神との顔と顔:イメージの戦いに勝つ

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はじめに

「わたしたちがまず求めるのは、解放ではありません。癒やしでもありません。問題や試練から、荒野から抜け出すことが第一ではありません。そうではなく、荒野の中で、わたしたちはあなたを求めて来ます。」これは、牧師トニー・チバング(Tonny Tshibangu)が、Impact Centre Chrétien (ICC) Montréal の祈りのキャンプの二日目に、「神との顔と顔」という題のもとで捧げた祈りです。

キャンプのテーマは「イメージの戦い」です。前日、会衆は神への愛のゆえに神に叫び求めました。この土曜日は「第二ラウンド」にあたり、礼拝と黙想を中心とした一日です。続けて語られる説教というより、教えを織り交ぜた長い導きの祈りであり、牧師は教会を、父なる神を見つめ、その方に似る者へと導いていきます。

牧師の確信は一言に集約されます。「あるがままの神を見つめるとき、神はご自身のイメージをあなたに接ぎ木してくださる。」これを説明するために、牧師はイエスの祈り、ペニエルのヤコブ、シロの神殿のハンナを聖書から取り上げます。

メッセージの流れ

1. 神の御前に立つことは恵みである

  • 牧師は感謝から始めます。「神の臨在の中に立つことは恵みです。呼吸できることも恵みです。話せることも恵みです。兄弟姉妹の隣にいることも恵みです。」
  • 信仰の親たちのために感謝をささげ、一つの原則を示します。「わたしたちが何者になるかは、常に、だれに従うかによって決まります。」
  • 教える前に、三人の人に挨拶をして名前を尋ねるよう、一人ひとりに促します。「名前を知れば、やがて交わりが育ちます。」
  • そして祈ります。「あなたに引き寄せられなければ、だれもあなたのもとに来ることはできません」(ヨハネによる福音書6章44節)。人間の無力さを告白します。「わたしたちは祈り方を知りません。あなたを愛する方法さえ知りません。わたしたちにあなたを愛させてくださるのは、あなたです。」(ローマ人への手紙8章26節)
  • あるがままの神を見ることは、肉からも人間の感情からも生まれません。神の深みまでも探り、それをわたしたちに示してくださるのは御霊です(コリント人への第一の手紙2章10-11節)。

2. 自分が消えていく、もう一つの次元

  • 神のみこころは「わたしたちが、見えない神の目に見える表れとなること」、つまり、わたしたちを通して神だけが見られ、認められることだと牧師は語ります。
  • これを牧師は「もう一つの次元」と呼びます。パウロが到達した次元です。「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである」(ガラテヤ人への手紙2章20節)。そこでは「この世の君が来る。しかし、彼はわたしに対して、なんの力もない」(ヨハネによる福音書14章30節)のです。
  • 「自分がそこにいるとき、怒りもそこにいます。自分がそこにいるとき、利己心もそこにいます。」語られるのは「わたしの利益、わたしの計画、わたしの仕事、わたしの成功」ばかりになり、使命も、伝道も、魂の救いも忘れられてしまいます。
  • 牧師は、神に「行きなさい」と言われてタルシシへ向かったヨナ(ヨナ書1章3節)のような者にならないようにと祈ります。世界は「神の子たちの出現」(ローマ人への手紙8章19節)を待ち望んでいますが、その間、教会は自分自身を見つめ、批判し、互いに戦っています。
  • この次元の実はすぐに見えます。「恐れは確信に変わり、不安は平安に変わります。」牧師は「若い獅子の確信」について語ります。
  • 使徒行伝4章13節を引用します。議員たちは、無学な、ただの人であるペテロとヨハネの大胆な話しぶりを見て、「イエスと共にいた人」であることを認めました。「それは、わたしたちがどこの出身か、村か、過去か、過ちか、そうしたことには左右されません。わたしたちの渇きにかかっているのです。」

