過越祭:十字架の御業によって得られたあなたの権利

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はじめに

セレスタン・ヤオ牧師は、過越祭(復活祭)のメッセージの冒頭で、しばしば混同される二つの言葉、「勝利」と「凱旋」を区別することから始めます。勝利には、ぎりぎりのものもあります。牧師は、延長戦の末に1対0でかろうじて勝ち取った予選突破の例を挙げます。それは勝利ですが、すべてを出し切らねばならなかったことが伝わってきます。凱旋とは、それとは違うものです。相手をあまりに圧倒したので、見ていた人々が最後には「試合にすらなっていなかった」と言うようなものです。この復活祭の主日に教会が祝っているのは、かろうじて勝ち取った勝利ではありません。キリストの完全な凱旋です。

メッセージの題名がそれを要約しています。過越祭とは、成し遂げられたキリストの御業を祝うことなのです。すべては、十字架の上で発せられた一つの言葉から始まりました。「すべてが成し遂げられた」(ヨハネ19:30)。そしてこの「すべてが成し遂げられた」は、苦しみを閉じるだけではありません。あなたのために一連の既得権を開くのです。既得権とは、法律用語です。牧師は、モントリオールでの教会開拓のときの出来事を語ります。ゾーニングの変更が行われる前に取得していた占有権が、火災の後もその場所を保持することを可能にしたのです。法は法です。法を知らないでは済まされません。今日、牧師はあなたに同じことを霊的な次元で提案します。キリストが十字架であなたに与えてくださった権利が何であるかを発見し、そこに入っていくことを学ぶのです。

メッセージの構成

1. すべては十字架から始まる

  • 十字架なしには、祝うべきものは何もありません。だからこそパウロはこう書いています。「わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えます。それはユダヤ人にはつまずかせるものであり、異邦人には愚かなものですが、召された者にとっては、神の力であり、神の知恵であるキリストなのです」(コリントの信徒への手紙一1:18-24)。
  • ユダヤ人にとってつまずきとなったのは、彼らがモーセ(解放者にして預言者)とダビデ(敵に勝利する王)を兼ね備えたメシアを待ち望んでいたからです。ローマに嘲られ、十字架に打ちつけられた男は、その期待に一致しませんでした。だからこそ「彼を十字架につけろ、バラバを解放しろ」という叫びが起こったのです。バラバは少なくとも、占領者に対して武器を取った人物でした。
  • ギリシア人にとって愚かだったのは、多神教の世界において、人間によって辱められる神性というものが意味を成さなかったからです。
  • しかし、神の目には、それは隠された知恵でした。イエスの隣で十字架につけられた強盗が、真っ先にそれを悟りました。「あなたが御国の力をもってお出でになるときには、わたしを思い出してください。」するとイエスは彼に答えられました。「あなたは今日、わたしと一緒に楽園にいる」(ルカ23:42-43)。
  • イエスご自身が、この高挙をあらかじめ告げておられました。「わたしがこの地上から上げられるなら、すべての人をわたし自身のもとへ引き寄せよう」(ヨハネ12:32)。
  • このメッセージの力強いイメージは、荒れ野の青銅の蛇です(民数記21:4-9ヨハネ3:14-15に引用)。蛇に噛まれた民は、ただ、竿の上に上げられた青銅の蛇を見上げるだけで、命を取り戻すことができました。罪に噛まれた人類にも、ただ一つの解決策しかありません。それは、ゴルゴタの丘、天と地の間、午前9時から午後3時までの間に上げられた方を見上げることです。イエスが「すべてが成し遂げられた」と言われたとき、人類がこれまで見たことのない最大の取引がなされたのです。
  • 神学者たちはこれを「キリストの十分な御業」と呼びます。十分であるということは、あなたはもはや何も付け加える必要がないということです。何一つです。家族のどんな犠牲も、村のどんな儀式も、どんな宗教的な行いも、この尊い血に付け加えられることはありません。「彼は、山羊や子牛の血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、至聖所に入られました」(ヘブライ人への手紙9:11-12)。

