第二テサロニケ3章:教会が持ちこたえる理由

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はじめに

「キリスト教はどのようにして持ちこたえているのでしょうか。」 これは、エディンバラのCharlotte Chapelの会員であるJamesが、2026年10月18日の夕礼拝で投げかけた問いです。創立から2000年以上が過ぎ、教会は地の果てまで広がりました。その創始者は恥辱のうちに公開処刑されましたが、それでも教会は帝国を倒してきました。

説教者は、イギリスの最近の報告が、四方から脅威が迫る中でも教会が成長している、栄えているとさえ言えると示していることを指摘します。テサロニケの人々と同じように、今日のクリスチャンも、共同体が信者に背を向け、政府がクリスチャンを訴追するのを目の当たりにしています。「脅威は現実ですが、希望は残っています。」

Jamesは第二テサロニケ3:1-5から、三つの言葉で答えます。宣言、守り、忍耐です。「三つのP(頭文字)です。どうしても言いたくなりました。」 いずれもキリストのことです。キリストの宣言、キリストの守り、キリストの忍耐です。

メッセージの流れ

1. もろいのに持ちこたえる教会

  • この手紙は、約2000年前の最初期の教会の一つであるテサロニケの人々に宛てられています。ユダヤ人もギリシア人も、男性も女性もいる多様な群れで、教会の家族として結び合わされていました。
  • 今日のクリスチャンも、同じ普遍の教会の一員として彼らと結ばれ、同じ脅威に直面しています。状況は以前より穏やかなことが多いものの、脅威が現実であることに変わりはありません。
  • 「世界は昔も今も恐ろしい場所です。」 それでも、キリスト教は持ちこたえています。
  • 本文です。「最後に、兄弟たちよ。わたしたちのために祈ってほしい。主の言葉が、あなたがたの間でと同じように、速やかに宣べ伝えられ、あがめられるように[...]。しかし、主は真実なかたであるから、あなたがたを堅うし、悪しき者から守って下さるであろう。[...] 主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐とを待ち望ませて下さるように。」(第二テサロニケ3:1-5)

2. キリストの宣言

  • 敵対的な環境で傷ついているクリスチャンの少数派が聞く必要があるのは、この動きがただ一つの方向にしか進まないということです。それは遠くへ、広くへと広がっていきます。
  • 最も意外なのは、その手段です。強い者が支配する残酷な世界では、剣や破壊工作、暴動が予想されるでしょう。しかし違います。キリスト教は宣言によって広がります。
  • パウロの最初の願いは、進軍する軍隊でも自分の身の安全でもなく、「主の言葉が速やかに宣べ伝えられる」ことでした。
  • テサロニケの人々がクリスチャンになったのもこのようにしてでした。パウロは聖書に基づいて彼らと論じ合い、キリストは必ず苦しみを受け、死人の中からよみがえるべきこと、また「わたしがあなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストである」と説明し、論証したのです(使徒行伝17:2-3)。
  • 愚かなことに思えます。世界の支配的な力は兵力を積み上げ、補給網を攻撃します。しかしパウロは「宣教の愚かさ」を愛しています。「十字架の言は、滅びる者には愚かであるが、わたしたち救われる者には、神の力である」(第一コリント1:18)。
  • テサロニケの人々はそれを、「人間の言葉としてではなく、神の言として受け入れた。事実、それは神の言であって、信じるあなたがたの中に働いている」のです(第一テサロニケ2:13)。

3. 消えることのない革命

  • 「キリスト教は、日の目を見ない声明文ではありません。」 暴力によって広がるものでもありません。
  • 次々と打撃を受け、信仰の代価を量っているテサロニケの信者たちには、こう伝える必要があります。これは新しいけれど、流行ではありません。若いけれど、世間知らずではありません。
  • 「軍事クーデターは忘れましょう。押しつぶされた学生デモも忘れましょう。この革命は息切れしません。」 あなたは、過去や未来のどんな激変よりもはるかに大きなものの一部です。
  • パウロは、このメッセージが前進するように祈ることを勧めています。父なる神が子どもたちに良いものを与えることを喜ばれるのなら(マタイ7:11)、この良い賜物のために祈りましょう。キリストが全世界に宣べ伝えられるようにと。
  • 聖書の宣言を通してイエスの愛に出会ったなら、もっと多くの人がこの愛の命に入るように祈りましょう。

