はじめに
聖書によれば、神は愛です。愛は神から来て、イエスにおいて示されました。最も大切な戒めは、全存在で神を愛し、自分のように隣人を愛することです。この愛は単なる感情ではなく、具体的で、忍耐強く、惜しみなく与える選択です。
「愛」という言葉は、家族にも、食べ物にも、映画にも、恋人にも使われます。聖書がこの言葉を使うとき、何を意味しているのでしょうか。聖書は神ご自身から始め、私たちの日常の行いにまで降りてきます。このページでは愛についての主な箇所をたどります。神は何者か、何を求めておられるか、本当の愛とはどのようなものか、そして愛するのが難しいときにどう愛し続けるかです。
神は愛である、とはどういう意味ですか
使徒ヨハネは、神が愛するとだけ言うのではなく、神は愛であると言います。愛は数ある性質のひとつではなく、神の性格の中心です。神がなさることはすべて愛によるもので、私たちのためにイエスを送られたこともそうです。
これは私たちの愛し方を変えます。私たちは自分の力で愛をつくり出す必要はありません。先に愛されたから愛するのです。神に愛されていると知る人は、自分の蓄えを使い果たすことなく愛することができます。
ヨハネの第一の手紙4章8節
「愛さない者は、神を知らない。神は愛である。」
ヨハネは、神を知ることと愛することを直接結びつけます。愛さない人は、まだ神がどなたかをつかんでいません。神は愛だからです。 ヨハネの第一の手紙4章を全文で読む。
ヨハネの第一の手紙4章16節
「わたしたちは、神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じている。神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます。」
私たちは神の愛を知り、信じました。愛のうちにとどまるとは、神のご臨在の中で生きることです。愛は、そこに住まう場所になります。 ヨハネの第一の手紙4章を全文で読む。
最も大切な戒めは何ですか
律法の専門家がイエスに、最も大切な戒めは何かと尋ねます。イエスの答えは二つの文で足ります。全存在で神を愛すること、そして自分のように隣人を愛することです。隣人とは、あなたの近くにいる人で、同僚、近所の人、家族、外国の人も含まれます。
この二つの愛は一緒に進みます。他の人を軽んじながら神を愛していると言うことはできず、神を忘れて他の人を愛することもできません。イエスは、律法全体と預言者、つまり旧約聖書全体が、この二つの戒めにかかっていると言われます。
マタイによる福音書22章37-39節
「イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。 これがいちばん大切な、第一のいましめである。 第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。」
神を愛することは、心、精神、思いを、つまり人全体をかけることです。第二の戒めも第一と同様です。人への愛は、神への愛から生まれます。 マタイによる福音書22章を全文で読む。
本当の愛とはどのようなものですか
コリント人への第一の手紙13章は結婚式でよく読まれますが、パウロはこれを分裂した共同体に向けて書きました。そこで愛は、一連の行いとして描かれます。寛容であること、情深いこと、誇らないこと、いらだたないことです。愛は来ては去る感情ではなく、生きて実践するものです。
この箇所は鏡でもあります。「愛」という言葉を自分の名前に置き換えてみると、どこで成長が必要かが見えてきます。あなたを責めるためではなく、キリストの愛を示すためです。その特徴はひとつひとつ、イエスの中に見いだされます。
コリント人への第一の手紙13章4-7節
「愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。 不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。 不義を喜ばないで真理を喜ぶ。 そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。」
パウロは愛を、その行いで描きます。愛は寛容で、自分の利益を求めず、真理を喜びます。この愛は、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、疲れることがありません。 コリント人への第一の手紙13章を全文で読む。
聖書は本当に敵を愛するよう求めているのですか
はい。イエスははっきりと語っておられます。敵を愛するとは、好意を持つことでも、虐げられるままになることでも、悪を見逃すことでもありません。悪に悪を返すことを拒み、その人の益を求め、その人のために祈ることです。
これは感じるというより、決める愛です。神が私たち自身に与えてくださった赦しに支えられています。時間が必要なこともあり、ときには健全な境界線も必要です。たとえば暴力をふるう人からは身を守りながら、その人のために祈ることです。
ルカによる福音書6章27-28節
「しかし、聞いているあなたがたに言う。敵を愛し、憎む者に親切にせよ。 のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ。」
イエスは具体的な行いを並べます。愛する、親切にする、祝福する、祈る。敵意に向き合うとき、愛は考えにとどまらず、行動の仕方になります。 ルカによる福音書6章を全文で読む。
聖書は夫婦と家族の愛をどう語っていますか
パウロにとって、結婚における愛は、ご自身を与えられたキリストをモデルとしています。夫は、キリストが教会を愛されたように、自己を捧げるまでに妻を愛するよう招かれています。これは仕える愛であり、支配する愛ではありません。
家族や共同の暮らしの中で、パウロはあわれみ、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身に着け、互いに忍び合い、赦し合うよう勧めます。そのすべての上に、全体を結んで完全にする愛を置いています。
エペソ人への手紙5章25節
「夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。」
夫婦の愛のモデルは、イエスの自己犠牲です。この節は、夫に、受け取るより与えるよう求めています。 エペソ人への手紙5章を全文で読む。
コロサイ人への手紙3章12-14節
「だから、あなたがたは、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者であるから、あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身に着けなさい。 互に忍びあい、もし互に責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。 これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。」
パウロは、信じる人が身に着ける衣を描きます。あわれみ、慈愛、謙そん、寛容、赦しです。愛は、それらを一つに結ぶ帯です。 コロサイ人への手紙3章を全文で読む。
愛するのが難しいとき、どう愛し続けますか
まず、自分の限界を認めてください。意志の力だけですべての人を愛することはできませんし、神も助けを与えずにそれを求められはしません。毎日、神に心を愛で満たしてくださるよう願い、それから、できる小さな行いを示していただいてください。
気持ちが伴わなくても、行いを選んでください。メッセージを送る、手を貸す、赦しの言葉を伝える、さえぎらずに聞く、などです。多くの場合、気持ちは行いの後からついてきます。関係があなたを壊しているときは、はっきりした境界線も引いてください。愛することは、傷つけられるままになることではありません。
最後に、愛されることを受け入れてください。多くの人は与えるばかりで受け取らず、疲れ果ててしまいます。神の愛と周りの人の愛を受け取ってください。愛は、心から心へと伝わるものだからです。
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よくある質問
「神は愛である」とはどういう意味ですか
愛が、神の行いだけでなく、神の本質そのものに含まれているという意味です。神がなさることはすべてこの愛から出ており、神は私たちを救うためにイエスを送られたとき、その愛を余すところなく示されました。
神の愛と人間の愛の違いは何ですか
人間の愛は、感情や受け取るものに左右されることが多いものです。神の愛は、それに値しない人にも無条件に与えられます。神の愛は、私たちが違う仕方で愛せるようになる源です。
自分のように隣人を愛するにはどうすればよいですか
自分の益を求めるように、その人の益を求めることです。耳を傾け、助け、赦し、優しく真実を伝えます。そのためには、自分が神に愛されている者だと受け入れることも必要です。
敵を愛さなければなりませんか
はい、イエスによればそうです。復讐を退け、相手の益を求め、その人のために祈ることです。危険な状況にとどまることを求めているわけではなく、愛しながら身を守ることもできます。