詩篇3篇:試練のなかでも、神はあなたの盾です

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はじめに

テオは、アクシオン・ビブリック・セルヴェット教会でのメッセージを、ちょっとした問いかけから始めます。自宅で静かにくつろいでいるところを想像してください。突然、逃げなければならないと知らされます。だれかがあなたに危害を加えようとしていて、大勢の人とともにこちらへ向かっているのです。あなたはかばんを手に取り、数人の身内と急いで出発します。逃げている途中、あなたは何をしますか。A:先を行き続けるための作戦を考える。B:助けてくれそうな友人にできるだけ多く連絡する。C:立ち止まって詩を書く。

説教者は、自分ならAを選ぶだろう、もしかするとBかもしれないが、Cは選ばないと打ち明けます。それでも、切迫した逃避行と重い試練のさなかにCを選んだ人がいました。それがダビデであり、その詩が詩篇3篇です。

苦しみを好む人はいません。私たちの反射的な反応は、ボクサーのようにパンチをかわそうとすることです。しかし、私たちは堕落した世界に生きており、そこは「罪にむしばまれて」いて、苦しみは避けられません。では、試練にどう向き合えばよいのでしょうか。痛みを伴う時期をくぐることには意味があるのでしょうか。どこに慰めを見いだせばよいのでしょうか。テオはダビデの生涯の中に、その答えの手がかりを探ります。

メッセージの構成

1. 息子に裏切られた、罪ある王ダビデ

  • ダビデは、つつましい家庭の八人兄弟の末っ子で、羊飼いであり、才能ある音楽家で、詩篇の大部分を書いた人です。また英雄でもあり、ゴリアテを倒し、数多くの戦いに勝利しました。神に選ばれてサウルの後を継ぎ、サウルの死後に王位に就きました。
  • 彼の治世は楽ではありませんでした。イスラエルはペリシテ人、モアブ人、シリヤ人との争いに巻き込まれていました。ダビデは神を恐れる人でしたが、聖書に登場するほかの英雄たちと同じく、完全ではありませんでした。
  • 彼はバテシバと姦淫を犯し、その夫ウリヤを殺させるまでに至ります(サムエル記下11章と12章)。その結びつきから生まれた子は死にました。ダビデが悔い改めたにもかかわらず、彼の治世は傾いていきます。
  • 家庭内では、アムノンが異母妹タマルを犯します。ダビデは激しく怒りましたが、アムノンを罰しませんでした。それを怠ったことで、父としても王としても、正義を行わなかったのです。
  • タマルの兄アブサロムはアムノンを憎むようになり、彼を殺します。ダビデは約三年のあいだアブサロムに会うことを拒みましたが、やがて再び会い、彼を赦します(サムエル記下13章と14章)。
  • サムエル記下15章で、アブサロムは門へ通じる道のかたわらに立ち、王に裁きを求めに来る人々を待ち受けて言います。「見よ、あなたの訴えは良く、また正しい。しかし、王のもとには、あなたの訴えを聞く者はいない。」そして人々に口づけし、少しずつ民の心を得ていきます。
  • テオは、この手口の悪質さを指摘します。アブサロムはこう言ったのではないかと想像できます。「王にはあなたがたのための時間がないが、私にはあなたがたのための時間がある。」彼の頭にあるのはただ一つ、父の王座を奪うことです。見ているのは自分の利益だけで、「今日の多くの政治家のよう」ですし、私たちも、自分なりの規模で同じことをすることがあります。
  • アブサロムは、誓願を果たすという口実でダビデに嘘をついてヘブロンへ行き、そこで自分が王であると宣言させます。恐ろしい裏切りです。
  • ダビデは家来たちに言います。「立って、のがれよう」(14節)。彼は家の者たちとともにエルサレムを去ります。国中が泣き悲しみました。30節で、彼は頭をおおい、はだしで、泣きながらオリブ山を登ります。
  • 物語は18章まで続き、そこで戦いが起こってアブサロムは殺され、ダビデは深く悲しみます。しかし、ダビデが詩篇3篇を書いたのは、この逃避行のさなかです。

