はじめに
棕櫚の主日、2027年3月21日(日)は、受難週の始まりです。復活の一週間前、イエスが子ろばに乗ってエルサレムに入られ、しゅろの枝を振る群衆が「ホサナ」と叫んで迎えたことを思い起こします。イエスは、柔和でへりくだった、約束の王として迎えられました。
毎年春になると、イースターの一週間前に、礼拝や行列で枝が振られます。この日は正確には何を記念しているのでしょうか。なぜイエスはろばを選ばれたのでしょうか。このページでは、「ホサナ」という言葉の意味から、この出来事を予告し語る聖書の言葉まで、素朴な疑問に答えます。
「棕櫚」と「ホサナ」の意味とは
「棕櫚(しゅろ)の枝」とは、群衆がイエスの通る道に敷いたり、振ったりした枝のことです。「ホサナ」はヘブライ語の「ホーシャ・ナー」に由来し、「どうぞ救ってください」という意味です。もともとは、神に助けを求める祈りでした。
時がたつにつれ、この言葉は喜びと歓呼の叫びになりました。群衆がイエスにそれを叫んだ時、彼らはイエスを救いに来られた方と認めたのです。ただ、その救いにどれほどの代価がかかるのかは、まだ知りませんでした。
福音書はエルサレム入城についてどう語っているか
四つの福音書すべてが、ユダヤ人の過越の祭りの数日前のこの場面を伝えています。ほかの書も含めた次の聖書の言葉が、この出来事の理解を助けます。
ゼカリヤ書9章9節
「シオンの娘よ、大いに喜べ、エルサレムの娘よ、呼ばわれ。見よ、あなたの王はあなたの所に来る。彼は義なる者であって勝利を得、柔和であって、ろばに乗る。すなわち、ろばの子である子馬に乗る。」
何世紀も前に、預言者ゼカリヤは、義なる勝利者でありながら、柔和でろばに乗る王を告げました。福音書は、イエスの入城をこの約束の成就と見ています。 ゼカリヤ書9章を全文で読む。
マタイによる福音書21章8節
「群衆のうち多くの者は自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの者たちは木の枝を切ってきて道に敷いた。」
群衆は上着を道に敷き、木の枝を切ってきて敷き、イエスをたたえます。王を迎える時の歓迎のしぐさで、人々はイエスのために、君主を迎えるように道を整えたのです。 マタイによる福音書21章を全文で読む。
ヨハネによる福音書12章12-13節
「その翌日、祭にきていた大ぜいの群衆は、イエスがエルサレムにこられると聞いて、 しゅろの枝を手にとり、迎えに出て行った。そして叫んだ、「ホサナ、主の御名によってきたる者に祝福あれ、イスラエルの王に」。」
しゅろの枝に触れているのはヨハネだけです。聖書ではしゅろの枝は、祭りと勝利に結びついています。人々はイエスを迎えに出て、イスラエルの王としてたたえました。 ヨハネによる福音書12章を全文で読む。
詩篇118篇25-26節
「主よ、どうぞわれらをお救いください。主よ、どうぞわれらを栄えさせてください。 主のみ名によってはいる者はさいわいである。われらは主の家からあなたをたたえます。」
群衆は、大きな祭りで歌われる詩篇の言葉を口にします。それをイエスに当てはめ、イエスは主の御名によって来られた方、神の遣わされた方であるとしています。 詩篇118篇を全文で読む。
マルコによる福音書11章9-10節
「そして、前に行く者も、あとに従う者も共に叫びつづけた、「ホサナ、主の御名によってきたる者に、祝福あれ。 今きたる、われらの父ダビデの国に、祝福あれ。いと高き所に、ホサナ」。」
マルコでは、歓呼は「われらの父ダビデの国」に及びます。群衆は、預言者たちが語ったダビデの子孫の王を待ち望んでいたのです。 マルコによる福音書11章を全文で読む。
ルカによる福音書19章40-41節
「答えて言われた、「あなたがたに言うが、もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶであろう」。 いよいよ都の近くにきて、それが見えたとき、そのために泣いて言われた、」
群衆を黙らせようとするパリサイ人に、イエスは「石が叫ぶであろう」と答えられます。そして都の近くで、エルサレムのために泣かれます。喜びの叫びの中で、イエスはご自分を待つものを知っておられたのです。 ルカによる福音書19章を全文で読む。
なぜイエスは馬ではなくろばに乗って入られたのか
古代では、勝利した戦いの指導者は、馬か戦車に乗って町に入りました。それに対して、ろばは平和をもたらす王の乗り物でした。子ろばを選ぶことで、イエスは政治的な征服者ではなく、柔和でへりくだった王としてご自身を示されたのです。
この細部は、この週のこれからの展開をすでに告げています。この王は敵を踏みつぶすことでなく、ご自分の命を与えることで治められます。エルサレムでこの王を待つ王座は、十字架となるのです。
棕櫚の主日の伝統はどこから来たのか?2027年の日付は?
