はじめに
神を賛美し礼拝することは、単なる感情ではありません。それは神がどのような方であり、何をなさったかへの応答です。口語訳で引用したこの25の聖句は、この応答の5つの側面をたどります。全存在をもって神を賛美すること、その偉大さの前にひれ伏すこと、試練の只中で神を賛美すること、集会の中で共に神を祝うこと、そして永遠に約束されている礼拝を先取りすることです。読んでも、歌っても、ひとつずつ祈ってもかまいません。どれも神へと目を上げる招きなのです。
全存在をもって神を賛美する
1. 詩篇103篇1節
「わがたましいよ、主をほめよ。わがうちなるすべてのものよ、その聖なるみ名をほめよ。」
ダビデはまず神に語りかける前に、自分自身に語りかけます。「わがたましいよ、主をほめよ」。賛美はしばしば、自然にわき上がるものになる前に、内なる決断から始まります。「わがうちなるすべてのものよ、その聖なるみ名をほめよ」。 詩篇103篇を全文で読む。
2. 詩篇34篇1節
「わたしは常に主をほめまつる。そのさんびはわたしの口に絶えない。」
ダビデは大きな危険を逃れたあとにこの詩篇を書きますが、それでもこう選びます。「わたしは常に主をほめまつる」。彼の賛美は、良い一日にかかっているのではありません。どんな状況であっても、「そのさんびはわたしの口に絶えない」のです。 詩篇34篇を全文で読む。
3. 詩篇150篇6節
「息のあるすべてのものに主をほめたたえさせよ。主をほめたたえよ。」
詩篇の最後の聖句は、賛美をすべての被造物にまで広げます。「息のあるすべてのものに主をほめたたえさせよ」。あなたの一息一息が、それが神から来ているというだけの理由で、瞬間ごとに賛美となり得ます。 詩篇150篇を全文で読む。
4. 詩篇71篇14節
「しかしわたしは絶えず望みをいだいて、いよいよあなたをほめたたえるでしょう。」
この年老いた詩人はなお戦いのただ中にありますが、はっきりとした決意を持ちます。「わたしは絶えず望みをいだいて、いよいよあなたをほめたたえるでしょう」。賛美は若さだけのものではありません。年を重ねるとともに、しぼむのではなく成長していくことができるのです。 詩篇71篇を全文で読む。
5. エペソ人への手紙5章19節
「詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。」
パウロは信者たちに、「詩とさんびと霊の歌」をもって互いに励まし合うよう勧めます。賛美は複数の声でも生きられます。他の人々と共に歌うことは、聞いている人と同じくらい、あなた自身の心を養うのです。 エペソ人への手紙5章を全文で読む。
神の偉大さの前にひれ伏す
6. 詩篇95篇6節
「さあ、われらは拝み、ひれ伏し、われらの造り主、主のみ前にひざまずこう。」
詩人は、感情以上に具体的な仕草へと招きます。「われらは拝み、ひれ伏し、われらの造り主、主のみ前にひざまずこう」。礼拝は体をも巻き込みます。わたしたちを造られた方の前に膝をかがめるのです。 詩篇95篇を全文で読む。
7. 詩篇29篇2節
「み名の栄光を主に帰せよ、聖なる装いをもって主を拝め。」
この詩篇は、嵐の中に響く神の声を描き、ただひとつの応答を呼び起こします。「聖なる装いをもって主を拝め」。被造物の中に現れる神の力の前で、礼拝こそが唯一ふさわしい態度です。 詩篇29篇を全文で読む。
8. 詩篇96篇9節
「聖なる装いをして主を拝め、全地よ、そのみ前におののけ。」
同じひれ伏す呼びかけが、ここでは敬虔な畏れを伴っています。「全地よ、そのみ前におののけ」。礼拝はだれをも排除しません。それは全世界に向けられた招きなのです。 詩篇96篇を全文で読む。
9. ヨハネによる福音書4章24節
「神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」。」
イエスは、場所についての問いを立てるサマリヤの女を正し、本質を明かされます。「神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」。大切なのは場所ではなく、心の誠実さです。 ヨハネによる福音書4章を全文で読む。
10. 詩篇145篇3節
「主は大いなる神で、大いにほめたたえらるべきです。その大いなることは測り知ることができません。」