2. 第一の既得権:恵みの座への自由な近づき

  • 十字架の第一の効果は、サタンの敗北ではありません。それは御父への近づきの回復です。牧師は強調します。サタンを前面に出さないでください。それは神の第一の関心事ではありませんでした。
  • 分離はアダムとエバから始まりました。彼らが罪を犯したとき、彼らはエデンにおける神の臨在の雰囲気から追い出され、ケルビムがその近づきを守るようになりました(創世記3:23-24)。「すべての人は罪を犯したので、神の栄光を受けられなくなっています」(ローマの信徒への手紙3:23)。その最も恐るべき結果は、あなたの源から切り離されることです。
  • 十字架は御父の聖さを満たします。御父は再び近づき得る方となられます。牧師は一つのイメージを用います。ある国では、国家元首があなたに恒久的な謁見の権利を認めることがあります。あなたは特別な招待を必要とせず、あなたが来るとき、元首はいつでもあなたを迎える用意ができています。
  • パウロは異邦人にこう告げます。「キリストは来て、遠く離れているあなたがたにも、近くにいる者にも、平和を告げ知らせられました。というのは、キリストによってわたしたちは、両方の者が一つの霊において、御父に近づくことができるからです」(エフェソの信徒への手紙2:17-18)。
  • 私たち異邦人は、「キリストとかかわりなく、イスラエルの民から除外され、約束を含む契約とは無縁で、この世にあって希望もなく、神もない者」でした(エフェソの信徒への手紙2:12)。今日あなたを資格ある者とするのは、あなたの功績ではありません。あなたのために語る血なのです。キリストにあって、あなたは「アバ、父よ」と叫ぶことができます(ローマの信徒への手紙8:15)。

3. 第二の既得権:愛する御子の国への移し入れ

  • 第二の権利。キリストはあなたを解放するだけでなく、あなたを移し入れてくださいます。「御父はわたしたちを闇の力から救い出し、その愛する御子の支配の下に移してくださいました。わたしたちはこの御子によって、贖い、つまり罪の赦しを得ているのです」(コロサイの信徒への手紙1:13-14)。
  • 牧師は古代中近東から取られたイメージを説明します。ある王が別の王国に勝利すると、征服された民を自分のもとへ移し入れました。キリストの前には、強い者が私たちを奴隷にしていました。キリストはその暴君にこう言われます。「わたしの息子を解放しなさい、わたしの娘を解放しなさい。」そして、ただ解放するだけでなく、移し入れます。あなたは国を変えるのです。
  • もう一つ、現代のイメージがあります。あなたが外国にいて、危機が起こったとします。自国の力ある大使館を持つ国籍の人々は、真っ先に避難させられます。あなたがたは並んで歩いていても、危機のときには同じではありません。あなたが属する国が、危機の中ですべてを変えるのです。
  • イスラエルが過越祭を祝うとき、彼らはエジプトにも「さようなら」を告げていました。「これがここでの最後の食事だ。わたしはあなたがたをここから連れ出す。」これこそ、キリストが十字架であなたのためになしてくださったことです。

4. 第三の既得権:帳消しにされた負債と武装解除された敵

  • 「神は、わたしたちに不利な、規則ずくめの証書を破棄し、それを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。神はまた、支配と権威の座にある者たちの武装を解除して、キリストによって凱旋の行進に加え、彼らをさらしものになさいました」(コロサイの信徒への手紙2:14-15)。
  • パウロの時代、人は借金をするとき、自分の手で借用証書に署名しました。私たちの罪の人生は、いわば、この証書に署名してきたのです。「はい、わたしは嘘をつきました、盗みました、姦淫を犯しました、呪術を行いました。」悪魔は、この証書を正しい神の前に突き出すことができました。しかし十字架で、イエスはこの文書を破棄し、木に釘付けにしてくださいました。
  • イエスは負債を帳消しにしただけでなく、あなたを負債の中に留めていた者の武装も解除されました。牧師はローマの凱旋行進のイメージを用います。勝利した王が凱旋するとき、町中の人々が行列を迎えるために出てきました。行列の中には、縛られ、武器を奪われた敗北した王の姿がありました。「奪われる」というのは、亡くなった人の「亡骸」と言うときと同じ言葉です。その人の力であったものが、奪い去られるのです。
  • 「霊があなたがたに服従するということを喜ばず、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」(ルカ10:19-20)。これは一つの既得権です。神の子は御父の前ではへりくだりますが、イエスの名によって、もろもろの力に命じるのです。

