はじめに
聖書は落ち込みを隠しません。エリヤ、ダビデ、ヨブ、エレミヤも、とても暗い時を経験しました。神は苦しむ人を責めず、近づいてくださいます。信仰と医療は両立します。医師に相談することは、信仰が足りないということではありません。
もう限界だと思ってこの文章を読んでいるなら、まず知ってください。あなたはひとりではなく、あなたの苦しみは霊的な弱さのしるしではありません。聖書には、疲れ果てて神に叫んだ人々の物語と祈りがあります。このページは医師やカウンセラーの代わりにはなりませんが、神が打ちひしがれた人をどう見ておられるか、そのそばで何をしてくださるかを示しています。
聖書はうつについて語っていますか
「うつ」は現代の医学用語で、聖書にはその言葉自体は出てきません。けれども、それが表す現実ははっきりと現れています。長く続く悲しみ、疲れ果てた状態、生きる喜びを失うこと、すべてを終わらせたいという思いです。
それは、大きな勝利を経験した直後に崩れ落ちた預言者エリヤにも、詩篇で打ちひしがれた魂を語るダビデにも、すべてを失って自分の生まれた日をのろったヨブにも、絶えず泣いたエレミヤにも見られます。彼らは涙とともに、恥じることなく描かれています。その痛みは、神の物語の一部です。
聖書は打ちひしがれた人に何と語りますか
聖書は、不幸な人に、しっかりしなさいとは言いません。近づいてくださる神を語っています。それは裁きではなく、ご臨在です。
詩篇42篇5-6節
「わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。 わが魂はわたしのうちにうなだれる。それで、わたしはヨルダンの地から、またヘルモンから、ミザルの山からあなたを思い起す。」
詩篇の作者は自分自身の魂に語りかけ、なぜうなだれるのかと問います。自分の状態を打ち明けたうえで、すべてうまくいっているふりをせずに、神に目を向けることを選びます。 詩篇42篇を全文で読む。
詩篇34篇18節
「主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる。」
この節は、主が心の砕けた者に近いと語ります。神は苦しむ人から遠ざかりません。まさにそこにおられるのです。 詩篇34篇を全文で読む。
イザヤ書42章3節
「また傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことなく、真実をもって道をしめす。」
神が約束されたしもべは、傷ついた葦を折らず、ほのぐらい灯心を消しません。小さな炎しか残っていなくても、それは神の目に尊いのです。 イザヤ書42章を全文で読む。
死にたいと願ったエリヤに、神は何をなさいましたか
エリヤの物語は、最も心に響くもののひとつです。大きな戦いの後、彼は荒野に逃げ、座り込んで、神に自分の命を取ってくださいと願います。神の答えは意外なほど具体的です。眠らせ、食べ物と飲み物を持ってこさせ、それから山に向かって歩かせました。
その後、神は彼の言葉を聞きます。エリヤは心を吐き出し、孤独と恐れを語りますが、神は彼を叱りません。静かな細い声で語りかけ、再び使命と仲間を与えられます。眠り、食べ物、言葉、そして一歩ずつ。神は、人全体を癒やしてくださいます。
列王紀上19章5-6節
「彼はれだまの木の下に伏して眠ったが、天の使が彼にさわり、「起きて食べなさい」と言ったので、 起きて見ると、頭のそばに、焼け石の上で焼いたパン一個と、一びんの水があった。彼は食べ、かつ飲んでまた寝た。」
エリヤは落胆して眠り込み、御使いがパンと水を持ってきます。神は使命を語る前に、疲れた体を大切に扱い、ご自分の預言者を少しも責めません。 列王紀上19章を全文で読む。
列王紀上19章12節
「地震の後に火があったが、火の中にも主はおられなかった。火の後に静かな細い声が聞えた。」
風、地震、火の後に、神は静かな細い声で来られます。神は、疲れ果てた人を無理に動かさず、優しく語りかけられます。 列王紀上19章を全文で読む。
信仰と医療は両立しますか
はい。これははっきり言っておく必要があります。うつには、生物学的なもの、心理的なもの、死別や疲労や試練によるものなど、さまざまな原因があります。医師、心理士、精神科医に会うことは、骨折した足を治療するのと同じで、信仰が足りないことではありません。
祈ることと治療を受けることは対立しません。多くの信者が、神が薬や療法や、気にかけてくれる周りの人を通して働かれたと証ししています。薬を飲んでいるから、診察を受けているから信仰が弱いなどと、誰にも言わせないでください。医師の意見なしに治療をやめることは、決してしないでください。
暗い考えが浮かぶ、死にたいと思うときは?
暗い考えがあったり、自ら命を絶つことを考えたりしているなら、ひとりでそれを抱え込まないでください。今日のうちに、信頼できる人に話し、医師に連絡するか、あなたの国の相談窓口や緊急の電話にかけてください。そうした状況のために開かれています。差し迫った危険があるときは、救急に電話するか、病院の救急外来に行ってください。
助けを求めることは、失敗ではありません。エリヤも死を願いましたが、神は彼を見捨てませんでした。暗い考えは、寄り添ってくれる人がいることで和らぐことがあります。あなたの命は、今感じているよりもずっと大切です。
つらい状態の身近な人をどう支えますか
まず、答えを急がずに聞いてください。「もっと祈ればいい」や「あるものを数えてごらん」のような言葉は避けてください。恥を重ねるだけです。それよりも、「そばにいるよ、離れないよ」と伝えてください。
食事、散歩、定期的な電話、病院への付き添いなど、簡単なことを申し出てください。専門家の助けを求めるよう、無理強いせずに励ましてください。死について口にするなら、真剣に受け止め、そばにいて、緊急の助けを呼んでください。あなた自身のことも大切にしてください。寄り添うことは疲れるからです。
どんな聖句を身近に置けばよいですか
暗い日々には、たくさん読むのは難しいものです。短い言葉をいくつか、カードやスマートフォンに書いて持っていてください。詩篇34篇18節と詩篇42篇で足りるかもしれません。マタイによる福音書11章28節では、イエスが疲れた人、重荷を負う人を、自分のもとに来るよう招いておられます。詩篇23篇では、羊飼いが暗い谷でも共にいてくださいます。
これらの聖句は魔法のように癒やすわけではありません。神がそこにおられ、あなたに疲れることなく、夜は永遠には続かないことを思い出させてくれます。声に出して読み、繰り返し、助けを探している間、寄り添わせてください。
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よくある質問
うつは罪ですか
いいえ。うつは苦しみであり、過ちではありません。聖書には、打ちひしがれた神の人々が描かれていますが、彼らは責められず、支えられています。神は心の砕けた人に近づき、その苦しみを責められません。
キリスト者でもうつになりますか
はい。真摯な信者も、聖書のエリヤやダビデのように、うつの時期を通ることがあります。それは信仰が偽りだという意味ではありません。神は近くにおられ、祈りや周りの人、治療を通して働かれます。
祈るべきですか、医師に診てもらうべきですか
どちらもです。祈りと医療は対立しません。医師やカウンセラーに相談することは賢明な行いであり、神はその人々を通して働かれます。医師の意見なしに治療をやめないでください。
もう終わりにしたいと思ったらどうすればよいですか
ひとりでいないでください。すぐに信頼できる人に話し、医師か、あなたの国の相談窓口や緊急の電話に連絡してください。差し迫った危険があるときは、救急に電話してください。あなたの命には価値があります。