2. 第一段階:恐れと疑い

  • 人は楽しみのために逃げるのではなく、危険への恐れから逃げます。ダビデは自分が危険な状況にあることを知っており、ただ恐れているだけでなく、悲しみに打ちひしがれています。
  • それが試練です。心をかき乱す痛みを伴う感情を呼び起こす状況を生きることです。イスラエルの偉大な王、ゴリアテを倒した勝利者が逃げているのは、敵からではなく、自分の息子からです。「親のみなさん、自分に危害を加えようとする息子の前から逃げなければならない場面を想像してみてください。」
  • 彼を襲う思いを想像できます。「主よ、私が何を間違えたというのですか。なぜこんなことをお許しになるのですか。」人間的に見れば、ダビデには神に反抗するあらゆる理由があったでしょう。
  • 1節と2節で、彼は自分の試練を言い表します。「主よ、わたしに敵する者のいかに多いことでしょう。」さらに、人々がこう言うのも耳にします。「彼には神の助けがない。」
  • けれども、この詩の八つの節のうち、嘆きなのはこの二節だけです。ほかはすべて、賛美と信頼の言葉です。
  • テオは、自分がダビデの仲間の一人になって、岩に腰かけて書きものをする彼を見ている場面を想像します。「ねえダビデ、今、新曲を書くことが本当に最優先だと思っているのかい。」ダビデはきっと逃げ方の作戦も考えたでしょうが、同時に、賛美を書く時間も取ったのです。

3. 第二段階:「しかし主よ、あなたはわたしを囲む盾」

  • 3節は、小さな一語で始まります。「しかし」です。この語は、試練を認めることと、ダビデの反射的な行動とをつないでいます。彼は「主よ、もううんざりです、あなたは何もしてくださらない」と書くこともできました。しかし、彼は神に栄光を帰すことを選びます。
  • 神は彼の盾であり、彼の栄えであり、彼の頭を高くあげてくださるかたです。言い換えれば、「あなたこそ私の盾です。ほかのだれでもありません。政治的な力でも、お金でも、息子の愛でさえありません」ということです。神は、彼の人生で本当に価値のある唯一のものなのです。
  • 説教者は、ここからすべての試練に当てはまる型を引き出します。「私は苦しんでいる。しかし、神は私の盾、私の栄え、私の頭を高くあげてくださるかただ。」実践するのは簡単ではありませんが、これは真理です。神は、どんなときも主権を持っておられます。
  • 哀歌3章37-38節は、主が命じられなければ何事も起こらず、わざわいも幸いも、いと高き者の御旨から出ると語っています。神は私たちの喜びも試練もお許しになりますが、決して主権を手放されることはありません。

4. 祈り:神はどこにいてもあなたの声を聞いておられる

  • 「わたしが声をあげて主に呼ばわれば、聖なる山から答えてくださる」(4節)。神は近づきやすいかたであり、何でも申し上げることができます。
  • ペテロの第一の手紙5章7節「あなたがたの思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。神はあなたがたをかえりみていて下さるからである」と、ピリピ人への手紙4章6-7節を読みます。あらゆる人知を超える神の平安が、キリスト・イエスにあって私たちの心と思いを守ってくれる、というのです。
  • 彼は長いあいだ、祈るには「雰囲気」が必要だと思っていました。座って、集中して、目を閉じて、手を組む、というように。そうした時間は良いものですが、祈りの生活のほんのわずかな部分にすぎません。神は、一日のただ中で口にした一言でも聞いてくださいます。そうして「絶えず祈る」ことができるのです(テサロニケ人への第一の手紙5章17節)。
  • ヨブは、正しいことばかりを語ったわけではないのに、祈り続けました。詩篇88篇には、前向きな言葉が一つもありません。これらの例は、祈りがどれほど大切かを示しています。「たとえ不平を言うためでも、神への怒りをぶちまけるためでも、泣くためでも、祈ることをやめてはいけません。神はあなたに耳を傾けておられるのですから。」

