死について聖書は何と言っているか:死のしくみとキリスト者の希望

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はじめに

聖書によれば、死は神のもともとの計画ではなく、罪とともに世界に入ってきたものです。イエスは十字架の死と復活によって死に打ち勝たれました。イエスを信じる人にとって、死ぬことはキリストと共にいることであり、約束された復活を待つことです。

死はどの家族にも訪れ、人は誰でもいつか、それが本当は何を意味するのかを考えるようになります。聖書はこの問いを避けません。死を軽く扱うことなく率直に語りながら、死が最後の言葉ではないことも告げています。このページでは、死はどこから来たのか、イエスが何を変えられたのか、死んだ人に何が待っているのか、そして悲しみをどう通り抜け、恐れずに備えるかをたどります。

聖書によれば、死はどこから来たのですか

創造の記録では、人は神との関係の中で生きるように造られています。死が現れるのは、人がその信頼を壊し、男と女が神に背いた後です。ですから死は、神のもともとの計画としてではなく、堕落の結果として示されています。

新約聖書も同じ考えを受け継いでいます。ひとりの人によって罪への扉が開かれ、死がすべての人に及んだというのです。このため、死は私たちにとって不自然なものに感じられます。続くはずだったものが引き裂かれると、私たちは感じるのです。

創世記3章19節

「あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。」

神は背いた後の人に、あなたは土から取られたのだから土に帰ると告げます。ここで死は、創造主の最初の願いではなく、人の歴史に入り込んだ限界として告げられています。 創世記3章を全文で読む。

ローマ人への手紙5章12節

「このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。」

パウロは、罪とともに死がすべての人に及んだと説明します。この節は考えの出発点です。死が乱れから生じたものなら、その乱れを正す方によって打ち破られうるのです。 ローマ人への手紙5章を全文で読む。

イエスは死に打ち勝たれたのですか

ここがキリスト者の希望の中心です。イエスは十字架で死に、三日目によみがえりました。弟子たちは生きておられるイエスに会い、その事実が彼らの恐れを勇気に変えました。彼らにとって復活は、死に打ち勝てることの証拠でした。

コリント人への第一の手紙15章54-57節

「この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである。 「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。 死のとげは罪である。罪の力は律法である。 しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。」

パウロは死をあざけるかのように語ります。死はとげを失いました。つまり、人を決定的に傷つける力を失ったのです。勝利は私たちの努力からではなく、主イエス・キリストによって与えられます。 コリント人への第一の手紙15章を全文で読む。

テモテへの第二の手紙1章10節

「そして今や、わたしたちの救主キリスト・イエスの出現によって明らかにされた恵みによるのである。キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不死とを明らかに示されたのである。」

この節は、イエスが死を滅ぼし、いのちと不死とを明らかに示されたと告げます。福音、つまり良い知らせは、まずこの与えられたいのちの知らせなのです。 テモテへの第二の手紙1章を全文で読む。

信じる人が死ぬと、何が起こるのですか

新約聖書は、この時について控えめに語ります。詳しい描写はありませんが、大切な点は示しています。キリストに属する人は無に引き渡されるのではなく、キリストと共にいるのです。パウロは自分の死を益とさえ呼びました。そのときイエスのそばにいられるからです。

死から復活までの間の状態の細かな点については、キリスト者すべてが同じように理解しているわけではなく、伝統ごとに表現も異なります。ただ、次の点ではみな一致しています。その人は神の手の中にあり、誰もその手から奪い取ることはできないということです。

ピリピ人への手紙1章21-23節

「わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である。 しかし、肉体において生きていることが、わたしにとっては実り多い働きになるのだとすれば、どちらを選んだらよいか、わたしにはわからない。 わたしは、これら二つのものの間に板ばさみになっている。わたしの願いを言えば、この世を去ってキリストと共にいることであり、実は、その方がはるかに望ましい。」

パウロは、仕えるために生きることと、世を去ってキリストと共にいることの間で迷っています。後者を「その方がはるかに望ましい」と言います。死はもはや損失ではなく、イエスのご臨在への入り口なのです。 ピリピ人への手紙1章を全文で読む。

