はじめに
今日の祈りとは、一日のうちの決まった時間に神さまと言葉を交わす短いひとときです。数行でもかまいません。感謝し、重荷をゆだね、助けを求め、耳を傾けます。決まった形式はなく、父に語りかけるように、誠実な心で神さまに向かうだけでよいのです。
毎日祈ることは、成果を出すことではなく、神さまとの約束の時間です。言葉が見つからないときでも、数行あれば、一日に流されてしまう前に神さまへ目を向けることができます。このページでは、曜日ごとに一つずつ、テーマと聖書の言葉を添えた祈りを紹介します。そのまま祈っても、あなた自身の言葉で言い換えても大丈夫です。
月曜日:神さまとともに一週間を始める
月曜日は、その週の調子を決めることがよくあります。仕事に取りかかる前に、最初の時間を神さまにささげ、ともに歩んでくださるよう願いましょう。すべてを計画しておく必要はありません。素直な信頼をもって、神さまの御前で始めるだけで十分です。
主よ、新しい一日と新しい一週間を感謝します。私の計画も、予定も、心配事も、あなたにおゆだねします。あなたは、私がまだ見ていないことまで、これから起こることをご存じです。穏やかな心と、選ぶときの知恵と、出会う人々への忍耐をお与えください。急がず、人と比べず、正しいことを素直に行えるよう助けてください。これから来ることの前で、私はひとりではないことを思い出させてください。あなたの真実に信頼します。アーメン。
哀歌3章22-23節
「主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。 これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい。」
この言葉は、深い苦しみの中にいた人によって記されましたが、それでも彼は神さまの恵みを思い起こしています。神さまの真実はすり減ることがないので、毎朝が新しい出発です。月曜日は、ひとりで担う重荷ではなく、新たにされる贈り物なのです。 哀歌3章を全文で読む。
火曜日:困難なときも耐え抜く
火曜日になると、週の初めの勢いがもう弱まっていることがあります。仕事も人間関係も習慣も、手放してしまいたくなる日です。神さまは、自分の力で耐え抜くことではなく、目を上げて御自身を仰ぐことを求めておられます。
主よ、背負っていることに疲れ果てています。あなたは私の重荷をご覧になり、私がどれほど耐えてきたかを知っておられます。あなたには何も隠しません。あと一歩だけ進む力をお与えください。十歩ではなく、ただ一歩です。なぜ始めたのかを思い出させ、あなたが共におられることを教えてください。限界を感じるところでは私の助けとなり、疑うところでは信頼を堅くしてください。今日は解決できないことをあなたの手にゆだねます。私にうんざりすることのないあなたに感謝します。アーメン。
詩篇121篇1-2節
「わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。 わが助けは、天と地を造られた主から来る。」
この詩篇を祈る人は、困難な道のりの象徴である山々を見上げ、本当の問いを投げかけます。わたしの助けはどこから来るのだろうか、と。その答えははっきりしています。天地を造られた方から来るのです。神さまは、あなたには巨大に見える障害よりも大きなお方です。 詩篇121篇を全文で読む。
水曜日:赦しと和解
週の半ばには、恨みがたまりやすくなります。傷つく一言、見過ごされたこと、解決していない争いなどです。赦しは感情ではなく、神さまにゆだねる決断です。痛みがまだ残っていても、その決断はできます。
主よ、あなたは私が抱えている傷と、心に浮かぶ名前をご存じです。まだ平安を感じられなくても、今日、赦すことを選びます。怒りと仕返ししたい思いを手放せるよう助けてください。私自身の過ち、厳しい言葉、沈黙も赦してください。何か行動すべきか、メッセージを書くべきか、赦しを願うべきかを示してください。それをやさしく行う勇気をお与えください。私の心をいやし、苦い思いをあなたの平安に置き換えてください。アーメン。
マタイによる福音書6章12節
「わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。」
イエスさまが弟子たちに教えられた祈りでは、赦しを求めることが、私たちが他の人に与える赦しと結びついています。これは取引ではなく循環です。恵みを受けた人は、それを与えることを学びます。このように祈ることで、赦しが一週間の中心に戻ってきます。 マタイによる福音書6章を全文で読む。
木曜日:ありがとうと伝える
木曜日には、時間をとって振り返ってみましょう。月曜日から何を受け取ったでしょうか。食事、やさしい言葉、開かれた扉、乗り越えた試練などです。感謝は物の見方を変えます。不安が忘れさせることに気づかせてくれるからです。
主よ、ありがとうございます。今朝の息、頭の上の屋根、大切な人々を感謝します。すぐに忘れてしまう小さなこと、つまり笑顔、静かなひととき、思いがけない助けも感謝します。理解できなかったときも、困難の中で働いてくださったことを感謝します。足りないものばかり見ずに、あなたの恵みを見ることを教えてください。私の人生が、あなたの善良さを語るものとなりますように。心からあなたをほめたたえます。アーメン。
詩篇100篇4節
「感謝しつつ、その門に入り、ほめたたえつつ、その大庭に入れ。主に感謝し、そのみ名をほめまつれ。」
