はじめに
「こうして城壁はエルルの月の二十五日に落成した。五十二日かかった。」パリ・アレジア・プロテスタント教会(Église protestante Paris Alésia)の牧師ステファン・ギエ(Stéphane Guillet)は、このメッセージでネヘミヤ記の連続講解を続けています。取り上げるのは6章の最初の16節、城壁の完成へと至る箇所です。
平和の前には、恐れがあります。工事の最後の日々には、敵がネヘミヤを動揺させようとする三つの策略がありました。ネヘミヤはそのたびに、毅然と、見極めをもって、勇気を持って応じます。
牧師はこの物語に、あなたの召命の道を歩み通すための教えを見いだします。そして何よりも、最後まで走り抜き、「事はすべて終った」と言うことができたイエスに目を向けるようにとの招きを見いだしています。
メッセージの構成
1. 「平和のうちにある」城壁
- 城壁が完成したことを表すために、ヘブル語の本文は「シャラム」という動詞を用いています。この語から「シャローム」、つまり平和という言葉が生まれました。
- ヘブル的な考え方では、シャロームとは何よりも、完成、充満、成就の状態を指します。平和という意味はそこから生まれます。
- 十字架の上で「事はすべて終った」と言われたイエスは、その成就を見据えて、前もってこう言うことができました。「わたしの平安をあなたがたに与える。」平和は、もはや未完成ではないものが完成していることの上に成り立つのです。
- ですから、きわめてヘブル的に言えば、「城壁は平和のうちにあった」と言うことができます。城壁は完成し、民に平和がもたらされる状態になったのです。
- 16節がそれを裏づけています。敵は力を失い、武装解除されたようになり、この働きが神のみわざであり、最後に決定権を持つのは神であったことを悟ったのです。
2. 終わりの直前に荒れ狂う敵
- この平和の前には、最初の14節が示すとおり、しばらくの間はそれとはほど遠い状況が続いていました。「恐れ」という言葉は、9節、13節、14節の三回出てきます。
- 1節がその時点を示しています。城壁はすでに築き直され、破れ口はもう残っておらず、あとは門の扉を取りつけるだけです。終わりはもう目前でした。
- そこで敵は最後の策略に打って出ます。それは「幸せな結末を前にした、最後の激しい暴力の爆発」でした。
- 牧師はここに、新約聖書でまったく異なる規模で再び現れる聖書の力強いモチーフを見ています。終わりの直前に荒れ狂う敵です。牧師はヨハネの黙示録20章を読み直すよう勧めます。「難しい箇所ですが、それでももう一度読んでみてください。」
- 1節と15、16節の間には、同じ構成で組み立てられた、ネヘミヤを動揺させようとする三つの試みがあります。ネヘミヤに送られる知らせ(2節、6-7節、10節)と、それに対する彼の毅然とした答え(3節、8節、11節)です。
3. 一つ目の試み:「わたしは大事業をしている」
- 4章ですでに登場したサンバラテとゲシェムは、ネヘミヤをオノの平野での会談に招きます。この場所はおそらく、サンバラテが長を務めるサマリヤと、ネヘミヤが総督を務めるユダの国境にあり、交渉にふさわしい中立の場所でした。
- ネヘミヤはわなに気づきます。「彼らはわたしに害を加えようと計ったのである。」本文は彼の鋭い見極めの力を強調しています。皇帝に任命された総督として民を導く立場にあった彼にとって、それは優れた指導者に欠かせない資質でした。
- 牧師は、フランス語訳の「しなければならない仕事がたくさんある」という言い方は少し味気ないと感じています。フランス語のTOB訳(エキュメニカル訳)の「わたしがしていることは大事業である」という訳のほうを好んでいます。直訳すれば、わたしが成し遂げているのは大きな働きだ、という意味です。
- ネヘミヤは、私たちがときどき使う言い訳のように「忙しすぎて行けない」とは言いません。彼は、身も心も注いで取り組んでいる働き、つまり神が彼を召された生涯の働きの重要性を強調しています。そこから目をそらす理由はどこにもありません。