3. 渇き、出会いのプロトコル

  • 「満足していない人だけが、もう一つの次元を求めて叫ぶことができます。今いる次元を受け入れ、これが限界だと信じるなら、あなたのためのもう一つの次元はありません。」
  • 牧師は会衆を、水のない、かわき衰えた地で神を慕い求めたダビデになぞらえます(詩篇63篇1節)。
  • 「渇きは、あなたが引き寄せられるプロトコルです。渇きがなければ、みことばを求める思いさえ起こりません。愛へと駆り立てるのは渇きです。」
  • 神に叫ぶとは、神に身をゆだね、助けを求めることです。そこには忍耐が必要です。「昨日叫んだ、などと言わないでください。」まして神は、日夜叫び求める選民のために、正しいさばきをしてくださらないことがあろうか(ルカによる福音書18章7節)。この叫びは内側からのものです。「口だけの叫びではありません。あなたで満たされたい、と言う心の叫びです。」
  • 「見よ、わたしは新しいことをなす。それはいま起る」(イザヤ書43章19節)。牧師は「古いバージョン」を拒むよう促します。かつて心を満たしていた古い過ち、苦い思い、拒絶、傷つけられた思いを忘れるのです。新しい酒を古い皮袋に入れるようなことはしないのです(マタイによる福音書9章17節)。
  • 歌っている群衆の中でも、全員が同じ体験をするわけではありません。「すべては、あなたを動かしている渇き次第です。」神があなたとただ一人で会おうとされるときもあります。「群衆の中の一人」として。
  • また牧師は、他の人を担うよう呼びかけます。屋上の間の百二十人や、中風の人の友人たちのように。「わたしではなく、わたしたちです。」

4. 父を見つめる:神のイメージがあなたに接ぎ木される

  • 牧師は、「彼のしもべ」が受けた啓示を伝えます。「天にまします我らの父よ」と言うとき、わたしたちは神の御顔、つまり神がどなたであるかを見つめているのです。「御顔について語るとき、わたしたちは神のイメージについて語っているのです。」
  • 「我らの父は愛です。愛として神を見つめるとき、わたし自身がその愛に打たれ、その愛を現す者になります。」
  • 「我らの父は与えてくださる方です。与える方として見つめるほど、わたしは利己心から解放されます。」自分自身が惜しみなく与える人になるからです。
  • 父は守ってくださる方です。そのように見つめるとき、兄弟姉妹を守り、そのためにとりなす人のイメージを受け取ります。サタンがペテロをふるいにかけることを願い求めたとき、イエスがペテロのために祈られたように(ルカによる福音書22章31-32節)、また、世を愛するあまり御子を与えられた父のようにです(ヨハネによる福音書3章16節)。
  • わたしたちの神は偉大です。「『我らの父』と言うとき、わたしは神を偉大な方として見ます。そのために、わたしは小さくなります。そして心の中に生まれるのが、謙遜です。」
  • 神は憐れみの父です。地上の父が足りなかったところで、「あなたには、善い父がいます」。神はあなたを養子にし、家に連れ戻してくださいました。「あなたの過ちがどうであれ、愚かさがどうであれ、罪がどうであれ。」神は放蕩息子の父よりも、さらに優れたことをなさいます。
  • この父を見つめることは、孤立から解放します。「自分だけだとは思わなくなります。ほかにも大勢いる、と思えます。」また恐れからも解放します。「あなたを守る神がおられ、あなたを御自身の予定表に入れてくださった神がおられます。」絶えずそのみ顔を求めなさい(詩篇105篇4節)。モーセは「見えない方を見ているようにして」耐え忍びました(ヘブル人への手紙11章27節)。