ルカによる福音書23章43節

「イエスは言われた、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」。」

十字架の上で、イエスは有罪とされた人に、きょう自分と一緒にパラダイスにいると約束されます。何も差し出せない人にこの約束が与えられたことは、神の恵みで十分であることを示しています。 ルカによる福音書23章を全文で読む。

約束された復活とは何ですか

聖書は、魂が生き残るとだけ約束しているのではありません。イエスが再び来られるとき、神が人全体を、新しくされた体とともに立ち上がらせると告げています。これが死者の復活と呼ばれるもので、以前の生活に戻るだけのことではなく、神が与えてくださる新しい始まりです。

ヨハネによる福音書11章25-26節

「イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。 また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。」

イエスは、兄弟を亡くして悲しむ女性に語りかけます。教えを述べるだけでなく、ご自身をよみがえりであり命であると示されます。そして、あなたにも向けられる単純な問いを投げかけます。あなたはこれを信じるか、と。 ヨハネによる福音書11章を全文で読む。

テサロニケ人への第一の手紙4章13-14節

「兄弟たちよ。眠っている人々については、無知でいてもらいたくない。望みを持たない外の人々のように、あなたがたが悲しむことのないためである。 わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。」

パウロは、近しい人の死を悲しむ信者たちに書き送ります。泣いてはいけないとは言わず、望みを持たない人々のように悲しまないようにと言います。悲しみは本物のままで、その中を希望が貫いているのです。 テサロニケ人への第一の手紙4章を全文で読む。

希望を持って悲しみを歩むにはどうすればよいですか

泣くことは信仰が足りないことではありません。イエスご自身も、友の墓の前で涙を流されました。悲しむことを自分に許し、亡くなった人のことを話し、身近な人に助けを求めてください。悲しみには時間がかかり、歩む速さは人それぞれです。

自分を抑えずに神に語ってください。詩篇には叫びや問いや涙があふれていて、神はそれを受け止めてくださいます。慰めの聖句をいくつか、暗闇の中で手を握るように、ゆっくり読むこともできます。

ひとりで抱え込まないでください。友人や身近な人、支え合いのグループが寄り添ってくれます。悲しみが重くて食べることも眠ることも生活することもできないほどなら、医師や専門家に相談してください。それであなたの信仰が損なわれることはありません。

恐れずに死に備えるにはどうすればよいですか

死への恐れは人間らしいものであり、聖書はそれを軽んじません。むしろ、イエスの光の中でそれを見つめるように招いています。備えは、イエスとの関係から始まります。自分の人生をイエスにゆだね、赦しを受け取り、愛されていることを知ることです。

備えるとは、和解して生きることでもあります。誰かを傷つけたなら赦しを求め、できるときには赦し、大切なことを身近な人に伝えてください。遺言など実務的なことも考えておけば、残される人の負担を減らせます。

最後に、与えられた時間を精いっぱい生きてください。人生に限りがあると知ることは、大切なことを選ぶ助けになります。愛すること、仕えること、感謝することです。人生を神にゆだねた人は、自分の力に頼らない平安をもって、終わりに向き合うことができます。

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よくある質問

聖書によれば、死はすべての終わりですか

いいえ。聖書は、死が最後の言葉ではないと教えています。イエスはよみがえり、ご自分を信じる人にいのちを約束しておられます。聖書は復活と、私たちの知るものを超えた神との生活を告げています。

愛する人の死について、聖書は何と言っていますか

聖書は痛みを認め、涙を許しています。そのうえで、信じる人は望みのない人のように悲しむのではないと告げます。神は、イエスにあって眠った人々を、イエスと共に導き出してくださるからです。

キリスト者でも死を恐れるべきですか

恐れがあっても自然なことで、罪ではありません。けれども聖書は、イエスが死に打ち勝たれたと断言しています。人生をイエスにゆだねた人は、キリストと共にいることを知って、信頼して歩むことができます。

肉体の死と霊的な死の違いは何ですか

肉体の死は、体のいのちが終わることです。霊的な死は、罪によって神から切り離されることを指します。イエスは、この断絶を今すぐ、赦しと新しいいのちによって修復すると申し出ておられます。

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