不安に押しつぶされそうなとき、神に近づきなさい

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はじめに

Equippers Church Canberraの牧師Matt McGawは、私たちの思いをテーマにした短いシリーズ「Mind Matters」を、このメッセージで締めくくります。出発点はこうです。私たちの心(マインド)には大きな力があり、それをどのように大切にするかによって、日々の生活は大きく変わります。

彼は最初に、自分はメンタルヘルスの専門家として話しているのではないと断ります。そして、医療に携わる人々やこの分野の専門家のために神に感謝します。彼が語るのは、三十年以上の奉仕の中で、神のことば、神の約束、そして聖霊の力が、人々を戦いの中で支えてきたのを見てきた牧師としてです。

この日のテーマは、不安と過度の思いわずらいです。彼が紹介する数字によれば、16歳から85歳のオーストラリア人の29%が、生涯のうちに何らかの深刻な不安を経験し、16歳から24歳の若い女性の約40%が、12か月の間に不安障害に直面しています。「牧師としての私の心は痛みます」と彼は打ち明けます。この戦いの中にいる人々に、彼はまずこう語りかけます。「あなたがここにいてくれて、本当にうれしいのです」。そして、聖書から七つの指針を示します。

メッセージの流れ

1. 不安は、必ずしも信仰の欠如ではありません

  • 慢性的に苦しんでいるかどうかにかかわらず、誰もがほとんど絶えず思いわずらいと向き合っています。そこは「外側が内側と必ずしも一致しない」場所です。教会では笑顔でいても、心の中は嵐なのです。
  • 牧師は、教会を導く中で、人々のことやさまざまなプレッシャーの重さに、考えが止まらず夜眠れなくなったことがあると打ち明けます。そして結論づけます。「しっかりした信仰を持ち、神との関係が正しくても、なおこうしたことと闘うことはあるのです」。
  • 不安に押しつぶされそうになると、周りに人がいても孤独を感じます。人から離れ、それがさらに孤立を深め、悪魔はそこにつけ込みます。「誰もわかってくれない。誰も気づかない。誰もあなたのことなど気にかけていない」。
  • みことばはこの偽りに答えます。創造のときから、神は言われました。「人がひとりでいるのは良くない」(創世記2:18)。「あなたには教会が必要です。神が必要です。たとえ一番したくないことであっても、共同体の中にいることが必要なのです」。
  • ローマ人への手紙15:13は、神が望みの源であることを思い出させてくれます。神は、ご自分に信頼する者を喜びと平安で満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいます。「神さま、助けてください」としか言えない日でさえ、神はあなたを助けると約束しておられます。

2. 神は、ご自分に近づくようにとあなたを招いておられます

  • カルメル山で、エリヤは神の火がバアルの預言者たちの前でいけにえを焼き尽くすのを目にし、民がみな「主が神である。主が神である」と叫ぶのを聞いたばかりでした(列王紀上18章)。ところがその後、イゼベルが彼を殺すと脅します。
  • エリヤは恐れて逃げ出します。しもべをベエルシバに残し、れだまの木の下に座って、死を願います。「主よ、もはや、じゅうぶんです。今わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません」(列王紀上19:4)。勝利を味わうどころか、彼は疲れ果て、おびえ、押しつぶされていました。
  • 神は彼を責められません。御使いが彼に触れて言います。「起きて食べなさい」。そこには焼け石の上で焼いたパンと、水のつぼがありました。エリヤは食べて、また眠ります。御使いが再び来て言います。「起きて食べなさい。道が遠くて耐えられないでしょうから」(列王紀上19:5-7)。神は彼に食べさせ、休ませ、もう一度食べさせられたのです。
  • 「そうです、この道は私たちには遠すぎます。私たちには、主に支えていただくことが必要です。自分の力でやろうとしないでください」。
  • サム牧師の考えを引きながら、Matt McGawは、エリヤが恐れていたのは死ぬことではなく、生きることだったのかもしれないと語ります。もう力が残っていないのに、また新しい戦いに向かうことを恐れていたのです。詩篇28:7はこう言います。「主はわが力、わが盾。わたしの心は主に寄り頼む。わたしは助けを得た」。
  • 山の上で、エリヤは自分ひとりだけが残ったと言います。けれども、それは事実ではありませんでした。神は、イスラエルのうちに七千人を残しておくと明かされます(列王紀上19:18)。「敵は半分の真実を取り上げ、それを膨らませて、あたかも真実そのもののように見せることができるのです」。
  • 神は風の中にも、地震の中にも、火の中にもおられず、静かな細い声の中におられました(列王紀上19:11-12)。「不安に押しつぶされそうなとき、答えは神から離れることではなく、神に近づくことです」。神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたに近づいてくださいます(ヤコブの手紙4:8)。