- パウロもピリピ人への手紙3章で同じことを言っています。「うしろのものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、目標を目ざして走り」ます。ネヘミヤは、もうほとんど完成していることを見て、目標に向かって走っているのです。
- これは、天の召しという優先順位をしっかり心に留め、あなたにとって益よりも害をもたらす妨げを見極めるようにとの招きです。敵は同じ知らせを四度送ってきます。彼らはネヘミヤを消耗させることはできませんでした。
4. 二つ目の試み:公開書簡によるうわさ
- 5節から9節では、知らせが再び届きます。今度は公開書簡が添えられています。手紙は通常、蝋の封印で閉じられ、宛先の人だけが読むことができました。開封されたままなら、誰でも読めます。
- それはうわさを広める手段でした。「現代のSNSで出回る、AIが作り出したフェイクニュースの、古代版のようなものです。本物らしく見えて、実は偽物なのです。」
- そのうわさとは、ネヘミヤは王になって皇帝に反逆しようとしており、そのために城壁を築き直して対抗し、すでに自分の王位を宣言する預言者まで立てている、というものでした。これは偽りです。けれども、うわさに対しては「偽りだと言うだけでは足りない」のです。
- 危険は二重にありました。うわさは千キロ以上離れた皇帝の耳に届き、数年前にもあったように(エズラ記4:7-23)、工事の中止につながるかもしれません。民のほうは、恐れに負けたり、ネヘミヤへの信頼を失ったりするかもしれません。
- ネヘミヤは自分を弁明しようとせず、うわさを偽りだと告げるだけです。「あなたの言うようなことは行われていない。あなたが自分の心で考え出したことだ。」彼には良心の確信があり、内面は平安でした。
- けれども彼は、この策略の陰険さを理解しており、それは彼自身に突き刺さります。もはやすべての札を手にしているわけではありません。うわさが広がれば、彼にはそれを止められないのです。
- そこで彼は祈ります。「神よ、今わたしの手を強くしてください。」彼はただ神の助けを求めます。聖書が勧めるとおり、どんなことでも、あなたがたの願いを神に知っていただきなさい。そうすれば、神の平安が、キリスト・イエスにあって、あなたがたの心と思いを守るのです。
5. 三つ目の試み:身を守るために罪を犯すことを拒む
- 10節から14節では、首謀者とみられるトビヤが預言者シェマヤを買収しています。シェマヤはネヘミヤに、夜のうちに殺しに来る者がいると言って、神殿の祭司だけに許された場所に隠れるよう迫ります。
- もしネヘミヤが従っていたら、中傷されたことでしょう。彼のような一般の人は、神殿の祭司専用の区域に入る権利がなかったからです。
- ここでも彼は見極めの力を示し、恐れに負けません。「わたしのような者が逃げられようか。」彼は身を隠すような人ではなく、敵を真正面から見据えます。
- 「わたしのような者で、だれが神殿にはいって命を全うすることができようか。」総督であっても、彼は神が定めた規則の上に自分を置きません。身を守るために神に背くことを拒み、もし死なねばならないのなら、神に罪を犯さずに死ぬほうがよい、と言わんばかりです。
- 牧師はこの勇気を、使徒行伝20章24節のパウロの勇気に重ねています。「しかし、わたしは、自分の行程を走りおえ、主イエスから賜わった、神の恵みの福音をあかしする任務を果すことができさえすれば、自分の命も少しも惜しいとは思わない。」
- 「なんという指導者でしょう」と牧師は感嘆します。民に勇気を与え、進むべき道を示し、右にも左にもそれてはならないと語ることができる指導者です。
6. すべてを成し遂げたイエスを仰ぎ見る
- この物語を学ぶうちに、牧師の思いはマタイによる福音書4章のイエスの誘惑へと導かれました。この結びつけは唐突に見えるかもしれませんが、物語は同じ構成で組み立てられています。
