はじめに
センター・エヴァンジェリック・シオン(Centre Évangélique Sion)では、教会の使徒がアンゴラへの宣教に出ている間、フィストン・コンゴロ牧師が説教を担当しました。前回の「陶器師を受け入れなさい」というメッセージに続いて語られたのは、仕事中の「午前2時」に準備したという主題、見えない重荷です。
出発点は、変革と一致を掲げた今年の教会のビジョンです。牧師によれば、多くの人は、誰の目にも見えない重みのせいで、この変革を生きることができずにいます。教会に来て、歌い、踊り、主をほめたたえても、家に帰れば問題はそのままそこにあるのです。
メッセージは分かりやすい道筋をたどります。見えない重荷とは何か、それが何を生み出すのか、どこから来るのか、そして何よりも、それを扱うことのできる「ほかならぬお方」であるイエスにどのように重荷を委ねるのか、です。
メッセージの流れ
1. 少しずつ満たされていく見えない袋
- 牧師は、見えない重荷を、人の内側、すなわち心、魂、霊に影響を及ぼす「精神的、感情的、心理的な負担の集まり」と定義します。
- だれもが見えない袋を背負っています。だれかにひどいことを言われた、だれかに傷つけられた、ある出来事が怒り、憎しみ、ねたみ、陰口を引き起こした。そのすべてが袋に入っていきます。
- 人生の思いわずらいも、過去の過ちや後悔も、そこに加わります。
- 失望は重くのしかかります。だれかを信頼し、何も持たないときから一緒に歩み始めたのに、裏切られ、「その日から、もう人と深くかかわらないと決めてしまった」のです。
- やがて袋は重くなりすぎます。「もう担いきれなくなり、疲れ果ててしまう」のです。浴室の鏡の前に2時間も立ち尽くし、自分に何が起きているのか分からない人もいます。
2. 聖書も知っている重荷
- メフィボシェテは王の孫、王子の子でした。悲惨な出来事が彼を襲い、宮殿にいた者がロ・デバルにいることになりました(サムエル記下9章)。
- ナオミは夫を失い、さらに二人の息子も失いました(ルツ記1章)。昨日までは子どもたちがいたのに、一夜にして彼女の袋は重くなりました。
- ハンナは子どもを授かることができず、ペニナの嘲りに耐えていました(サムエル記上1章)。
- エフタは遊女の子だったために、父の家から追い出されました(士師記11章)。ヨセフは兄たちに退けられました(創世記37章)。二人ともその重みを負いました。
- 牧師はさらに、痛みを伴う衝撃が残した心の傷と、幼いころから味わった見捨てられた経験を挙げます。父や母の愛を受けられなかった子どもが、時には「おまえが私たちの兄弟を殺したのだ」と責められることさえあるのです。
3. どんな医者にも治せない重み
- 「見えない重荷の問題は、医者に診てもらうことはできません。」それを扱うことのできるお方は、ナザレのイエスです。
- こうした重荷の源のひとつは敵です。盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにだけ来る盗人です(ヨハネによる福音書10章10節)。たとえ話にあるように、ある人が麦の種をまくと、敵が来てそのかわりに毒麦をまいていきます(マタイによる福音書13章24-30節)。
- 見えない重荷は、やがて体にまで及びます。受けた衝撃のために、胃の痛みや高血圧が現れるのです。
- エレミヤ書15章18節を読みます。「なにゆえ、わたしの痛みはやむことなく、わたしの傷はいえずに、いやされることを拒むのですか。」長く続く痛みや、いえない傷は、見えない重みを表していることがよくあります。「自分の力でそれを治すことはできません。」
4. 父祖から受け継ぐものと、慣習の重み
- エゼキエル書18章2節は、こうしたことわざを引いています。「父が酸いぶどうを食べたので、子供の歯がうく。」牧師はこのことわざに基づいて、祖父母や先祖の罪が、何もしていない世代の袋を満たし、代々受け継がれていくことがあると語ります。
- 「いちばん打ちのめす苦しみや重みは、たいてい心の中にあります。」