3. 自分ではどうにもできないことを、神にゆだねなさい

  • ダビデは勝利を経験しましたが、政治的な混乱や、身近な人々の裏切りも経験しました。詩篇55篇は、彼の内面の世界を見せてくれます。「わたしの心はわがうちにもだえ苦しみ、死の恐れがわたしの上に落ちました。[...] 「どうか、はとのように翼をもちたいものだ。そうすればわたしは飛び去って安きを得るであろう」」(詩篇55:4-6)。
  • 「私たちの中で、ときどき逃げ出して、どこかに隠れてしまいたいと思う人はどれほどいるでしょうか」。過度の思いわずらいは、しばしば私たちをそこへ追いやります。
  • しかしダビデは続けます。「しかしわたしが神に呼ばわれば、主はわたしを救われます。夕べに、あしたに、真昼にわたしが嘆きうめけば、主はわたしの声を聞かれます」(詩篇55:16-17)。そしてこう言います。「あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。主は正しい人の動かされるのを決してゆるされない」(詩篇55:22)。
  • ダビデは、自分が直面していることをコントロールできませんでした。そして、私たちがこれほど不安になるのも、多くの場合そのためです。彼は自分にできるただ一つのことをしました。神に投げかけることです。「これは上品な言葉ではありません」と牧師は言います。それは力強い行為なのです。ダビデは状況から逃げたのではなく、神のもとへ駆け寄ったのです。
  • 「神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい」(ペテロの第一の手紙5:7)。

4. 明日に、今日を奪わせてはいけません

  • マタイによる福音書6:25-34で、イエスは、まくことも刈ることもしない空の鳥や、栄華をきわめたときのソロモンよりも美しく装われた野の花を指し示されます。「あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか」。
  • 牧師によれば、思いわずらうとき、私たちは物事の順序を逆にしてしまっています。イエスは言われます。「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」(マタイによる福音書6:33)。
  • イエスは、明日がどうでもよいと言っておられるのではありません。「一日の苦労は、その日一日だけで十分である」と言っておられるのです(マタイによる福音書6:34)。明日の問題を、今日の世界に持ち込まないでください。
  • 「不安はこう言います。もし…だったら?もし…だったら?もし…だったら?」。不安はストレスを与え、身動きを取れなくします。信仰はむしろこう問いかけます。「神さま、今日、私は何についてあなたを信頼すればよいのでしょうか。今日という日に向き合うために、今日の私に必要なものは何でしょうか」。

5. 平安が問題よりも大きくなるまで祈りなさい

  • 「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう」(ピリピ人への手紙4:6-7)。
  • 平安は聖霊の実です。悪魔は、あなたの祈りは無駄で、神は聞いておられないと思わせようとします。けれども神はあなたの心をご存じであり、祈りこそが神の平安をもたらすのです。
  • 「神は、状況が変わるとは約束しておられません。こう言っておられるのです。あなたが直面していることのただ中で、あなたはわたしの平安を知るようになる、と」。
  • ピリピ人への手紙4:8は、すべて真実なこと、尊ぶべきこと、正しいこと、純真なこと、愛すべきことを心に留めるよう勧めています。牧師にとって、これらはすべてイエスを表しています。だからこそ、ヘブル人への手紙3:1はイエスを思いみるようにと呼びかけているのです。「私は一冊の本を勧めたこともありますが、その本が答えなのではありません。本はあなたをある方へと導くことができます。その方の名はイエスです」。
  • 彼は、教会の歩みの中でも個人の生活の中でも、どうしたらよいかわからなくなり、よく眠れなくなった時期があったと証しします。そのときの彼の祈りはこうでした。「神さま、助けてください。あなたの平安が必要です」。彼は、この祈りがしばしば力強いものだと信じています。

6. イエスがあなたの舟の中におられることを思い出しなさい

  • 激しい突風が起こり、波が舟の中に打ち込んできます。イエスは舳の方でまくらをして眠っておられます。弟子たちはイエスを起こして言います。「先生、わたしどもがおぼれ死んでも、おかまいにならないのですか」(マルコによる福音書4:37-38)。
  • 経験豊かな漁師たちでさえ慌てふためいていました。けれどもイエスは眠っておられました。外で起きていることに左右されない平安と確信を、内に持っておられたのかもしれません。もしかすると、今のあなたの叫びもこうかもしれません。「神さま、なぜ眠っておられるのですか。私が何を通っているのか、見えないのですか」。
  • 不安と過度の思いわずらいは、神のご性質を疑うように私たちを追いやります。神はどこにおられるのか、なぜこんなことを許されるのか、と。しかしイエスは問われます。「なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか」(マルコによる福音書4:40)。
  • 「嵐が来る前から、イエスはすでに舟の中におられました」。嵐があるからといって、神があなたと共におられないということにはなりません。神は嵐さえも用いて、私たちがご自分に頼り続けるようにしてくださることがあります。
  • イエスは風をしかり、海に向かって「静まれ、黙れ」と言われると、大なぎになりました(マルコによる福音書4:39)。「たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです」(詩篇23:4)。

