イエスの復活が、あなたの永遠の運命を変えた
2026年4月12日(日曜日)、イースターの余韻の中で語られたキャシー牧師のメッセージです。結びの祈りはパトリスが担当しました。
礼拝が終わって、ふと「これって本当に本当のことなんだろうか」という問いだけが心に残る日曜日があります。キャシー牧師は、パウロの言葉に基づいて、この問いをまっすぐに投げかけます。復活がなければ、私たちの信仰は空しく、私たちの宣教も空しく、私たちはまだ罪の中にいる、と。つまり復活は、イースターを彩る美しい物語ではありません。復活こそがすべての中心であり、あなたの永遠の運命を変えたのです。メッセージをたどりながら、それが具体的にあなたにとって何を意味するのか見ていきましょう。
「もしキリストがよみがえらなかったのなら、私たちの宣教は空しく、あなたがたの信仰も空しいものとなります。……もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰は無駄であり、あなたがたはいまだに自分の罪の中にいることになります。」(コリント人への第一の手紙 15:14, 17)
1. 死んだ後、本当は何が起こるのか
キャシー牧師は、とてもシンプルな問いから始めます。人は死んだら、どこへ行くのでしょうか。その答えを探るために、彼女はルカによる福音書16章を開き、金持ちとラザロの物語を読みます。これは抽象的なたとえ話ではありません。イエスは実在の場所を描いています。死者の国、ヘブライ語で「シェオル」、ギリシャ語で「ハデス」と呼ばれる場所です。それとは別に、聖書はより決定的な場所として「ゲヘナ」についても語っており、マルコによる福音書9章に記されています。死者の国はあくまで一時的な場所です。
「この貧しい人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られたが、彼はよみで苦しみながら目を上げると、はるか遠くにアブラハムと、そのふところにいるラザロが見えた。」(ルカによる福音書 16:22-23)
死者の国の中に、二つの離れた場所があり、その間には越えられない境界線があります。一方はアブラハムのふところ、つまり信仰を持って生きた人々のための慰めの場所です。もう一方は苦しみの場所で、金持ちはそこで自分の置かれた状況をはっきりと自覚しています。キャシー牧師はここを強調します。死んだ後も、意識は保たれるのです。自分がどこにいるのか分かります。平安の中にいるのか、苦しみの中にいるのか、分かるのです。これは決して軽く扱ってよいことではありません。
2. 十字架と復活の間に、イエスがあなたのためにしたこと
この死者の国の光景は、十字架によって変わります。牧師は、イエスの死から復活までの三日間に何が起こったのかを、少しずつ描き出す三つの箇所を読みます。詳細な映像のような場面ではありませんが、確かな手がかりです。
「『上られた』ということばは、まず彼が地の低い所に降りられたことを意味していないなら、何を意味するのでしょうか。……高い所に上られたとき、彼は捕虜を連れて行き、人々に贈り物を与えられました。」(エペソ人への手紙 4:8)
イエスは死者の国に降りて勝利を宣言し、そのあと捕らわれ人たちを連れて上られました。解釈はさまざまですが、ある人々はこれを、古い契約のもとで信仰を持っていた人々が、アブラハムのふところから神の御前へと導き入れられたことを表すと理解しています。確かなことは、復活以来、鍵はもはやそれまで握っていた者の手にはない、ということです。
「わたしは初めであり、終わりであり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、世々限りなく生きている。また、死とよみとのかぎを持っている。」(ヨハネの黙示録 1:17-18)
「キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が正しくない者たちのために死なれたのです。それは、私たちを神のみもとに導くためでした。肉においては死に渡され、霊においては生かされたのです。その霊において、彼は捕らわれの霊たちのところへ行って宣言をされました。」(ペテロの第一の手紙 3:18-19)
その結果、十字架と復活以来、信じる者が死ぬとき、その魂はもはや死者の国に降りて待つことはありません。魂はまっすぐイエスのもとへ上っていきます。これこそ、キャシー牧師があなたに伝えたい大きな慰めです。イエスの墓は空であり、その犠牲で十分だったのです。
