はじめに
イエス・キリストは、約2000年前にパレスチナで生まれた人で、クリスチャンは神の子であり救い主であると信じています。教え、病人を癒やし、十字架につけられ、そして証人たちによれば、よみがえられました。キリストは姓ではなく、メシア、すなわち神から遣わされた方を意味する称号です。
興味があるだけの人も、疑っている人も、たまたまここに来た人も、イエスを無視することは難しいでしょう。その名は、歴史にも、暦にも、何十億もの人生にも刻まれています。このページでは、イエスの生涯とメッセージ、そして最初の証人たちがイエスについて語ったことを、プレッシャーをかけることなく、分かりやすく紹介します。あなたのペースで読み進めてください。
ナザレのイエスとは誰か
イエスは、当時ローマの支配下にあったパレスチナで生きました。ベツレヘムで生まれ、ナザレで質素な家庭に育ち、大工として働きました。30歳ごろから人々の前で教えはじめ、弟子たちの一団とともに各地を巡りました。
聖書の外でも、古代の著作家たちがイエスについて述べているため、その実在を疑う歴史家はほとんどいません。イエスの生涯についての主な資料は、四つの福音書です。福音とは「良い知らせ」を意味する言葉です。これらの記録は、弟子たちと、その弟子たちに近い人々によって書かれました。
ルカによる福音書2章10-11節
「御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。 きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。」
これは、イエスが生まれた夜に、天使が羊飼いたちに語った言葉です。メッセージは、すべての民への喜びの知らせであり、この幼子に三つの称号が与えられています。救い主、キリスト、主です。 ルカによる福音書2章を全文で読む。
「イエス」と「キリスト」は何を意味するのか
イエスは、「神は救い」という意味を持つ、ありふれたヘブライ語の名前のギリシア語形です。キリストはギリシア語のクリストスに由来し、ヘブライ語のメシアの訳で、油を注がれた者、すなわち神が選んで遣わされた方という意味です。最初の弟子たちは、イエスこそ何世紀も前から待ち望まれていたメシアだと認めました。
ですから、これは姓ではありません。イエス・キリストと言うことは、すでに、神から遣わされたイエス、と言っていることなのです。
マタイによる福音書1章21節
「彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。」
イエスが生まれる前に、その名前が使命とともに告げられています。ご自分の民をその罪から救うことです。ここで罪とは、私たちを神から遠ざけ、人生を傷つけるすべてのことを指します。 マタイによる福音書1章を全文で読む。
イエスは何を教え、何をされたのか
イエスは、神の国、隣人愛、赦し、そして心の真実について語られました。日常生活から取った、たとえ話と呼ばれる素朴な物語を語られました。社会から拒まれていた人々と交わり、病人を癒やされました。証人たちはそれを、神がともにおられるしるしだと伝えています。
そのメッセージは人々を驚かせました。疲れた人、恥を抱える人、除け者にされた人を、何の条件もなく、ご自分のもとに招かれたのです。困難のない人生は約束されませんでしたが、支えてくださる方がおられることを約束されました。
マタイによる福音書11章28節
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」
この招きは、心配事や、過ちや、努力のために、疲れ、重荷を負っているすべての人に向けられています。イエスはまず、自分を改めることを求めておられるのではありません。休息を差し出しておられるのです。 マタイによる福音書11章を全文で読む。
イエスはご自身について何と語られたか
イエスは、知恵を語っただけではありません。ご自身の正体についても語られました。ご自分が道であり、真理であり、命であると言われ、命のパン、世の光であるとも言われました。神をご自分の父と呼び、神との唯一無二のつながりがあると語られました。そのために、宗教指導者たちからの称賛と反発の両方を招いたのです。
クリスチャンが心にとめているのは、イエスがご自分を単に良い教師と言うだけにとどまらなかったことです。その言葉は、私たちに態度を決めることを迫ります。福音書を読んで、自分なりの考えを持つのは、一人ひとりの自由です。
ヨハネによる福音書1章14節
「そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。」
ヨハネは、イエスを、人となられた神のことばとして示しています。クリスチャンにとって、イエスは、恵みと真理に満ちて人々の間に住むために来られた神ご自身です。 ヨハネによる福音書1章を全文で読む。
ヨハネによる福音書14章6節
「イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」
イエスは、ご自分が神に至る道だと言われます。この言葉は、ご自分の死の前夜、不安を抱える弟子たちに語られました。それは裁くというより安心させる言葉であり、道が存在することを示しています。 ヨハネによる福音書14章を全文で読む。
イエスはなぜ死なれたのか、その後に何が起こったのか
イエスは捕らえられ、裁かれ、宗教指導者たちの圧力のもとで、ローマ人によって十字架につけられました。クリスチャンは、この死は失敗ではなく、メッセージの中心だと信じています。人々の罪を身に負い、人々を神と和解させてくださったのです。また、イエスが三日目によみがえられたことも信じており、最初の弟子たちは、命の危険を冒してそれを宣べ伝えました。
クリスチャンにとって、復活は、イエスがまさに神の子であり、今も生きておられることの証しです。そこに希望も見ています。死が最後の言葉ではないのです。
コリント人への第一の手紙15章3-4節
「わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、 そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、」
パウロは、最初の弟子たちから受け継いだことを要約しています。キリストは私たちの罪のために死に、葬られ、よみがえられました。この箇所は、キリスト教信仰の最も古い要約の一つです。 コリント人への第一の手紙15章を全文で読む。
ローマ人への手紙5章8節
「しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。」
この節は、十字架の意味を説明しています。神は、人が変わるより前に、行動することによってご自分の愛を示されました。愛が先にあり、応答はそのあとです。その逆ではありません。 ローマ人への手紙5章を全文で読む。
なぜ今日、何百万もの人々がイエスに従っているのか
クリスチャンがイエスに従うのは、イエスに出会い、変えられたと語るからです。より多くの平安、受けた赦し、人生の意味を得たのです。それはまず決まりごとの宗教ではなく、生きておられる方との関係です。
もっと知りたいと思われたなら、プレッシャーはありません。ヨハネの福音書を読んでもいいですし、信頼できる人に疑問を尋ねてもいいですし、ただ自分の言葉で神に語りかけてもかまいません。誰もが自分のペースで歩み、扉はいつも開かれています。
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よくある質問
イエス・キリストとは、ひとことで言うと誰ですか?
約2000年前にパレスチナで生きた人です。クリスチャンは、イエスを神の子と認め、その死と復活によって人々を救うために来られた方と信じています。キリストはメシア、すなわち神から遣わされた方を意味する称号です。
イエスは本当に実在したのですか?
信仰の有無にかかわらず、大多数の歴史家がその実在を認めています。福音書のほかにも、キリスト教の外にいる古代の著作家たちがイエスに言及しています。議論になるのは、むしろイエスの正体と、復活をどう考えるかという点です。
イエスとキリストの違いは何ですか?
イエスはナザレの人の名前で、キリストはギリシア語に由来する称号で、ヘブライ語のメシアを訳したものです。神が選んで遣わされた方を指します。クリスチャンがイエス・キリストと言うのは、イエスがその遣わされた方であることを表すためです。
なぜクリスチャンはイエスを神の子と言うのですか?
イエスご自身が神をご自分の父と語られ、弟子たちがイエスの中に神との唯一無二の関係を認めたからです。福音書はその言葉と復活を伝えています。クリスチャンはそこに、人々の間に現れた神の啓示を見ています。