4. キリストの守り

  • このメッセージは、誰にでも好まれるわけではありません。反対は現実であり、パウロもそれを知っています。だから二つ目の願いは、「不都合な悪人どもから救われる」ことです。「信仰はすべての人のものではないからである」。
  • 使徒であれ一人の信者であれ、キリストの名を負うには代価が伴います。宣べ伝えていたパウロは、怒った群衆によって町から追い出されました。ヤソンという人は、家から引きずり出され、町の役人たちの前に連れて行かれさえしました(使徒行伝17:5-9)。
  • テサロニケの人々は、こう思ったに違いありません。「私たちは何に巻き込まれたのか。それだけの価値があるのか。」 この動きは、始まる前に押しつぶされそうに見えました。
  • パウロは対比を示します。一方には悪人たち、信仰を持たない人たちがいます。第2章で、惑わされて滅びていく人々として描かれていた人たちです。もう一方には、「主は真実なかたである」。
  • 「主は忠実に行動するだけではなく、忠実になりやすい性質を持つだけでもありません。主は真実なかたです。それが主ご自身なのです。何かをすると言われたなら、そのとおりになさいます。」
  • 「教会よ、勇気を出しなさい。あなたは一人ではありません。退くことはありません。しっかり立ち続けます。」 これは申命記7:9の真実な神です。神を愛し、その戒めを守る者には、契約と慈しみを千代までも守られます。

5. キリストの真実はどこまで及ぶのか

  • 熱が上がったとき、キリストはとどまってくださるのでしょうか。圧力が強まったとき、持ちこたえてくださるのでしょうか。この神は本当に信頼できるのでしょうか。
  • 主のメッセージはこうです。イエスは、花嫁である教会への愛のゆえに、悪人たちから救い出されませんでした。十字架につけられるために、悪人たちの手に渡されたのです。
  • 「イエスは惜しまれませんでした。守られませんでした。」 罪がなく、永遠に真実なキリストは、愛する者たちの身代わりに死なれました。不真実な私たちが、守られる者となるためです。
  • 「ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず、すべてのものをも賜わらないことがあろうか」(ローマ8:32)。あなたの守りも、忍耐も、救い出しも含まれています。
  • 「たとい、わたしたちが不真実であっても、彼は常に真実である。彼にはみずからを否むことができないからである」(第二テモテ2:13)。あなたは、想像しうる最悪のものから守られています。それは地獄、永遠に愛であり真実である神からの永遠の隔たりです。

6. キリストの忍耐

  • 使徒行伝がテサロニケの教会について語ることにもかかわらず、パウロは驚くほど確信に満ちています。「わたしたちは、あなたがたが、わたしたちの命じることを現に行っており、また行うであろうことを、主にあって確信している。」
  • 彼の確信は、状況にも信者自身にも置かれていません。「あなたがたは持ちこたえます。あなたがたが頑丈だからでも、頑固だからでも、自分の内側から力を絞り出せるからでもありません。筋が通っているからでもありません。行いが良いからでさえありません。」
  • 教会が持ちこたえるのは、「あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、それを完成して下さる」からです(ピリピ1:6)。「主は手を離されません。主は真実なかたです。そしてあなたは、主の良いわざなのです。」
  • 主は、不真実な者、悪人を取り上げ、真実なかたであるキリストの義を着せ、新しく造られた者にしてくださいます(第二コリント5:17)。

