はじめに
聖書によれば、死は終わりではありません。イエスはよみがえられ、ご自分を信じる人に命を約束されました。信じる人は死後イエスとともにおり、やがて復活のときに新しくされた体を受け、神がすべての涙をぬぐってくださる回復された創造の中で生きます。
死後についての問いは、特に悲しみのときに、すべての人の心に触れます。聖書は、細かな事柄で好奇心を満たそうとはしません。イエスを中心とした、明確な約束を与えています。このページでは、憶測や恐れを交えずに、大切な本文をたどります。
聖書によれば、死は終わりですか?
いいえ。聖書は死を、痛みを伴う現実として描いていますが、最後の終点とはしていません。すでに旧約聖書の中に、神のもとでの命への希望をうたう本文があります(詩篇16篇、ダニエル書12章)。新約聖書は、この希望をはっきりした出来事、すなわちイエスの復活の上に置いています。
イエスご自身が、静かな権威をもって死について語られます。家族が悲しみに暮れる中で、ご自分が復活であり、命であると宣言されました。それは考えを示したのではなく、ご自分を命の源として示し、一人ひとりに信頼するよう招かれたのです。
ヨハネによる福音書11章25-26節
「イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。 また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。」
イエスはこの言葉を、悲しみの中にある女性に、その兄弟を生き返らせるほんの少し前に語られました。イエスは、死後の命を、ご自分への信仰と結びつけておられます。本文を締めくくる問いかけは、一人ひとりが自分で答えるよう招いています。 ヨハネによる福音書11章を全文で読む。
死んだ直後はどうなりますか?
十字架の上で、イエスは隣で十字架につけられ、すがる人に答えられました。その日のうちに、ご自分とともにパラダイスにいると約束されたのです。「パラダイス」という言葉は、庭を意味するペルシャ語に由来しています。それは安らぎの場所であり、神の臨在を思わせます。
ヨハネによる福音書(14章)でも、イエスは父の家について語り、ご自分の者たちのために場所を用意すると言われました。これらの本文は、どのようにしてかについてはあまり語りませんが、誰とともにいるかについて多くを語っています。死から復活までの中間の状態の細部については、クリスチャンの間でも議論があり、聖書はこの点について控えめです。
ルカによる福音書23章43節
「イエスは言われた、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」。」
この言葉は、功績も、何かをする時間もなかった人に向けられています。この約束が、イエスの恵みに基づいていることを示しています。「きょう」という言葉は、すぐに臨在があることを示唆しています。 ルカによる福音書23章を全文で読む。
ヨハネによる福音書14章2-3節
「わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。 そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。」
イエスは、死を前に不安になった弟子たちに語っておられます。場所を用意し、迎えに戻ってくると告げます。本文は、関係を強調しています。イエスのいるところに、私たちもいるということです。 ヨハネによる福音書14章を全文で読む。
体の復活とは何ですか?
新約聖書は、魂が生き残ることだけを教えているのではありません。復活を告げています。もはや病気や死に支配されない、変えられた体です。イエスの最初期の弟子の一人であるパウロは、このテーマに一つの章全体をささげています(コリント人への第一の手紙15章)。
彼は、現在の体を地にまかれた種に、復活の体をそこから出る植物にたとえています。イエスの復活は最初の段階であり、信じる者たちの復活がそれに続きます。「初穂」という言葉は、収穫の最初の実を指し、ほかの実が続くという約束を表します。
コリント人への第一の手紙15章20-22節
「しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。 それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。 アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。」
これらの節は、よみがえられたイエスを、長く続く列の最初の者として示しています。「初穂」という言葉は、イエスの復活が、その人々の復活を保証することを示しています。本文は、最初の人によって来た死と、キリストにあって与えられる命とを対比しています。 コリント人への第一の手紙15章を全文で読む。
死後のさばきについて聖書は何と言っていますか?