ダビデはシンプルでありながら計り知れない真理を宣言します。「主は大いなる神で、大いにほめたたえらるべきです。その大いなることは測り知ることができません」。神がどのような方であるかを、あなたが探り尽くすことは決してありません。それが礼拝を尽きることのないものにしているのです。 詩篇145篇を全文で読む。
試練の只中で神を賛美する
11. ヨブ記1章21節
「そして言った、「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。」
一日にしてすべてを失ったあと、ヨブはひれ伏してこう宣言します。「主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。喪失の中で神を賛美することは痛みを消し去るわけではありませんが、神を人生の外に置くことを拒むのです。 ヨブ記1章を全文で読む。
12. ハバクク書3章17-18節
「いちじくの木は花咲かず、ぶどうの木は実らず、オリブの木の産はむなしくなり、田畑は食物を生ぜず、おりには羊が絶え、牛舎には牛がいなくなる。 しかし、わたしは主によって楽しみ、わが救の神によって喜ぶ。」
預言者は、農業上の災害のリストを列挙したあとで、それでもこう選びます。「わたしは主によって楽しみ、わが救の神によって喜ぶ」。喜びは収穫にかかっているのではなく、それを与えたり控えたりされる神にかかっているのです。 ハバクク書3章を全文で読む。
13. 詩篇42篇11節
「わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。」
詩人はまず自分の落胆について自問し、そして自分自身に命じます。「神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう」。魂に言われるがままになるのではなく、魂に語りかけることこそ、試練の中で賛美へと向かう具体的な第一歩です。 詩篇42篇を全文で読む。
14. 使徒行伝16章25節
「真夜中ごろ、パウロとシラスとは、神に祈り、さんびを歌いつづけたが、囚人たちは耳をすまして聞きいっていた。」
ピリピの牢獄で打たれ、閉じ込められたパウロとシラスは祈ることを選びます。「真夜中ごろ、パウロとシラスとは、神に祈り、さんびを歌いつづけた」。彼らの賛美は快適さにかかっているのではありません。それは鎖の中からさえわき上がるのです。 使徒行伝16章を全文で読む。
15. 詩篇22篇23節
「主を恐れる者よ、主をほめたたえよ。ヤコブのもろもろのすえよ、主をあがめよ。イスラエルのもろもろのすえよ、主をおじおそれよ。」
この詩篇は苦悩の叫びから始まり、集団的な賛美への呼びかけで終わります。「主を恐れる者よ、主をほめたたえよ」。もっとも深い嘆きも、時とともに、他の人々と分かち合う賛美へとつながっていくことができます。 詩篇22篇を全文で読む。
集会の中で共に生きる賛美
16. 詩篇100篇4節
「感謝しつつ、その門に入り、ほめたたえつつ、その大庭に入れ。主に感謝し、そのみ名をほめまつれ。」
この詩篇は、神殿への入場を集団的な感謝の仕草として描きます。「感謝しつつ、その門に入り、ほめたたえつつ、その大庭に入れ」。共同体の賛美は、礼拝の核心に入る前、その敷居からすでに始まっているのです。 詩篇100篇を全文で読む。
17. 詩篇149篇1節
「主をほめたたえよ。主にむかって新しい歌をうたえ。聖徒のつどいで、主の誉を歌え。」
新しい歌をうたおうという呼びかけは、とくに「聖徒のつどい」の中で生きられます。ある賛美は独りでは歌われません。その全き広がりを持つためには、あなたの周りの他の声を必要とするのです。 詩篇149篇を全文で読む。
18. ヘブル人への手紙13章15節
「だから、わたしたちはイエスによって、さんびのいけにえ、すなわち、彼の御名をたたえるくちびるの実を、たえず神にささげようではないか。」
著者は信者たちに、「さんびのいけにえ」、すなわち「彼の御名をたたえるくちびるの実」を絶えず神にささげるよう招きます。賛美は、日曜日の一瞬の出来事としてではなく、絶え間なくささげられる献げ物として示されています。 ヘブル人への手紙13章を全文で読む。
19. コロサイ人への手紙3章16節
「キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい。そして、知恵をつくして互に教えまた訓戒し、詩とさんびと霊の歌とによって、感謝して心から神をほめたたえなさい。」
パウロは、互いに教え合うことと歌うこととを結びつけます。「知恵をつくして互に教えまた訓戒し、詩とさんびと霊の歌とによって」。共に歌うことは、互いに信仰を形づくり合うひとつの方法となります。 コロサイ人への手紙3章を全文で読む。
20. 詩篇47篇1節
「もろもろの民よ、手をうち、喜びの声をあげ、神にむかって叫べ。」
この詩篇は、すべての民に対して、肉体を伴う、にぎやかな賛美へと呼びかけます。「もろもろの民よ、手をうち、喜びの声をあげ、神にむかって叫べ」。礼拝は常に静かなものとは限りません。集会の中で、体と声をもって表現されることもあるのです。 詩篇47篇を全文で読む。
天に約束された永遠の礼拝
21. ヨハネの黙示録4章11節
「「われらの主なる神よ、あなたこそは、栄光とほまれと力とを受けるにふさわしいかた。あなたは万物を造られました。御旨によって、万物は存在し、また造られたのであります」。」
御座の前で、天の生き物たちはためらいなく宣言します。「あなたこそは、栄光とほまれと力とを受けるにふさわしいかた」。天における礼拝は、神をすべてのものの創造主として、例外なく認めるものです。 ヨハネの黙示録4章を全文で読む。
22. ヨハネの黙示録5章12節
「大声で叫んでいた、「ほふられた小羊こそは、力と、富と、知恵と、勢いと、ほまれと、栄光と、さんびとを受けるにふさわしい」。」
今度は、ほふられた小羊が礼拝を受けます。「ほふられた小羊こそは、力と、富と、知恵と、勢いと、ほまれと、栄光と、さんびとを受けるにふさわしい」。十字架は、弱さであるどころか、天においてはまさに礼拝の理由となるのです。 ヨハネの黙示録5章を全文で読む。
23. 詩篇145篇21節
「わが口は主の誉を語り、すべての肉なる者は世々かぎりなく その聖なるみ名をほめまつるでしょう。」
ダビデはこの詩篇を、自分の生涯を超えたひとつの幻をもって締めくくります。「わが口は主の誉を語り、すべての肉なる者は世々かぎりなくその聖なるみ名をほめまつるでしょう」。あなたが今日生きている礼拝は、決して止まることのないひとつの流れに合流するのです。 詩篇145篇を全文で読む。
24. ピリピ人への手紙2章10-11節
「それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、 また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。」
パウロは、歴史の行き着く先を描きます。「あらゆるものがひざをかがめ」、「あらゆる舌が、『イエス・キリストは主である』と告白」するときです。あなたが今日自由に選び取っている礼拝は、いつの日か普遍的な告白となるのです。 ピリピ人への手紙2章を全文で読む。
25. ヨハネの黙示録19章6節
「わたしはまた、大群衆の声、多くの水の音、また激しい雷鳴のようなものを聞いた。それはこう言った、「ハレルヤ、全能者にして主なるわれらの神は、王なる支配者であられる。」
この記事における最後の礼拝の幻は、大水のとどろきのように響きます。「ハレルヤ、全能者にして主なるわれらの神は、王なる支配者であられる」。歴史は、もはや何の妨げも知らない賛美をもって終わるのです。 ヨハネの黙示録19章を全文で読む。
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よくある質問
賛美と礼拝の違いは何ですか。
賛美は、神がなさることを、言葉や歌をもって祝うものです。「息のあるすべてのものに主をほめたたえさせよ」(詩篇150篇6節)にあるとおりです。礼拝は、詩篇95篇6節のように、謙遜な姿勢の中で神がどのような方であるかに心を向けるものです。両者は互いに補い合い、しばしば共に生きられます。
いつでも神を賛美するようにと語る聖句はどれですか。
詩篇34篇1節ははっきりとこう語ります。「わたしは常に主をほめまつる」。ハバクク書3章17-18節はさらに進んで、すべてが失われたように見えるときでさえ賛美を選び取ります。それは賛美が状況にかかっていないことの証しです。
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