7. 神の愛へと導かれる

  • 神はどのようにしてこの忍耐を生み出されるのでしょうか。愛によってです。「主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐とを待ち望ませて下さるように」(5節)。
  • 父は永遠に、御霊によって御子に愛を注いでこられました。「神は愛である」(第一ヨハネ4:8)。この愛は、父から御子へ御霊によって流れ下り、教会へ、そして世界へと及びます。イエスは私たちの家族である人類の中に入ってくださいました。私たちがイエスの家族に入るためです。
  • イエスはあなたをどのように愛しておられるでしょうか。最も犠牲が大きく、最も心を揺さぶる仕方で、あなたのために血を流されました。「真実の愛とは、十字架の上で血を流す神です。」 キリストは、文字どおり死に至るまであなたを愛されました。
  • 神の真実な愛は墓よりも強いのです。神はイエスをハデスに捨ておかれず、その聖者が朽ち果てるのをお許しになりませんでした(使徒行伝2:27)。キリストは墓の冷たさの中まで忍耐され、そこから出て、新しい栄光の命へと進まれました。その命を、あなたに賜物として差し出しておられます。
  • 状況に押しつぶされそうなときは、視点を戻しましょう。あなたが礼拝しているのは、この世界の重みのすべてを知り、なお忍耐された神です。「キリストの忍耐とは、神の揺るぎない愛、死でさえ止められなかった愛です。」
  • 帝国が興り、滅び、教会が迫害に次ぐ迫害をくぐり抜ける中でも、確かなことが一つあります。「キリスト教はあきらめて死んだりしません。キリストはあきらめて死なれたのではないからです。教会が持ちこたえるのは、キリストが愛のゆえに持ちこたえてくださったからです。」

この説教のポイント

  • 教会は力や暴力によってではなく、神の力である聖書に基づくキリストの宣言によって広がります。
  • 主の言葉が広がるように祈ることは、自分の身の安全よりも先に置かれた、パウロの最初の願いです。
  • 主は本質において真実なかたであり、ご自分の教会を堅くし、悪しき者から守られます。
  • イエスは惜しまれず、守られませんでした。不真実な私たちが、守られる者となるためです。
  • 教会が持ちこたえるのは、自分の力によってではなく、キリストが愛のゆえに死に至るまで忍耐し、よみがえられたからです。

個人への適用

  1. あなたはパウロのように、主の言葉が広がるように祈っていますか。今週、誰と福音を分かち合えるでしょうか。
  2. キリストの名を負う代価のために、「それだけの価値があるのか」と思ったことはありますか。
  3. 信仰に立ち続ける確信は、何に支えられていますか。自分の力、規律、それともキリストの真実でしょうか。
  4. 今、どんな状況に押しつぶされそうになっていますか。キリストが最後まで忍耐されたことは、あなたにとって何を変えますか。
  5. 今週、主があなたの心を神の愛へと導いてくださるように、どのように委ねますか。

引用された聖句

よくある質問

パウロは第二テサロニケ3:1-5でテサロニケの人々に何を求めていますか。

パウロは、主の言葉が広がってあがめられるように、そして自分たちが不都合な悪人どもから救われるように祈ってほしいと願っています。Jamesによれば、この二つの願いとパウロの結びの祈りは、教会が持ちこたえる三つの理由、つまりキリストの宣言、守り、忍耐を示しています。

なぜパウロは主が真実なかただと言うのですか。

パウロは、信仰を持たない人々と、真実なかたである主とを対比しています。説教者は、真実さとは神が行うことであるだけでなく、神ご自身のあり方だと強調します。何かをすると言われたなら、そのとおりになさいます。主は、ご自分の教会を堅くし、悪しき者から守ると約束されました。

パウロは教会の将来について、何を拠り所に確信しているのですか。

信者の力や良い行いではなく、信者のうちに働くキリストのわざです。彼らのうちに良いわざを始められたかたが、それを完成してくださいます。キリストは十字架と墓まで忍耐し、そしてよみがえられました。教会が持ちこたえるのは、キリストが愛のゆえに持ちこたえてくださったからです。

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