「ステパノは聖霊に満たされ、天を見つめて、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスを見て、こう言った。『ご覧なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。』」(使徒の働き 7:55-56)
石打ちにされるステパノは、イエスが立って、自分を迎え入れようとしているのを見ます。獄中のパウロは、心が二つに引き裂かれていると書いています。留まるべきか、去るべきか。「私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はその方がはるかにまさっています。」(ピリピ人への手紙 1:23)。使徒は、信じる者の死を、主のもとへの即座の引っ越しのように語っているのです。
3. 自死についての牧会的な一言
キャシー牧師は、ここで難しいテーマに触れます。私たちの世代でとても大きく取り上げられている、自死についてです。彼女はみことばに基づいて、シンプルにこのことを語ろうとします。
- それは神のみこころではありません。神はいのちを豊かに与えるお方です。第六の戒め(「殺してはならない」)は、自分自身にも当てはまります。
- 私たちのいのちは、もはや自分のものではありません。キリストは私たちを、霊も、たましいも、からだも、丸ごと贖ってくださいました。いのちの主は、キリストご自身です。
- 苦しみが最後の言葉ではありません。試練の中での神のみこころは、死の陰の谷を私たちと共に歩んでくださることであって、自分の手で抜け出すことではありません。神の恵みは、私たちに十分なのです。
- それは敵の策略です。敵は「盗み、殺し、滅ぼすために」やって来ます(ヨハネの福音書 10:10)。こうした思いは神から来るものではありません。その扉を閉ざす必要があります。
- 助けを求めてください。祈ってください。でも、一人で抱え込まないでください。牧師に、兄弟姉妹に、専門家に相談してください。そして、あなたの周りで落ち込んでいる人に気を配り、その人のためにとりなしてください。
4. 霊・たましい・からだ。復活があなたの内に起こすこと
牧師は、テサロニケ人への第一の手紙を開き、あなたが三つの側面を持つ存在であることを思い起こさせます。
「平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。また、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られて、私たちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者とされますように。」(テサロニケ人への第一の手紙 5:23)
三つの側面には、それぞれ役割があります。
- 霊は、神の御霊とコミュニケーションを取るための部分です。あなたを神につなげる部分だと言えます。
- たましいは、思い、感情、意志です。日々の決断が行われるのは、ここです。
- からだは、目に見える器であり、動き、食べ、感じる部分です。
キリストを知る前、あなたの霊は神の前で死んでいました。「私たちは自分の背きの罪の中で死んでいた」(エペソ人への手紙 2:5)。たましいとからだだけが決断を下し、神について何も知りませんでした。復活はこれを根本から変えます。あなたの霊が生きたものとなる、それが新生です。あなたの霊は、今や神の御霊に導かれることができ、その御霊は次にあなたのたましい(思い、感情、意志)、そしてからだにまで働きかけます。これが、内側の癒やしの聖書的な土台です。あなたの内に入ってくださった神の御霊は、新しくできるものすべてを新しくしてくださるのです。
では、信じる者が死ぬとき、何が起こるのでしょうか。その人の霊とたましいは、ただちに主のもとへ行きます。からだは地に葬られ、朽ちていきます。それは美しい光景ではありませんが、事実です。しかし、神はそのからだを忘れてはいません。
5. まだ完成していない救い
あなたの救いは、まだ完成していません。それは決定づけられていますが、まだ終わっていないのです。あと一つ、足りないことがあります。それは、イエスが再び来られる日に起こる、あなたのからだの復活です。
「朽ちるものでまかれ、朽ちないものによみがえらされ、卑しいものでまかれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いものでまかれ、強いものによみがえらされ、血肉のからだでまかれ、御霊のからだによみがえらされるのです。」(コリント人への第一の手紙 15:42-44)