最初の数世紀から、エルサレムのクリスチャンは、イースター前の日曜日に集まり、手に枝を持ってこの入城を再現しました。この習慣は諸教会に広がりました。地域によって、しゅろの枝、オリーブの枝、あるいは入手しやすいつげの枝などが使われます。
行列を行う教会もあれば、子どもたちに枝を配って賛美礼拝をささげる教会もあります。こうした実践はさまざまで、それぞれの伝統が思い起こす方法を見つけています。2027年の棕櫚の主日は3月21日(日)で、3月28日(日)のイースターの一週間前です。
棕櫚の主日についてのよくある誤解
棕櫚の主日の群衆が、数日後に「十字架につけろ」と叫んだ群衆だと言われることがあります。聖書はそうは述べていませんし、慎重でいるのがよいでしょう。記録は、それぞれの群衆がだれで構成されていたかを明らかにしていません。聖書が語っていない結論を引き出さないようにしましょう。
もう一つの誤解は、棕櫚の主日を政治的な勝利の祭りと見ることです。多くの人はローマの占領からの解放者を待ち望んでいましたが、イエスは別の、より深い勝利のために来られました。人間を神と和解させる勝利です。
棕櫚の主日の過ごし方
あなた自身の人生に、王としてイエスをお迎えしましょう。まだ遠ざけている領域はないか、自分に問いかけてみてください。家族、仕事、計画などです。群衆がイエスに道を開いたように、イエスに扉を開きましょう。
素直にイエスをたたえましょう。賛美歌を歌い、声に出して感謝し、教会の礼拝に加わってください。そして、3月21日から28日まで、一日に一つずつ聖書を読みながら、イエスの最後の日々を追って受難週に入っていきましょう。
お子さんがいるなら、一緒に参加してください。枝を持たせて振らせ、ろばと群衆の話を聞かせ、みんなで「ホサナ」と叫んでみましょう。小さな子どもたちは、参加するほうが物語をよく覚えることが多いものです。
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よくある質問
2027年の棕櫚の主日はいつですか?
2027年の棕櫚の主日は3月21日(日)で、3月28日(日)のイースターの一週間前です。受難週の始まりで、3月25日(木)の洗足木曜日と3月26日(金)の聖金曜日(受難日)へと続きます。
「ホサナ」とはどういう意味ですか?
「ホサナ」はヘブライ語の「ホーシャ・ナー」に由来し、「どうぞ救ってください」という意味です。もともとは神の助けを求める祈りでしたが、賛美の叫びになりました。群衆は、神から遣わされた王として迎えたイエスに、この言葉を叫びました。
なぜイエスはろばに乗ってエルサレムに入られたのですか?
ろばは、戦いの指導者ではなく、平和の王の乗り物です。イエスは、ろばに乗るへりくだった王を告げたゼカリヤの預言を成就されました。征服ではなく救いのために来られた、柔和な君主としてご自身を示されたのです。
なぜ棕櫚の主日につげを使うのですか?
しゅろは、寒い地域ではほとんど育ちません。多くの地域では、オリーブの枝や、一年中緑で春に手に入りやすいつげの枝が代わりに使われます。大切なのは植物ではなく、イエスのエルサレム入城を思い起こすことです。