詩篇97篇:主は聖徒たちの魂を守られる

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はじめに

「主を愛する者よ、悪を憎め。主はその聖徒たちの魂を守り、彼らを悪しき者の手から救い出される。」ティエリー・カピアル師は、2026年10月4日にリエージュ福音教会(Église Évangélique de Liège)で語った説教で、詩篇97篇10節からメッセージを語りました。このテーマは自分にとって大切なものであり、この詩篇に深く心を打たれたと打ち明けています。この詩篇は、義なる神の力を示しているからです。

説教の前に、師は「ごく素朴に」語れるように祈ります。イスラエルの民は、主の来臨を華々しい形で待ち望んでいたため、主が来られたことを見逃してしまった、と師は思い起こします。神は素朴な姿で来られたのです。

メッセージは創造から十字架へと進みます。創造の中心に置かれた人、破られた契約、義と公平の上に据えられた神の御座、そしてインマヌエル、すなわち人々の間におられる神です。その道の先にある素朴な問いは、主を愛する者とは誰か、そしてその魂はどのように守られるのか、というものです。

メッセージの構成

1. 詩篇97篇にある三つの勧め

  • 師は詩篇を通して読み、三つの勧めに気づきます。冒頭に一つ、本文の中心に一つ、結びに一つです。
  • 1節の勧めは被造物に向けられています。「主は王となられた。地は楽しみ、多くの島々は喜べ。」主は完全なみわざの神なので、被造物は喜ぶことができます。神がすべてを造られたとき、すべては良いと言われました。
  • 10節の勧めは人に向けられています。しかも誰にでもではなく、主を愛する者に向けられています。
  • 12節では義人に向けられています。「正しき者よ、主によって喜べ。その聖なるみ名に感謝せよ。」
  • 師はここに三つの姿を見ています。創造の中心に置かれた人、罪のために退けられた人、そして義人と呼ばれる人です。

2. 契約のうちに創造の中心に置かれた人

  • 創世記2章で、主は土のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き入れられると、人は生きた魂となりました。そして主は人をエデンの園に置き、それを耕させ、守らせました。
  • これは「エデンの契約」と呼ばれる契約の始まりです。契約には、双方が果たすべき決まりがあります。神は被造物を人に委ね、一つの限界を設けられました。人はどの木からも食べてよいが、善悪を知る木からは食べてはならない。これは従順のテストでもありました。
  • この記述は、人の三つの側面を示しています。体は目に見える部分で、主の目に価値があります(神殿の庭のようなものです)。魂は、知性、知識、感情、思いを備えています。霊は、創造主と交わることを可能にします。
  • 神は人の心に永遠への思いを授けられました(伝道者の書3章11節)。信じる人もそうでない人も、誰もがこの思いを抱いており、それを方向づけるのは魂です。
  • 神は人に名前をつけさせるために動物たちを連れて来られ、魂に決める力を加えられました。人が名づけたものは尊重されました。「私たちが決断を下すのは、魂のレベルにおいてです。」
  • 神は、人が一人でいるのは良くないとして、彼にふさわしい助け手として女を造られました。これが結婚の制度です。神は完全なみわざ、成し遂げられるみわざの神です。何かを始められたら、最後までやり遂げられます。

3. 堕落:魂における死

  • 人は契約の条項を守りませんでした。蛇に惑わされて禁じられた実を食べ、この不従順が人を創造主から引き離しました。
  • この断絶は死をもたらします。「罪の支払う報酬は死である」からです(ローマ人への手紙6章23節)。その結果は全人類に及びます。顔に汗して働くこと、ちりに帰ること、園からの追放、そしていのちの木への道を守る、きらめく剣を持つケルビムです(創世記3章19~24節)。
  • 肉体的には、アダムとエバは生き続けました。死は魂のレベルで起こりました。罪を犯した魂は滅びるのです。それ以来、「すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けることができず」にいます。

4. 義と公平の上に据えられた御座

  • 師は詩篇の2節に戻ります。「義とさばきとはそのみくらの基である。」いと高き方が語られると、そのことが起こります。命じられると、それは存在します。
  • 神は義に公平を加えられました。ティエリー・カピアル師はこれを自然な正義の原則と定義します。規則を一律に当てはめるのではなく、それぞれの状況に合わせて、一人ひとりを正しく扱うことです。
  • 一人の人が罪を犯し、死が全人類に及びました。しかしエゼキエル書18章で、神はあの格言に終止符を打たれます。「父たちが酸いぶどうを食べたので、子供たちの歯がうく。」すべての魂は神のものであり、「罪を犯す魂は、死ぬ」のです。責任はもはや普遍的なものではなく、一人ひとりのものになります。
  • これらの段階はすべて、主の目に魂がどれほど尊いかを示しています。ノアとの契約、アブラハムとの契約、モーセとの契約がありました。民は叫び、主は助けに来られましたが、人間の性質は神のもとに立ち返るのに苦労し続けました。
  • だから詩篇はこう勧めるのです。なぜ悪を憎むのか。悪こそが罪、創造主との断絶、そして死をもたらすからです。

5. インマヌエル、あわれみの義

  • 神は天と地で、巻物を開き、その封印を解くにふさわしい者を探されました(ヨハネの黙示録5章2~4節)。しかし、だれも見つかりませんでした。そこで神は、あわれみの義によって、ご自身のうちに一人の人を見いだされました。
  • 「初めに言があった」(ヨハネによる福音書1章1節)。言は肉体となって、わたしたちのうちに宿られました。恵みとまことに満ちていました。彼を受け入れた人々には、神の子となる力を与えられました(ヨハネによる福音書1章12~14節)。
  • 新しい契約は、「100パーセント神であり、100パーセント人」であるインマヌエルという方において結ばれます。この方は人間が耐えるものを耐え、使命の最後まで神に忠実に従い通されました。
  • ローマ人への手紙3章23~28節。すべての人が罪を犯しましたが、神の恵みにより、キリスト・イエスにあるあがないによって、価なしに義とされます。「それでは、わたしたちの誇は、どこにあるのか。全く除かれた。」人は律法のわざによらず、信仰によって義とされるからです。
  • イエス・キリストは私たちの身代わりになられました。私たちの背きと罪の結果の重さを負い、私たちの救いのために、身代金としてご自身を与えられました。律法では届かなかったものを、恵みが信仰によって与えてくださいます。