その日、今あなたを苦しめているすべてのもの(弱さ、障がい、疲れ、病、そして罪との戦いさえも)が、変えられます。あなたのからだは御霊のからだとなります。つまり、もはやたましいの欲によってではなく、御霊によって支配されるからだです。罪そのものも終わりを迎えます。キャシー牧師は、喜びをもってこう表現します。それは夢が現実になることだ、と。信じる者にとって、これ以上に美しいことは起こり得ません。
ですから、あなたのからだをないがしろにしないでください。神はそれを愛しておられます。イエスは、あなたのからだのためにも死んでくださいました。あなたのからだは、よみがえるのです。
6. あなたが目指すべきこと、復活の力を知ること
パウロはピリピ人への手紙の中で、あなたの人生の軸となるべきことを書いています。
「私はキリストとキリストの復活の力を知り、その苦難にあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、なんとかして死者の中からの復活に達したいのです。」(ピリピ人への手紙 3:10-11)
ここには二つの大切なことがあります。まず、復活の力は将来のためだけのものではなく、イエスを受け入れているなら、今すでにあなたの内で働いています。次に、来たるべき復活は「ぼんやり手にした獲得物」ではありません。パウロ自身が「なんとかして」と書いています。歩みを続けてください。神のみこころを行い続けてください。そうすれば、この希望はあなたの内に生き続けます。
「けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自分に従わせることさえできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光のからだと同じ姿に変えてくださいます。」(ピリピ人への手紙 3:20-21)
あなたはこの地上を旅する、一人の旅人であり、寄留者です。あなたのパスポートは、イエスの血です。そしていつか、あなたの卑しいからだは、イエスの栄光のからだと同じ姿に変えられます。
7. 主と出会う日、あなたの備えはできていますか
牧師は最後に、これから起こることの様子を伝える箇所で締めくくります。
「なぜなら、号令とともに、御使いのかしらの声とともに、また神のラッパの響きとともに、主が自ら天から下って来られるからです。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主に会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」(テサロニケ人への第一の手紙 4:16-17)
主が天から下って来られ、キリストにある死者がよみがえり、まだ生きている人々は変えられ、そしてすべての人が御霊のからだをもってイエスと出会います。これは象徴的な話ではなく、現実です。そしてその日から、あなたはもう二度と主から離れることはありません。
問いはシンプルです。あなたは、主と出会う備えができていますか。もしその答えがはっきりしないなら、今日、物事を整えてください。この日こそが、あなたの人生の目的地なのです。見逃さないでください。
「愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の様子はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現れたら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜなら、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。キリストに対してこの望みを抱く者はみな、キリストが清くあられるのと同じように、自分を清くします。」(ヨハネの第一の手紙 3:2-3)
覚えておきたいポイント
- イエスの復活がなければ、信仰も、宣教も、救いもありません。復活こそキリスト教の中心です。
- 十字架以来、信じる者が死ぬと、その魂はただちにイエスのもとへ行きます。これは悲しみに直面するあなたにとっての慰めです。
- あなたの救いはまだ完成していません。あと足りないのは、主が再び来られるときに約束されている、からだの復活です。
- あなたは霊、たましい、からだから成る存在です。新生以来、神の御霊はこの三つを少しずつ新しくしてくださっています。