この言葉は、感謝をもって神さまのもとに入るよう招いています。感謝は単なる礼儀ではなく、御前に進む入り口です。感謝するとき、あなたは自分の心に、誰が善い方で、誰があなたを気にかけてくださるのかを思い出させているのです。 詩篇100篇を全文で読む。
金曜日:心配事をゆだねる
仕事の一週間の終わりには、疲れと心配事がたまってきます。くよくよ考え続けるよりも、一つずつ神さまの前に置くことを学びましょう。イエスさまは、重荷を負う人々を、条件もつけず、弁解もさせず、ご自分のもとへ招いておられます。
主よ、抱えているすべてを持って、あなたのもとに来ました。家族のこと、仕事のこと、健康のこと、将来のことへの心配です。うまく言葉にできないこともありますが、あなたはご存じです。一つずつ、重荷をあなたの手に置きます。この世が与えられない安らぎをお与えください。すべてを自分で握ろうとして疲れ果てたところで、あなたに信頼することを教えてください。今夜、あなたの平安が私の心と思いを守ってくださいますように。私を気にかけてくださって感謝します。アーメン。
マタイによる福音書11章28節
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」
イエスさまは強い人ではなく、疲れた人、重荷を負う人に語りかけておられます。その約束は単純で、休ませてあげようというものです。来る前に自分の人生を整えなさいとは言われず、重すぎるものを置く場所を差し出してくださいます。 マタイによる福音書11章を全文で読む。
土曜日:神さまのうちに憩う
土曜日は、遅れを取り戻したり、買い物をしたり、やることが山ほどある日になりがちです。それでも聖書は、新しくしてくれる安息について語っています。願い事は何もなく、ただ神さまとともにいて息をするために、数分の静けさを自分に贈りましょう。
主よ、立ち止まります。やることリストも、携帯電話も、焦りも置きます。ただあなたとともにいたいのです。あなたは神であり、私は神ではありません。すべてを支えなくてよいとは、なんと安心なことでしょう。あまりに速く巡る思いを静めてください。静けさの中でも騒がしさの中でも、あなたの臨在に敏感にしてください。体も、心も、魂も、本当の休みをお与えください。この日が、息をつく時、素朴な喜びの時、愛する人々との本当のつながりの時となりますように。アーメン。
詩篇46篇10節
「「静まって、わたしこそ神であることを知れ。わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、全地にあがめられる」。」
この言葉は、立ち止まって神が神であることを認めるようにとの招きです。神の前で黙ることは怠けではなく、信頼の行いです。慌ただしく動くのをやめるとき、神があなたに与えようとしておられる平安のための場所が生まれます。 詩篇46篇を全文で読む。
日曜日:礼拝し、ほかの人々へ心を向ける
日曜日は、多くの人にとって、集まって賛美する日です。礼拝の場にいても、自宅にいても、神さまの偉大さを認め、喜びをもって自分の人生をささげる礼拝の時間をとりましょう。
主よ、あなたは偉大で、善良で、真実なお方です。喜びをもってあなたの御前にひれ伏します。あなたが造られたもの、変わることのない愛、御子イエスさまを感謝します。この日を、私の声と時間と賜物とともにあなたにささげます。周りにいる孤独な人や落胆している人に目を開かせ、励ますことができるようにしてください。来週に向けて心を整え、手ぶらで出ていくことがないようにしてください。私の人生のすべてが、あなたへの賛美となりますように。アーメン。
詩篇95篇6節
「さあ、われらは拝み、ひれ伏し、われらの造り主、主のみ前にひざまずこう。」
この言葉は、体と心の姿勢を描いています。来て、身をかがめ、私たちを造られた方の前にひざまずくのです。礼拝は重苦しい義務ではなく、創造主の偉大さとやさしさに対する自然な応答です。 詩篇95篇を全文で読む。
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よくある質問
祈り方がわからないときは、何と言えばよいですか。
聞いてくれる人に話すように、素直に語りかけてみてください。「神さま、何を言えばいいかわかりませんが、ここにいます」と言ってもかまいません。詩篇や書かれた祈りを読んで、自分の言葉を加えることもできます。神さまは言葉のうまさではなく、心の誠実さを見ておられます。
同じ祈りを毎日繰り返してもよいですか。
はい。心がこもっている限り、祈りを繰り返すことは間違いではありません。多くの信徒が何年も同じ文章を読み返しています。心を込めること、そして今日経験していることについて、ときどき自分の言葉を加えることを心がけてください。
祈るのは何時がよいですか。
聖書は決まった時間を定めていません。朝起きたとき、夜、休憩時間に祈る人もいます。いちばんよい時間は、無理せず毎日続けられる時間です。たまにしかできない長い祈りで罪悪感を抱くよりも、毎日の五分のほうが価値があります。
祈りはどのくらいの長さが必要ですか。
決まった長さはありません。イエスさまはとても短い祈りを教えられ、また夜通し祈られたこともありました。まず数分から始め、時間は自然に伸ばしていきましょう。大切なのは時計ではなく、続けることと神さまとの関係です。