5. 第四の既得権:キリストと共によみがえり、共に座す

  • 三日目に、イエスは死者の国に下られました。牧師はこの場面をこう描写します。「これまでわたしの子どもたちを捕らえてきたお前よ、鍵をこちらへ渡せ。」キリストは、死と死者の国の鍵を手にして、よみがえられたのです(ヨハネの黙示録1:18)。
  • キリスト以前にも、他の人たち(ラザロなど)が命に戻されたことがありましたが、彼らは再び死ぬことになりました。キリストは、決定的によみがえられました。キリストは「死者の中から最初に生まれた方であり、すべてのことにおいて第一の者となられる」ためです(コロサイの信徒への手紙1:18)。ギリシア語ではプロートトコス、原型、その位における第一の者という意味です。
  • そして良い知らせは、頭が体を引き寄せるということです。「キリストは体である教会の頭です。」頭が復活を体験したなら、体もそれに続かなければなりません。牧師は単純なイメージでこう言います。誰も「あなたの頭はある場所にあって、あなたの体は別の場所にあるのを見た」とは言えません。頭があるところに、体は従うのです。
  • パウロはこれをはっきりと書いています。「しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちを愛して大きな愛をお示しになりました。それで、罪のために死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かしてくださいました……神はわたしたちをキリスト・イエスにおいて共によみがえらせ、共に天の王座に着かせてくださいました」(エフェソの信徒への手紙2:4-6)。
  • 今日、あなたの足は地上にありますが、キリストにあって、あなたの頭はすでに天の座に着いています。だからこそあなたは支配することができ、命じることができるのです。あなたに来るべき復活は、キリストの復活と同じ型を持ちます。それは、もはや壁に閉じ込められることのない栄光の体です。

6. 第五の既得権:キリストは即位され、私たちは共に治める

  • 犠牲は即位へとつながります。「このためにこそ、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがことごとく、イエスの名によってひざをかがめ、すべての舌が、『イエス・キリストは主である』と告白して、父である神をあがめるのです」(フィリピの信徒への手紙2:9-11)。
  • この王は今日、天とご自分の教会の上に治めておられます。しかし、目に見えるかたちで全地を治められるときが来ます。すべてのものの終わりには、どんな共和国も、どんな人間の王権も残らず、ただお一人が永遠に治められます。
  • ヨハネの黙示録5章は決定的な問いを立てます。「その巻物を開き、封印を解くのにふさわしい者はだれか。」宇宙全体が完全な沈黙に包まれます。ヨハネは泣きます。すると御使いの一人が彼に言います。「泣くな。見よ、ユダ族から出た獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、この巻物とその七つの封印を開くことができる」(ヨハネの黙示録5:5)。そしてヨハネが目を上げると、彼は「屠られた小羊のような姿の方」を見ます(ヨハネの黙示録5:6)。天が贖われた者について語るときの揺るぎないしるしは、屠られた小羊です。
  • 章を追うごとに、歴史の歩みを支配しておられるのは、その巻物を取られた方であることが明らかになります。そして七番目のラッパのときに、こう告げられます。「この世の国は、わたしたちの主とそのキリストのものとなった。主は世々限りなく統治される」(ヨハネの黙示録11:15)。
  • 「彼らは、小羊の血と自分たちの証しの言葉とによって彼(悪魔)に打ち勝った」(ヨハネの黙示録12:11)。これもまた、あなたの既得権です。