5. 「わたしは伏して眠り」

  • 5節で、ダビデはさらに先へ進みます。「わたしは伏して眠り、また目をさます。主がわたしをささえられるからだ。」彼は逃亡中で、命の危険があり、野外で寝ています。それでも眠りにつきます。なぜでしょうか。神に信頼しているからです。
  • 詩篇4篇8節も同じ考えを語っています。「わたしは平安にみずから伏し、また眠ります。主よ、わたしを安らかにおらせてくださるのはあなただけです。」
  • そのような信頼は、理想論に思えるでしょうか。テオにとっては、これらの真理を知り、口にし、思い巡らすだけでも、すでに大きな一歩です。「はい、主よ、あなたを信頼します。あなたのことが分からず、腹が立ち、痛みがあり、悲しいです。でも、3節の『しかし』のように、あなたを信頼したいのです。助けてください。」
  • 信頼とは、神は自分が何をしているかを知っておられ、主権を持ち続けておられ、どんな状況も御旨にしたがって整える力をお持ちだという確信です。
  • ローマ人への手紙8章28節には注意が必要です。苦しんでいる人にこの節を文脈から切り離して投げかけるのは、「まったく逆効果」です。信頼することは、感情を押し殺すことではありません。ダビデは泣きましたし、「イエスは涙を流された」のです(ヨハネによる福音書11章35節)。
  • 6節から8節で、ダビデは敵を恐れず、こう結びます。「救は主にある。」多くの勝利を重ねたあとなら、自分を頼みにすることもできたでしょう。すでにゴリアテに向かったときにも、彼はこう言っていました。「ししの爪、くまの爪からわたしを救い出された主は、またこのペリシテびとの手からわたしを救い出されるでしょう」(サムエル記上17章37節)。「戦いは主の戦い」だからです(47節)。

6. 苦しみを知っておられる救い主

  • ダビデは、ヨブと同じように、十字架という慰めを持っていませんでした。新しい契約のもとにある私たちには、さらに大きな慰めがあります。
  • 私たちは、十字架につけられた救い主に従っています。試練をくぐることを不思議に思わないようにしましょう。イエスは退けられ、疲れ、飢え、友を失うことを経験されました。裏切られ、辱められ、十字架に釘づけにされ、さらに悪いことに、父なる神に見捨てられました。
  • テオには、「なぜ神は苦しみをお許しになるのか」という問いへの、できあいの答えはありません。けれども、彼を慰めているのは、神が苦しみを知っておられるのは、ご自身がそれを経験されたからだということです。神は、罪のない者として苦しむために来られ、ご自分の造られたものを救ってくださいました。
  • ゲツセマネで、イエスはこう祈られます。「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思うようにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイによる福音書26章39節)。イエスは三度祈られ、三度とも答えは「ノー」でした。もし神がこの祈りを聞き入れておられたなら、イエスは私たちの罪のために死なれることも、よみがえられることもなかったでしょう。
  • 「罪のないイエスが受けた大きな『ノー』を思うとき、私たちの『ノー』は少し色あせて見えないでしょうか。」神は私たちの試練に無関心なのではありません。耳を傾け、共に痛み、理解してくださいます。
  • 「友よ、あなたが苦しむとき、あなたはイエスに似ています。」私たちは、赦すときや愛するときにイエスに似ているとよく聞いてきました。苦しむときにも、イエスに似ているのです(ペテロの第一の手紙4章12-13節)。
  • モントリオールのある牧師は、こう問いかけました。新婚旅行中の夫婦と、三十年連れ添って喜びも苦しみもけんかも経験してきた夫婦と、どちらがお互いをよく知っているでしょうか。