7. 神はあなたの問いを受けとめてくださり、あなたを見ておられます

  • 子どもがいないために年ごとに辱められていたハンナは、泣いて食事もとらなくなりました。「ハンナは心に深く悲しみ、主に祈って、はげしく泣いた」(サムエル記上1:10)。彼女は神の前で正直でした。
  • 「ありのままの自分でいられる場所があるとすれば、それは神の家です」。ここでは仮面をかぶる必要も、大丈夫なふりをする必要もありません。ハンナは心の重荷を神の御手にゆだねました。神は人を用いることがおできになりますが、答えは神ご自身です。やがて彼女は、偉大な預言者の一人であるサムエルを産みました。
  • 「主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる」(詩篇34:18)。
  • 最後のポイントです。神はあなたを見ておられます。ハガルは、そのほとんどを自分で選んだわけではない状況に置かれ、身ごもり、拒まれ、守ってくれる人もなく、荒野で絶望していました。神は彼女に語りかけ、その子をイシマエルと名づけるように言われます。それは「神は聞かれる」という意味です。
  • 心を揺さぶられた彼女は、自分に語られた主を呼んで言います。「あなたはエル・ロイです」(創世記16:13)。それは「わたしを見られる神」という意味です。「この戦いの中で孤独を感じているなら、今日私はあなたに伝えたいのです。神はあなたを見ておられます。そして、神はあなたにもご自分を見てほしいと願っておられるのです」。
  • 牧師は一つの言葉で締めくくります。それは「明け渡す」ことです。こうした戦いを認めずにいると、それは「漏れ出して」しまい、その重さを担うのは多くの場合、私たちの身近な人々です。道は、イエスに身を寄せるときに始まります。「主よ、私にはあなたが必要です」。

心に留めたいポイント

  • しっかりした信仰を持ちながら、不安と闘うことはあります。落とし穴は孤立です。神は、あなたがひとりで歩むようには造られませんでした。
  • エリヤと同じように、この道はあなたには遠すぎます。神はあなたの疲れを責めず、あなたを養い、ご自分に近づくよう招いておられます。
  • 自分ではどうにもできないことは神にゆだね、明日の心配を今日一日に持ち込まないでください。
  • 祈りは、状況がまだ変わっていないときでも、あなたの心と思いを守る平安をもたらします。
  • イエスは嵐の前からあなたの舟の中におられます。神はあなたの問いを受けとめ、あなたを見ておられる神です。

あなた自身への問いかけ

  1. 外に見せている自分と、内側で経験していることの間に、ずれはありませんか。今週、そのことを誰に話せるでしょうか。
  2. 思いわずらいが大きくなるとき、あなたは神や人から離れる傾向がありますか。それとも近づく傾向がありますか。
  3. 自分ではどうにもできない状況の中で、今日神にゆだねる必要があるものは何ですか。
  4. 明日についてのどんな「もし…だったら?」が、あなたの今日を奪っていますか。今日一日のために、神に何をゆだねたいですか。
  5. 今あなたが通っている嵐の中で、イエスがすでに舟の中におられたという事実は、あなたにとって何を変えるでしょうか。

引用聖句

よくある質問

不安になるのは、信仰が足りないからですか。

必ずしもそうではありません。Matt McGawは、牧師である自分も、プレッシャーの重さで夜眠れなくなることがあると語ります。しっかりした信仰を持ち、神との関係が正しくても、なお思いわずらいと闘うことはあるのです。危険なのは孤立することです。神は、私たちがひとりで人生を歩むようには造られませんでした。

れだまの木の下のエリヤは、疲れ果てることについて何を教えていますか。

カルメル山での勝利の後、エリヤは崩れ落ち、死を願います。神は彼を責めず、食べさせ、眠らせ、もう一度食べさせます。「道が遠くて耐えられないでしょうから」。説教者はここから一つの教訓を引き出します。この道は自分には大きすぎると認め、主に支えていただくことです。

祈れば、問題は消えるのですか。

いつもそうとは限りません。Matt McGawによれば、ピリピ人への手紙4章は状況が変わることを約束しているのではなく、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたが通っている困難のただ中で、あなたの心と思いとを守ることを約束しています。だからこそ彼は、平安が問題よりも大きくなるまで祈るようにと勧めるのです。

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