心に留めておくこと

  • 復活祭が祝うのは、かろうじて勝ち取った勝利ではなく、完全な凱旋です。イエスは死と罪と敵をあまりに完全に打ち負かされたので、「試合にすらならなかった」のです。
  • すべては十字架から始まります。イエスが「すべてが成し遂げられた」と言われたとき、神の前であなたのために一連の法的な権利が開かれます。十字架は「キリストの十分な御業」です。あなたはそこに何も付け加える必要がありません。
  • あなたの第一の既得権は、御父への自由な近づきです。あなたは、人間の仲介者なしに、特別な招待なしに、成し遂げるべき行いなしに、「アバ、父よ」と叫ぶことができます。
  • あなたは国を変えました。あなたは他の人々と同じ町を歩いていますが、もはや同じ国に属していません。危機のとき、あなたを守るのはあなたの王です。
  • あなたの負債は帳消しにされ、あなたを訴えていた敵は武装解除されました。過去を思い出させに来るとき、唯一の答えは「それはどこに書いてありますか」です。
  • あなたはすでにキリストと共によみがえり、天の座に着いています。それゆえあなたは闇の力に命じることができます。自分を誇るためではなく、あなたが自分の権利のうちを歩んでいるからです。
  • キリストは治めておられ、あなたはキリストと共に治めます。すべては十字架から始まり、すべては栄光の中で終わります。

個人への適用

  • あなたがまだキリストにあって自分の既得権を主張していないために、何かに耐え続けている人生の領域はどこですか。それに名前をつけ、今日、御父のもとに持っていってください。
  • あなたは何によって神に近づいていますか。自分の宗教的な行いによってですか、それともイエスの血によってですか。今週、あなたの祈り方において、それはどんな具体的な変化を求めていますか。
  • 敵はあなたに、キリストが十字架ですでに帳消しにされた過去の負債(罪、恥、失敗)を思い出させていますか。次にそうされたとき、あなたはどう答えますか。
  • あなたは日々の生活の中で、実際にどんな「国」に生きていますか。あなたの財政、あなたの人間関係、あなたの時間の使い方は、キリストの権威のもとにありますか、それとも別の主人のもとにありますか。
  • あなたがすでにキリストと共に天の座にあるなら、懇願したり耐え忍んだりするのではなく、キリストの名によって命じるために、今日どこで立ち上がる必要がありますか。

引用された聖句

FAQ

このメッセージにおいて、勝利と凱旋の違いは何ですか。

勝利には、ぎりぎりのもの、苦しいもの、不確かなものがありえます。牧師は延長戦の末の1対0の予選突破をその例に挙げます。凱旋とは、完全な支配であり、見ている人々が「試合にすらならなかった」と言うほどのものです。復活祭において、教会が祝うのは、イエスがかろうじて勝ち取った勝利ではなく、死と罪と敵に対する完全な凱旋です。

救いについて語るとき、「既得権」とは何を意味しますか。

それは法律用語です。既得権とは、ある時点で得られた権利であり、その後に状況が変わっても有効であり続ける権利です。牧師は具体的な例を挙げます。モントリオールにある彼の教会は、ゾーニングの変更の前に占有権を取得しており、この権利のおかげで、あらゆることがあっても、その場所を保つことができました。霊的に言えば、十字架でのキリストの御業は、神の前であなたにいくつもの法的な権利(近づき、御国への移し入れ、負債の帳消し、キリストとの復活、キリストと共なる統治)を与えてくれます。これらの権利はすでに得られています。それを主張するのはあなたの役割です。

なぜ、サタンの敗北が十字架の第一の効果ではないと言われるのですか。

牧師は、私たちが時として敵をあまりに前面に出しすぎることを指摘します。十字架における神の第一の関心事は、サタンを辱めることではなく、アダムとエバの時から失われていた御父への近づきを回復することでした。もろもろの力の敗北は確かに現実のものです(コロサイの信徒への手紙2:15)が、それはより大きな目的、すなわち「彼を信じる者がすべて、永遠の命を得る」(ヨハネ3:16)ためであり、恵みの座への近づきを取り戻すという、より大きな目的に仕えています。

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