- あなたが目指すのは、人生から逃れることではなく、今ここで復活の力を知ることです。
あなたへの適用
- もし今夜、主の前に立つとしたら、「備えはできていますか」という問いに、あなたはどう答えますか。今週、何を整えたいと思いますか。
- 最近の(あるいはずっと前の)悲しみで、今もあなたの心に痛みとして残っているものは何ですか。愛する人がすでにキリストにあってイエスのもとにいるという確信は、あなたの見方をどう変えますか。
- あなたの生活の中で、神の御霊に導かせずに、たましい(思い、感情、意志)だけが単独で舵を取っている領域はありますか。それはどこですか。今日、それを神にお渡ししたいと思いますか。
- もし絶望や自死、投げやりな思いがあなたの心をよぎることがあるなら、今週中に誰に話しますか。具体的な一歩を踏み出してください。
- 「キリストが清くあられるのと同じように、自分を清くする」(ヨハネの第一の手紙 3:3)ために、来週、あなたはどうしますか。具体的な決断を一つ挙げてください。
引用された聖句
- コリント人への第一の手紙 15:14-17・復活がなければ、信仰は空しい。
- ルカによる福音書 16:19-26・金持ちとラザロ、死者の国。
- マルコによる福音書 9:43-48・イエスが語られたゲヘナ。
- エペソ人への手紙 4:8-10・キリストは上られ、捕らわれ人を連れて行かれた。
- ヨハネの黙示録 1:17-18・イエスは死とよみのかぎを持っておられる。
- ヘブル人への手紙 2:14-15・キリストは死によって、死の力を持つ者を滅ぼされた。
- ペテロの第一の手紙 3:18-19・キリストは捕らわれの霊たちに宣言された。
- 使徒の働き 7:55-56・ステパノは神の右に立つイエスを見た。
- ピリピ人への手紙 1:23・パウロは世を去ってキリストとともにいることを願う。
- テサロニケ人への第一の手紙 5:23・霊、たましい、からだが全く聖なるものとされる。
- エペソ人への手紙 2:1-5・背きの罪の中で死んでいたが、キリストとともに生かされた。
- ローマ人への手紙 4:24-25・イエスは私たちの義とされるためによみがえられた。
- ローマ人への手紙 10:9-10・口で告白し、心で信じる。
- コリント人への第一の手紙 15:40-44・血肉のからだでまかれ、御霊のからだによみがえる。
- ヨハネの第一の手紙 3:2-3・私たちはキリストに似た者となり、自分を清くする。
- ピリピ人への手紙 3:10-11・復活の力を知る。
- ピリピ人への手紙 3:20-21・私たちの国籍は天にある。
- テサロニケ人への第一の手紙 4:16-17・主が下って来られ、私たちは引き上げられて主と会う。
- ヨハネの福音書 10:10・敵は盗み、殺し、滅ぼすためにやって来る。
よくある質問
信じる者の魂は、死んだ瞬間、どうなるのですか。
イエスの復活以来、魂はもはや待機の場所を通ることはありません。ただちに主のもとへ行きます。石打ちにされる瞬間にイエスが立っておられるのを見たステパノ(使徒の働き 7:56)や、「世を去ってキリストとともにいることです。実はその方がはるかにまさっています」と書いたパウロ(ピリピ人への手紙 1:23)のようにです。信じる者の墓は、イエスの墓と同じです。からだはそこにありますが、大切な部分はすでに主のもとにあるのです。
自死を考えている人に、何と言えばいいのでしょうか。
まず、その人の話を聞き、一緒に祈ってください。次に、裁くことなく、こうした思いは神から来るものではないこと、その人のいのちには価値があること、キリストがそのいのちを丸ごと贖ってくださったことを伝えてください。最後に、牧師、成熟した兄弟姉妹、医療の専門家など、具体的な助けを求めるよう勧めてください。祈りはこうした支えの代わりにはなりませんが、それを支えるものです。危険が差し迫っている場合は、すぐに救急に連絡してください。
すでに救われているのに、なぜ聖書は私の救いがまだ完成していないと言うのですか。
あなたの救いは三つの側面に及ぶからです。霊(新生によって生かされた)、たましい(少しずつ新しくされている)、そしてからだ(今はまだもろい状態にある)です。イエスが再び来られる日、あなたのからだはよみがえり、変えられます。朽ちるものでまかれ、朽ちないものによみがえらされるのです(コリント人への第一の手紙 15:42-44)。その日、あなたの救いは、あなたの全存在において完成します。
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