- 家族の中の慣習や「定められた掟」も重くのしかかります。破談になる結婚、相手の家族に紹介したとたんにこじれる関係、一歩前に進むたびに引き戻す縄のような、見えない限界などです。牧師は、ラケルを得るために何年も余分に働かなければならなかったヤコブを挙げます(創世記29章)。
- 不当な非難は爪痕を残します。無実なのに責められ、仕事や結婚や人間関係を失い、もうだれとも友情を結びたくなくなるのです。
- 裏切りは、衝撃があまりに大きかったために、ひとりで生きるほかない状態に人を追いやります。人の上に語られた呪いの言葉も、また重くのしかかります。
5. 自分で開けてしまう扉
- 神の心にかなう人であったダビデも、自ら「扉を開いて」しまいました。宮殿からバテシバが水浴びをしているのを見て、人妻であるのに彼女を召し入れ、その夫を最前線に送り出したのです(サムエル記下11章)。「ダビデのしたことは、ただ見えない重みを満たしただけでした。」
- 説教者はこの悔いを詩篇42篇と結びつけ、詩篇38篇を引きます。「わたしの罪過はわたしの頭を越え、重荷のように、わたしには重過ぎるのです。」
- 罪責感も袋を満たします。神に赦しを求めたのに、毎日そのことを思い返してしまい、心に平安がないのです。
- 牧師は、ある種の性的な行いについて警告し、オナンを思い起こさせます。オナンは、タマルに子孫を残すかわりに自分の種を地に落として無駄にしたため、打たれて死にました(創世記38章9-10節)。牧師によれば、こうした行いは霊的な攻撃に扉を開くものです。
- ひとりの若い女性が、ある男性から受けた仕打ちのために毎日涙を流すとき、その涙は彼女を傷つけた人の人生に重くのしかかります。
- アムノンは妹タマルを辱め、そのうえ追い出しました。アブサロムはアムノンに「良いことも悪いことも」何も語りませんでしたが、憎しみが心からあふれ出し、復讐を果たしました(サムエル記下13章)。もしだれかを傷つけたことがあるなら、「手遅れにならないうちに」関係を正すよう努めなさい。
6. 重荷を負う人をさばいてはならない
- 積み重なった重みは、健康な人を突然の死で連れ去ってしまうこともあります。心がいっぱいになると、「あるとき、もちこたえられなくなる」のです。
- 自分をいたわる余裕がなくなり、話せる相手もなく、自分で問いを立てては自分で答え、道路を見ることさえせずに通りを歩いている人たちもいます。
- 雅歌で、若い女性はこう語ります。「わたしの色が黒いのを見ないでください。日に焼けたのです」(雅歌1章6節)。今の状況だけで人をさばいてはいけません。その人がどんな太陽に焼かれたのか、あなたには分からないのです。
- 牧師は、暮らしている家で虐待され、乱暴されながら、ほかに行き場がないからと黙っているように言われる少女のことにふれます。また、妊娠を守り抜いたために批判される若い女性のことにもふれます。
- 「人を軽々しく批判して時間を費やしてはいけません。」責めるのではなく、キリストの愛を示し、イエス・キリストを紹介しなさい。
7. 重荷をイエスにゆだねる
- 牧師は、まだ何ページものメモが残っていると認めつつ、解決へまっすぐ進みます。それは「イエス・キリストと呼ばれるこの方」のもとへ行くことです。
- ペテロの第一の手紙5章6-7節。「このように、あなたがたは、神の力強い御手の下に、自らを低くしなさい。時が来れば、神はあなたがたを高くして下さるであろう。あなたがたの思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。神はあなたがたのことを心にかけておられるからである。」牧師にとって、この思いわずらいとは「あなたがたの見えない重荷」のことです。
- まず必要なのはへりくだる姿勢です。こうした重みを負っていることを認め、そのうえで、イエスの招きに応えます。「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう」(マタイによる福音書11章28節)。