- 悪魔は三度、イエスをその大いなる働き、すなわち地上に遣わされた使命から引き離そうとしました。イエスはそのたびに毅然と答え、ひるむことなく最後まで歩み抜く決意を示されました。
- ネヘミヤを通して、私たちはイエスを仰ぎ見るよう招かれています。イエスは召命を完全に果たし、それを完成と平和へと導かれた指導者です。
- イエスは道からそらされることなく、うわさに屈することもなく、最後の瞬間でさえ神に罪を犯されませんでした。
- ネヘミヤとは違い、イエスは本当に死に向き合わなければなりませんでした。死はイエスの道の一部だったからです。イエスは死に向き合い、死ぬ直前に十字架の上で「事はすべて終った」と宣言されました(ヨハネによる福音書19:30)。
- 「この『事はすべて終った』という言葉の前で、私たちのために最後まで歩み抜かれた主イエスを、時間をとって見つめましょう。」
心に留めたいポイント
- 聖書において、平和は完成と結びついています。城壁は完成したとき「平和のうちにある」のであり、イエスはすべてを成し遂げたからこそ、ご自身の平安を与えてくださいます。
- 敵は、終わりの直前に荒れ狂うことがよくあります。最後の直線では、特に目を覚ましている必要があります。
- 優先順位を守るとは、神が委ねてくださった働きから引き離そうとする妨げを見極め、右にも左にもそれないことです。
- うわさに対して、ネヘミヤはただ真実を語り、自分を弁明せず、そして祈ります。「神よ、今わたしの手を強くしてください。」
- ネヘミヤは、身を守るために罪を犯すことを拒みます。彼は、最後まで歩み抜き、「事はすべて終った」と言うことができたイエスを指し示しています。
個人への問いかけ
- 神があなたを召された「大いなる働き」は何でしょうか。今、どんな妨げがあなたをそこから引き離そうとしていますか。
- 疲れや逆境のために投げ出したくなるような最後の直線にいますか。今週、「目標に向かって走る」とはあなたにとってどういうことですか。
- うわさや不当な非難に直面したとき、あなたはどう反応しますか。延々と弁明しますか。それとも真実を語ったうえで、祈りのうちに神に委ねますか。
- 恐れのために、神への従順から遠ざかる近道を選びそうになっている分野はありませんか。
- あなたのために最後まで歩み抜かれたイエスを見つめる時間を持ちましょう。イエスの「事はすべて終った」は、あなたの踏みとどまり方をどう変えますか。
引用された聖句
- ネヘミヤ記 6:1-16
- ヨハネによる福音書 14:27
- ヨハネの黙示録 20
- ピリピ人への手紙 3:13-14
- エズラ記 4:7-23
- ピリピ人への手紙 4:6-7
- 使徒行伝 20:24
- マタイによる福音書 4:1-11
- ヨハネによる福音書 19:30
よくある質問
ネヘミヤ記6章15節の「城壁は落成した」とはどういう意味ですか。
ステファン・ギエによれば、使われているヘブル語の動詞「シャラム」から「シャローム」という言葉が生まれました。ヘブル的な考え方では、シャロームはまず完成と充満の状態を指し、そこから平和という意味が生まれます。城壁は「平和のうちにあった」と言えます。城壁は完成し、民に平和がもたらされる状態になったのです。
ネヘミヤ記6章でネヘミヤに向けられた三つの試みとは何ですか。
まず、オノの平野での交渉への招きです。これは彼を働きから引き離すためのわなでした(2節から4節)。次に、彼が王になろうとしているといううわさを広める公開書簡です(5節から9節)。最後に、彼を神殿に隠れさせて罪を犯させようとする、シェマヤの偽りの預言です(10節から14節)。ネヘミヤはそのたびに、毅然とした言葉で応じます。
ネヘミヤ記6章とイエスの誘惑にはどんなつながりがありますか。
ステファン・ギエによれば、マタイによる福音書4章も同じ構成で組み立てられています。悪魔がイエスをその使命から引き離そうとする三つの試みと、それに対する三つの毅然とした答えです。ネヘミヤは、道からそらされることなく、死に向き合い、十字架の上で「事はすべて終った」と言うことができたイエスを仰ぎ見るよう、私たちを招いています。