はじめに
聖餐式は、主の晩餐とも呼ばれ、クリスチャンがパンとぶどう酒を分かち合う象徴的な食事です。イエスは十字架にかかる前の夜にこれを定め、記念として行うよう命じられました。パンはささげられたからだを、杯は流された血を思い起こさせます。
多くの教会では、集会の中でひとかけらのパンと小さな杯が配られる特別な時間があります。二千年にわたって繰り返されてきたこの簡素な行いには、聖餐式という名前があります。このページでは、聖餐式とは何かを、その起源から伝え、パンとぶどう酒の意味を説明し、それをどう理解するかという教会ごとの違いを、控えめに紹介します。
聖餐式はどこから来たのか
聖餐式は、イエスが十字架にかかる前の夜に、弟子たちと取られた最後の食事にさかのぼります。イエスの生涯を伝える四つの記録である福音書と、パウロの手紙がこれを語っています。イエスはパンを取り、感謝してさき、与えました。続いて杯も同じようにし、忘れないためにこの行いを繰り返すよう命じられました。
ルカによる福音書22章19-20節
「またパンを取り、感謝してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「これは、あなたがたのために与えるわたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」。 食事ののち、杯も同じ様にして言われた、「この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約である。」
イエスはパンについて「これは、あなたがたのために与えるわたしのからだである」と言い、杯について「新しい契約である」と言われました。ご自分の死を、賜物として、また神との新しい関係の始まりとして示されたのです。 ルカによる福音書22章を全文で読む。
コリント人への第一の手紙11章23-26節
「わたしは、主から受けたことを、また、あなたがたに伝えたのである。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンをとり、 感謝してこれをさき、そして言われた、「これはあなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」。 食事ののち、杯をも同じようにして言われた、「この杯は、わたしの血による新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい」。 だから、あなたがたは、このパンを食し、この杯を飲むごとに、それによって、主がこられる時に至るまで、主の死を告げ知らせるのである。」
パウロは、主から受けたことを伝え、このパンを食し、この杯を飲むごとに、主がこられる時に至るまで「主の死を告げ知らせる」のだと付け加えています。この食事は、過去を振り返り、同時に未来を見据えています。 コリント人への第一の手紙11章を全文で読む。
過越の祭りとどんな関係があるのか
この最後の食事は、過越の祭りの期間中に行われました。過越とは、三千年以上前にイスラエルの民がエジプトから解放されたことを記念するユダヤ人の大きな祭りです。毎年、家族は食事をとり、種なしパンと小羊の血がその救いを思い起こさせました。
イエスはこの枠組みを取り入れて、新しい意味をお与えになりました。クリスチャンはそこに、もっと深い解放の約束、すなわち罪のゆるしと神との和解を見ています。そのため、聖餐式は復活祭の前の日々と結びつけられることが多いのです。
パンとぶどう酒は何を意味するのか
パンは、他の人々のために与えられたイエスのからだを思わせます。また日々の食べ物も思い起こさせます。イエスはご自分を「命のパン」と言われましたが、これは長く養ってくれるもののことです。ぶどう酒は、教会によってはぶどうジュースですが、流された血と、神がご自分の民に対して立てられた契約を思わせます。
パンと杯を受けることは、感謝の行いであり、神と、また他の人々との関係を見つめ直す時間であり、一致のしるしでもあります。みんなが同じ食卓で同じ食事を受けるからです。
マタイによる福音書26章26-28節
「一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「取って食べよ、これはわたしのからだである」。 また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、「みな、この杯から飲め。 これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。」
マタイは同じ言葉を伝え、その血が罪のゆるしを得させるようにと「多くの人のために流す」ものだと明記しています。ですからこの行いは、まず受けた恵みの宣言なのです。 マタイによる福音書26章を全文で読む。
ヨハネによる福音書6章35節
「イエスは彼らに言われた、「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。」
イエスは「わたしが命のパンである」と宣言されました。そして、ご自分に来る者は「決して飢えることがなく」と言われます。聖餐のパンは、魂のための食べ物という、この約束を指し示しています。 ヨハネによる福音書6章を全文で読む。
誰が聖餐式にあずかれるのか
実際のやり方はさまざまです。一般的には、聖餐式はイエスを信じると言う人のためのものです。この信仰を表すものだからです。信じるすべての人を招く教会もあれば、洗礼を受けていることを求める教会もあり、一人ひとりに任せる教会もあります。訪問者の場合は、尋ねてみるか、あずからないでいても大丈夫です。
パウロは、パンを食べる前に自分を吟味するよう勧めています。敬意をもって、他の人を軽んじることなくあずかるためです。完全であることではなく、誠実であることが求められています。
コリント人への第一の手紙11章27-29節
「だから、ふさわしくないままでパンを食し主の杯を飲む者は、主のからだと血とを犯すのである。 だれでもまず自分を吟味し、それからパンを食べ杯を飲むべきである。 主のからだをわきまえないで飲み食いする者は、その飲み食いによって自分にさばきを招くからである。」
パウロは、パンを食べ杯を飲む前に「だれでもまず自分を吟味」するよう求めています。大切なのは、この行いの意味をわきまえることであり、機械的に行うことではありません。 コリント人への第一の手紙11章を全文で読む。
どの教会も同じように理解しているのか
すべてのキリスト教会が聖餐式を行っていますが、理解の仕方は同じではありません。イエスがパンとぶどう酒の中に実際におられると教える教会もあります。ほかの教会は、イエスを思い出すための記念の行いと見たり、信仰によって受ける霊的な臨在と見たりします。こうした違いは確かにありますが、それぞれがイエスに寄せる愛を疑うものではありません。
呼び名も、聖餐式、聖体拝領、ユーカリスト(ギリシャ語で「感謝」を意味する言葉)、主の晩餐などさまざまです。頻度も、毎週行う教会もあれば、月に一度や年に数回の教会もあります。
あわせて読みたい
よくある質問
聖餐式とユーカリストはどう違いますか?
どちらもパンとぶどう酒の同じ食事の呼び名です。「ユーカリスト」はギリシャ語の「感謝」に由来し、主にカトリックと正教会で使われます。「聖餐式」や「聖餐」は、プロテスタントの教会で一般的です。
聖餐式はどのくらいの頻度で行いますか?
教会によって異なります。毎回の集会で行う教会も、月に一度の教会も、年に数回の教会もあります。聖書は繰り返すよう求めていますが、決まった間隔は定めていません。
なぜパンとぶどう酒なのですか?
イエスが、過越の食事のこの二つの要素を用いられたからです。パンはささげられたからだを、杯は流された血を思わせます。ぶどう酒の代わりにぶどうジュースを用いる教会もあります。
洗礼を受けていなくてもあずかれますか?
教会によって異なります。信じるすべての人に開く教会もあれば、洗礼を受けた人に限る教会もあります。いちばん簡単なのは、その場で尋ねるか、丁寧に控えることです。