7. 実践:祈り続け、感情を押し殺さない

  • 苦しみは、神が私たちを聖めるために、つまり私たちをキリストに似た者とするために用いられる道具です。「キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである」(ペテロの第一の手紙2章21節)。
  • 第一に、祈ることをやめないでください。「こう言っては失礼ですが、主に文句を言うためであっても、祈ってください。」この試練を通して、主がご自身について何を知らせようとしておられるのかを尋ねてみましょう。
  • 第二に、感情を押し殺さないでください。泣いても、叫んでも、気分が沈んでもかまいません。ただ、3節の「しかし」を思い出してください。神はあなたの声を聞き、あなたのそばにおられ、主権を持ち続けておられます。
  • 子を愛する父親は、ときに息子のために何かを控えさせます。たとえば、平日の夜遅い試合を見せないといった具合です。父親には長い目で見る視点があるからです。
  • テオは、風邪をひいた生後十か月の赤ちゃんの話もします。鼻を通すには、小さな注射器と生理食塩水が必要です。子どもにとっては耐えがたいことで、わけも分からず暴れます。けれども、父親は、この苦しみがより良い夜をもたらすことを知っています。神もまた、長い目で見る視点をお持ちです。
  • いつの日か、神は苦しみに終わりを告げられます。神は御民とともに住み、彼らの目から涙をことごとくぬぐい去ってくださいます(ヨハネの黙示録21章3-4節)。

心に留めたいこと

  • アブサロムから逃げる中で、ダビデは自分の苦悩を二つの節で言い表し、詩篇3篇の残りを賛美と信頼にささげています。
  • 試練の型は、一言で言い表せます。「私は苦しんでいる。しかし、神は私の盾、私の栄え、私の頭を高くあげてくださるかただ。」
  • 神は、どこにいても、いつでもあなたの声を聞いておられます。不平を言うためでも、泣くためでも、祈ることをやめないでください。
  • 神に信頼することは、感情を押し殺すことではありません。ダビデは泣きましたし、イエスも泣かれました。
  • イエスは苦しみと、父の「ノー」を知っておられます。あなたが苦しむとき、あなたはイエスに似ており、イエスはあなたが今経験していることを正確に理解しておられます。

自分への問いかけ

  1. あなたが今通っている試練に対して、自然に出てくる答えはどれでしょうか。A、B、C のどれですか。
  2. 苦しみを言い表したあとに、今日あなたが置くことのできる「しかし」は何ですか。
  3. あなたは祈りを「雰囲気」のある時間だけに限っていませんか。それとも、一日のただ中で神に語りかけていますか。
  4. 信頼しているなら泣いてはいけないと思って、神の前で押し殺している感情はありませんか。
  5. 今あなたが経験していることを通して、神はご自身について何を知らせようとしておられますか。

引用した聖句

よくある質問

ダビデはどのような状況で詩篇3篇を書いたのですか。

詩篇の表題がそれを語っています。「ダビデがその子アブサロムをのがれたときによんだ歌」。アブサロムは民の心をつかみ、ヘブロンで自分が王であると宣言させ、ダビデは頭をおおい、はだしで、泣きながらエルサレムを去りました(サムエル記下15章)。この賛美を書いたのは、まさにその逃避行のさなかです。

神に信頼することは、感情を押し殺すことですか。

いいえ。テオは、ダビデが泣いたこと、そしてイエスも涙を流されたことを思い起こさせます(ヨハネによる福音書11章35節)。神に信頼することは、泣くまいと努めることではありません。祈り続け、炎のただ中でも、何ものも神の主権から逃れられないことを思い起こすことです。

なぜ、苦しむ人はイエスに似ていると言えるのですか。

イエスは退けられ、裏切られ、辱められ、十字架につけられました。ゲツセマネで、イエスは杯が過ぎ去るようにと願われましたが、父の答えは「ノー」でした。ですから、苦しむことは、キリストが経験されたことにあずかることです(ペテロの第一の手紙4章12-13節)。イエスは、ご自身がそれを経験されたので、あなたの試練を知り、理解しておられます。

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