聖書はさばきについて語っており、それは恐ろしく思えるかもしれません。ヘブル人への手紙は、控えめな言葉で、一人ひとりが申し開きをするよう召されていると述べています。しかし同じ本文は続けて、キリストが多くの人の罪を負うためにご自身をささげられたと告げており、それが見方を変えます。
クリスチャンにとって、このさばきは恐れおののく時ではありません。その信頼は、自分の功績ではなく、イエスがしてくださったことの上にあるからです。細かい点については、クリスチャンの各伝統で理解が異なりますが、神の正義とあわれみについては、すべてが一致しています。
ヘブル人への手紙9章27節
「そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、」
この節は、単純な事実を述べています。死はすべての人に訪れ、そのあとにさばきがあるということです。細かい点には触れていません。前後の文脈で読むと、続く告知、すなわち神の答えとしてのキリストの犠牲を示す部分へと導いてくれます。 ヘブル人への手紙9章を全文で読む。
新しい創造とは何ですか?
聖書の最後の書は、一つの幻を描いています。新しい天と新しい地があり、そこで神が人々とともに住まわれるのです(ヨハネの黙示録21章)。つまりクリスチャンの希望は、雲の中へ逃れることではなく、創造のすべてが新しくされるのを見ることです。
この幻の中では、悪も苦しみも死も消え去ります。表現は象徴的で、イメージに富んでいますが、メッセージは明快です。神がすべてを新しくされるのです。涙はぬぐわれ、神との関係は永遠に回復されます。
ヨハネの黙示録21章3-4節
「また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。」
この本文は、神が人々とともに住み、やさしく世話をしてくださる姿を描いています。涙がぬぐわれるというイメージは、大切な人を亡くしたすべての人に語りかけます。ここでは死が打ち破られたものとして示されています。 ヨハネの黙示録21章を全文で読む。
この希望は、人生と悲しみをどう変えますか?
クリスチャンの希望は、悲しみを消し去るものではありません。イエスご自身も、友人の墓の前で涙を流されました。それでも希望は、地平線を与えてくれます。信じる者にとって、別れは決定的なものではありません。悲しみは現実のままですが、約束がそれを貫いています。
希望は、生き方も変えます。死への恐れが小さくなり、愛し、赦し、仕える自由が大きくなります。もし今、悲しみの中にいるなら、涙を流し、誰かに話し、すぐに感じようと無理をせずに神の約束に身をゆだねる時間をとってください。
テサロニケ人への第一の手紙4章13節
「兄弟たちよ。眠っている人々については、無知でいてもらいたくない。望みを持たない外の人々のように、あなたがたが悲しむことのないためである。」
この本文は、悲しみを隠すようには求めていません。ただ、悲しみ方を二つに分けています。望みをもって悲しむか、望みなしに悲しむかです。「眠っている人々」という表現は、ここでは亡くなった信者たちを指し、目覚めの前の休息を思わせる言葉です。 テサロニケ人への第一の手紙4章を全文で読む。
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よくある質問
聖書によれば、死後はどうなりますか?
聖書は、信じる者は死後イエスとともにおり、キリストの再臨のときに復活の体を受けると教えています。また、さばきと新しくされた創造も告げています。出来事の順序の詳細は議論されていますが、希望は共有されています。
聖書は輪廻転生について語っていますか?
いいえ。聖書の本文は、一度きりの地上の生涯と、それに続く復活について語っています。ヘブル人への手紙9章27節は、一度だけ死ぬこと、そしてさばきを受けることと要約しています。希望は、別の生涯への回帰ではなく、体の復活の上にあります。
パラダイスと天国は同じものですか?
聖書では、この二つの言葉は重なり合います。パラダイスは神のもとでの安らぎの場を思わせ、天は神の住まいを指します。最後の希望は、神が人々とともに住まわれる新しい創造として描かれます。言葉は異なっても、神の臨在が中心であることは変わりません。
大切な人を亡くした人を、どう慰めればよいですか?
そばにいて、説明しようとせずに耳を傾け、決まり文句は避けましょう。その人の心の準備ができたときに、聖書の約束をやさしく分かち合うこともできます。さりげなくそばにいること、具体的な行い、静かな祈りは、言葉よりも大きな意味をもつことが多いものです。