6. 主を愛する者とは誰か

  • イエスご自身が、ヨハネによる福音書14章21節で答えておられます。「わたしの戒めを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。」そして23節には、「わたしたちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう」とあります。
  • 神を愛する者とは、イエスの血によって契約に入れられた、新しくされた人です。「詩篇が語りかけているのは、あなたと私のことです。」
  • 私たちに平安を与える懲らしめは、彼に下りました(イザヤ書53章5節)。罪を知らない方が、私たちのために罪となられました(コリント人への第二の手紙5章21節)。この救いは、私たちの魂の救いです。魂の中には二つの永遠が現れます。悪に向かう永遠と、善に向かう永遠、すなわち永遠のいのちです。
  • 「罪人を憎めとは言われていません。罪を憎めと言われているのです。」神の道は測り知れません。私たちを建て上げる書物の大部分を伝えてくれたパウロは、かつて殺人者でした。ものごとの終わりを初めから知っておられるのは神だけです。
  • 私たちは生まれながらの人以上のものを受けました。父と子が、聖霊によって私たちのうちに住まわれるのです。「私たちを守ってくださるのは聖霊です。」聖霊は私たちに罪を悟らせ、神のみことばが語ることを思い起こさせてくださいます(ヨハネによる福音書14章26節、16章8節)。

7. 共同体の中で魂を守る

  • 神と和解した私たちは契約のうちに戻り、この契約によって、イエスが成し遂げた使命、すなわち魂を創造主と和解させる使命を続けることができます。
  • 羊飼いは九十九匹の羊を安全な場所に残して、迷い出た一匹を探しに行きます(ルカによる福音書15章4~7節)。主は私たちに、まず神の国を求めること(マタイによる福音書6章33節)、そしてすべての国民を弟子にすること(マタイによる福音書28章19節)を求めておられます。
  • 安全な場所にいる私たちに、神は枠組みを与えてくださいました。イエスが去られた後、信者たちは共同体にとどまりました。これが初代教会の始まりで、彼らはみことばの知識、教え、祈りの中で成長していきました(使徒行伝2章42節)。
  • 「私たちの使命は、ここに座っているだけではありません。」魂は渇き、養われる必要があります。イエスは言われました。「わたしの食物は、わたしをつかわされたかたのみこころを行い、そのみわざをなし遂げることである」(ヨハネによる福音書4章34節)。荒野で誘惑を受けたとき、イエスは、「人はパンのみで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きるものである」と答えられました(マタイによる福音書4章4節)。
  • 師は、一人ひとりが教会の生活に加わるよう励まします。隔週の月曜日の聖書の学び(オンラインでも参加できます)と、祈りの母親たちのグループとの火曜日の祈りです。石の心を肉の心に変えられるのは主だけであり(エゼキエル書36章26節)、祈りは人を変えることができます。

覚えておきたいポイント

  • 詩篇97篇10節は、主を愛する者に向けられています。悪を憎むとは、罪、神との断絶、そして死をもたらすものを拒むことです。
  • 人が決断を下すのは魂のレベルです。堕落が死をもたらすのもそこであり、救いが働くのもそこです。
  • 神の御座は義と公平の上に据えられています。あわれみの義が、神ご自身がインマヌエルとして来られるほどにまで導きました。
  • イエスを愛する者は、その戒めを守ります。罪を憎み、罪人を憎むことは決してありません。
  • 聖霊は信じる者の魂を守り、共同体は、その魂がみことばと祈りによって養われる枠組みです。

今日からの実践

  1. 創造主から遠ざけるものなのに、あなたはまだどんな悪を自分の生活の中で容認していますか。
  2. 今、あなたは魂でどんな決断をしていますか。それはあなたをどの方向へ導いていますか。
  3. 人を見るとき、罪を憎むことと罪人を憎むことの違いを意識していますか。
  4. 具体的に、今週はどのようにイエスの戒めを守りますか。
  5. あなたの魂は今日、何に渇いていますか。教会のどの集まり(聖書の学び、祈り)がそれを養ってくれるでしょうか。

引用された聖句

よくある質問

詩篇97篇10節の「主を愛する者よ、悪を憎め」とはどういう意味ですか。

ティエリー・カピアル師によれば、この勧めはすべての人に向けられているのではなく、主を愛する者に向けられています。悪を憎まなければならないのは、罪、創造主との断絶、そして死をもたらすのが悪だからです。そして主は、聖徒たちの魂を守り、悪しき者の手から彼らを救い出してくださいます。

聖書によれば、主を愛する者とは誰ですか。

ヨハネによる福音書14章21節に基づいています。イエスの戒めを心にいだいてこれを守る者が、イエスを愛する者です。それは、イエス・キリストの血によって新しい契約に入った人のことです。父と子は、聖霊によってその人のもとに来て、一緒に住まわれます。

罪人を憎むべきですか。

いいえ。ティエリー・カピアル師は強調します。私たちが求められているのは、罪を憎むことであって、罪人を憎むことではありません。神の道は測り知れません。私たちを建て上げる書物の多くを書いたパウロは、かつて殺人者でした。ものごとの終わりを初めから知っておられるのは神だけです。

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