- 二つ目の要素は赦しです。「あなたを傷つけたその人を赦しなさい。」敵を愛し、のろう者を祝福し、辱める者のために祈りなさい(ルカによる福音書6章27-28節)。子どもをもうけたあとで男性が去っていった女性には、その人を赦しなさい、神はあなたの子どもたちを受け入れてくれる良い夫を与えることができる、と語ります。
- 牧師はだれにでも、自分の内側を見つめるよう促します。「あなたの見えない袋を見てごらんなさい。何でいっぱいですか。」怒り、憎しみ、ねたみ、試練、心の傷、それとも、もう二度と赦さないというあの決心でしょうか。
- メッセージは祈りで締めくくられます。「主よ、あなたが必要です。わたしの重荷をすべてあなたにゆだねるために来ました。」祈る力さえ残っていない人、命を絶つことを考えたことのある人にも、ひとりでいないで、前に出てきてください、いっしょに祈りますから、と呼びかけます。
この記事のまとめ
- だれもが見えない袋を背負っており、そこには傷、失望、後悔、罪責感が少しずつたまっていきます。
- この重みは心だけでなく、体や人間関係にも及びます。どんな医者にも治せません。治せるのはイエスだけです。
- 重荷には、敵から来るもの、父祖から来るもの、慣習から来るものがあります。また、自分で開けてしまった扉から入ってくるものもあります。
- だれかをさばく前に、その人がどんな太陽に焼かれたのか、自分には分からないことを思い出しましょう。
- 重荷を下ろすには、へりくだり、祈り、赦すことです。神が私たちのことを心にかけておられるからです。
自分に問いかけてみましょう
- 今日、あなたの見えない袋を開けたとしたら、そこには何があるでしょうか。怒り、失望、後悔、不当な非難でしょうか。
- あなたの人生に、「いやされることを拒む」痛みや傷があり、それをまだイエスのもとに持って行ったことがないでしょうか。
- あなたはだれを赦さないと決めていますか。そして、その拒否はあなたに何を失わせていますか。
- だれかを傷つけたまま、そろそろ会いに行って関係を正すべき人はいませんか。
- あなたの周りで、その人が負っている重みを知らないまま、早まってさばいてしまった人はだれですか。
引用された聖書箇所
- ペテロの第一の手紙5章6-7節
- エレミヤ書15章18節
- エゼキエル書18章2節
- 詩篇38篇4節
- 詩篇42篇
- 雅歌1章6節
- ヨハネによる福音書10章10節
- マタイによる福音書13章24-30節
- マタイによる福音書11章28節
- ルカによる福音書6章27-28節
- サムエル記下9章
- ルツ記1章
- サムエル記上1章
- 士師記11章1-3節
- 創世記37章
- 創世記29章
- 創世記38章9-10節
- サムエル記下11章
- サムエル記下13章
よくある質問
フィストン・コンゴロ牧師の言う「見えない重荷」とは何ですか。
心、魂、霊にのしかかる、精神的、感情的、心理的な負担の集まりのことです。説教者はそれを、だれもが少しずつ満たしていく見えない袋にたとえます。傷つける言葉、怒り、ねたみ、失望、後悔、見捨てられた経験などです。やがてその袋は重くなりすぎて、歩けなくなってしまいます。
見えない重荷はどこから来るのですか。
牧師はいくつかの源を挙げます。盗み、殺し、滅ぼすために来る敵(ヨハネによる福音書10章10節)、父祖の罪(エゼキエル書18章2節)、慣習や定められた掟、不当な非難、裏切りです。またダビデ、アムノン、アブサロムの例から、罪や復讐によって、自分でこうした重荷に扉を開いてしまうこともあると示します。
見えない重荷はどうすれば下ろせますか。
ペテロの第一の手紙5章6-7節にあるとおり、へりくだってイエスのもとへ行き、思いわずらいをいっさい神にゆだねることです。神は私たちのことを心にかけておられます。説教者はさらに、傷つけた人への赦し、自分の袋に何が入っているのかを正直に見つめること、そして祈りを挙げます。祈る力が残っていないときは、神のしもべたちにいっしょに祈ってもらうよう願うことも含まれます。