終わってしまいます。柔和さ(にゅうわ)とは弱さではありません。それは、自分がほかの人よりも優れているわけではないと認め、だから上から目線でいることができないと知ることです。自制とは、自分を押し通すことをあきらめ、仕えることです。
覚えておきたいポイント
- 悔い改めとは、赦してくださる方へと方向を変えることであり、自分を罰することではありません。
- 収穫の働き手は、その結果や採算性ではなく、あわれみによって見分けられます。
- 実は、あなたのうちにあるキリストのいのちによってのみ結ばれます。あなたの役割は、とどまり、愛し、求めることです。
- あなたは、あなたの値打ちによってではなく、神があなたの魂を愛しておられるがゆえに、世界の基が置かれる前から選ばれました。
- あなたに対するキリストの喜びは、あなた自身が喜ぼうとする努力に先立っています。目をキリストに向けてください。
個人適用
- あなたはまだ、悔い改めと自己非難を混同していませんか。自分は「その価値がない」と思って、キリストに向き直ることを拒んでいる部分はどこですか。
- あなたが今、教会で奉仕している本当の動機は何ですか。キリストでしょうか、それともほかの何かでしょうか。
- あなたの周りで、単に実用的に助けるだけでなく、あなたが深くあわれむ必要がある人はだれですか。
- あなたが疲れを感じ始めるとき、あなたの目は何に向いていますか。具体的にどうすればイエスに立ち返ることができますか。
- ガラテヤ5:22〜23の実の中で、今のあなたに最も欠けているものは何ですか。それを御霊に生み出してくださるよう、ただ求めたことがありますか。
引用聖句
- マタイ3:7〜8
- マタイ9:35〜38
- マタイ13:39
- ヨハネ15:5
- ヨハネ15:8
- ヨハネ15:12
- コロサイ1:6
- ガラテヤ5:22〜23
- ヘブル12:2〜3
- 歴代誌第一28章
- マタイ1:6
- テサロニケ人への第一の手紙4:11
よくある質問
「悔い改める」とは本当はどういう意味ですか。
ギリシャ語のメタノイアは、方向転換を意味する軍事用語です。悔い改めるとは、自分を責め続けたり、自分の過ちを何度も思い返したりすることではありません。まず自分の過ちを認め、そして根本から赦してくださるキリストへと向き直ることです。自己非難だけでは、どこにもたどり着きません。赦してくださる方への方向転換こそが、本当の変化を生み出すのです。
なぜイエスは収穫が豊かだと言われるのですか。
イエスがすでに十字架ですべてを成し遂げられたからです。新しい契約はすでに有効です。神は赦し、清め、わたしたちの過ちをもはや思い出されません。人生が変わるために必要なものはすべて整っています。足りないのは、あわれみを持って人々のもとへ行くことのできる働き手です。
自分の努力に頼ることなく、どうすれば実を結べますか。
実は御霊から来るのであって、意志から来るのではありません。ヨハネ15章はそれをはっきりと語っています。キリストにとどまること、互いに愛し合うこと、必要なものを生み出してくださるよう御霊に求めることです。あなたの気概は、祈りのためにとっておいてください。「助けてください。」これが、しつこく求める祈りこそが、答えを得るのです。自制そのものも、功績ではなく実なのです。
メモを取ったり質問したりするにはサインインしてください。