5. 黙想は聖書とともに行う

  • 「黙想は聖書とともに行います。物語を見つめるのです。」牧師はシャデラク、メシャク、アベデネゴを挙げます。火は彼らを焼かず、火のにおいさえ、そのからだにつきませんでした(ダニエル書3章27節)。「わたしたちが見つめているのは、この神です。」
  • 見つめている間にも、「ひとつの働きが進んでいます」。確信が訪れ、勇気がよみがえり、赦す心が与えられ、柔和さと忍耐が育ちます。
  • 神は悪人の死を喜ばず、悪人がその道から立ち返って生きることを望まれます(エゼキエル書33章11節)。忍耐深い神として見つめるとき、その忍耐がわたしたちにも映し出されます。イエスは、羊飼のない羊のようであった群衆を見て憐れまれました(マタイによる福音書9章36節)。その憐れみが、わたしたちの憐れみとなります。
  • 詩篇の作者は祈ります。「あなたの顔をしもべの上に照らし、いつくしみをもって、わたしをお救いください」(詩篇31篇16節)。神があなたの上に御顔を照らしてくださるとき、「それは平安であり、信頼であり、勇気であり、救いであり、解放です」。
  • 牧師は会衆に神の御名を宣言させます。すぐれた方、すばらしい方、畏るべき方、打ち負かされない方、栄光に満ちた方。「ただ歌っているのではありません。みことばを黙想の中に置いているのです。」
  • 「畏るべき神として見つめるとき、実際に畏れられる者となるのは、あなた自身です。」牧師は、魔術師シモンが町を支配していたサマリヤにピリポが来たこと(使徒行伝8章9-13節)、そしてパロの魔術師たちの杖をのみ込んだ蛇(出エジプト記7章12節。実際には、彼らの杖をのみ込んだのはアロンの杖です)を思い起こします。「彼らはあなたと戦うが、あなたに勝たない」(エレミヤ書1章19節)。
  • また牧師は、わたしたちが驚くべきしかたで造られたものであることを思い起こさせます(詩篇139篇14節)。

6. ヤコブとハンナ:顔を変える出会い

  • ヤコブはエサウを恐れています。彼は人の地位を奪い、人を操る者であり、逃げています。その逃亡のさなかに神に出会い、こう言うまで格闘します。「あなたがわたしを祝福してくださらなければ、あなたを去らせません」(創世記32章26節)。
  • 「黙想しているうちに、わたしは理解するようになりました」と牧師は言います。ヤコブは、どんな祝福を求めていたのでしょうか。神は一つの問いを投げかけます。「あなたの名は何か。」神は、あなたがどんなイメージを帯びているかをすでにご存じです。「もしかすると、そのイメージはまだあまり鮮明ではないかもしれません。まだぼやけているかもしれません。」
  • ヤコブが答えると、神は言われます。「あなたの名はもはやヤコブと呼ばれることはない。イスラエルと呼ばれるであろう」(創世記32章28節)。「彼の人生における本当の祝福は、この変化でした。まずエサウから守られることではありませんでした。彼は変えられる必要があったのです。」
  • 「わたしたちの本当の必要は、まず結婚ではありません。まずお金でもありません。まず物事でもありません。わたしたちの本当の必要は、神のイメージです。」なぜなら「お金を持っていても、すべてを失うことがある」からです。
  • ヤコブはその場所をペニエルと名づけます。神の顔と顔を合わせて見たからです(創世記32章30節)。これは、アロンがイスラエルの上に宣言することになっていた祝福でもあります。「主がその顔をあなたに照らして」(民数記6章24-26節)。牧師はこれを会衆の上に宣言します。「あなたが変えられ、別の人へと造り変えられますように。」
  • 第二の証人は、ハンナです(サムエル記上1章)。彼女は心の中で祈り、唇だけが動いています。エリは彼女の口を見ていて、その心は見ていません。「神はあなたの心に答えてくださいます。あなたの言葉に必ず答えるわけではありません。あなたの答えを決めるのは、あなたの心です。」前日にも語ったとおり、異邦人のように言葉を重ねればよいのではありません(マタイによる福音書6章7節)。
  • ハンナは主の前に心を注ぎ出し、その顔はもはや以前のものではなくなりました(サムエル記上1章15-18節)。ハンナの顔を変えたのは、祭司エリではありません。「それは、出会いです。」さらに牧師は付け加えます。ハンナは主について語っていますが、「わたしたちには父がいます。善く、完全な父が」。神に目を向けるなら、わたしたちは喜びに輝きます(詩篇34篇5節)。

7. 堂々巡りの繰り返しから抜け出す

  • 集会の終わりに、牧師は「繰り返されるサイクル」の中にいる人々を呼びます。失敗、失業、喪失の繰り返しです。「仕事に就いても、失う。また戻ってくる。また戻ってくる。」
  • このサイクルは「神のみこころではありません」。牧師は祈ります。「あなたは決して、意味もなくみことばを送られることはありません。」そして自由を宣言します。キリストは、わたしたちに自由を得させるために、自由を与えてくださったからです(ガラテヤ人への手紙5章1節)。
  • 牧師はこの解放の意味を明確にします。神は「わたしたちを愛へと連れ戻しておられる」のです。内面の変革は、このキャンプの中心であり続けます。

この記事のポイント

  • イメージの戦いは、最初の戦いです。神は、自分が消えるほどに、あなたを通してキリストが見られることを望んでおられます。
  • 渇きは、出会いのプロトコルです。満足していない人だけが、もう一つの次元を求めて叫びます。
  • 見つめるものに、あなたはなります。父を愛として、与える方として、守る方として見つめるとき、そのイメージがあなたに接ぎ木されます。
  • 黙想は聖書によって養われます。みことばを礼拝の中に置くのです。
  • あなたの最も深い必要は、まずお金や結婚ではなく、神のイメージです。イスラエルとなったヤコブのように。

個人的な適用

  • 今、あなたが神にまず求めているのは何でしょうか。荒野から抜け出すことでしょうか、それとも荒野の真ん中での神の臨在でしょうか。
  • あなたの生活のどんな領域で、「自分」が前に出ていますか。あなたの利益、計画、成功でしょうか。
  • 「天にまします我らの父よ」と祈るとき、神のどんな面を見つめていますか。今週、もう一度見つけ直す必要があるのはどの面でしょうか。
  • 願いごとを神に差し出すだけでなく、神を見つめるために、聖書のどの箇所を黙想できますか。
  • ヤコブのように、あなたのどんな「古いバージョン」を神にゆだね、造り変えていただく必要がありますか。

引用された聖句

よくある質問

イメージの戦いとは何ですか。

ICC Montréal の祈りのキャンプのテーマで、キリストのイメージへと変えられ、人ではなく、その人を通してキリストが見られるほどになることを指します。トニー・チバング(Tonny Tshibangu)によれば、わたしたちが見えない神の目に見える表れとなることが神のみこころであり、それは、自分が消え、キリストがわたしたちのうちに完全に形づくられる次元です。

トニー・チバング(Tonny Tshibangu)によれば、神をどのように見つめるのですか。

黙想は聖書とともに行います。みことばと聖書の物語を通して、神がどなたであるかを見つめます。愛の父、与える方、守る方、偉大で、忍耐深く、解放してくださる神です。あるがままの神を見つめるほど、そのイメージがあなたに接ぎ木されていきます。愛が恐れに代わり、惜しみなく与える心が利己心に代わり、謙遜が高ぶりに代わります。

ヤコブはペニエルでどんな祝福を受けましたか。

ヤコブは格闘して言います。「あなたがわたしを祝福してくださらなければ、あなたを去らせません」(創世記32章26節)。神はヤコブに名を尋ね、そしてその名を変えます。もはやヤコブではなく、イスラエルと呼ばれるのです。トニー・チバング(Tonny Tshibangu)によれば、本当の祝福は、まずエサウから守られることではなく、変えられることでした。ヤコブはその場所をペニエルと名づけました。神の顔と顔を合わせて見たからです。

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