落胆に立ち向かう聖書の言葉20選

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はじめに

何もする気になれない日があります。計画は進まず、祈りには答えがないように思え、疲れがやる気よりも重くのしかかります。落胆は信仰の欠如ではなく、神の偉大なしもべたちも経験した現実です。エリヤは死を願い、ダビデは自分の魂に問いかけ、ネヘミヤは力を取り戻せるよう祈りました。このページでは、口語訳の聖書から20の言葉を五つの段階に分けて紹介します。もう限界だと神に打ち明けること、神が倒れる者を起こしてくださると知ること、目に見えるものの先を見つめること、再び勇気を出して続けること、そしてすべてが不確かに見えるときも望みを持ち続けることです。一度に全部を読む必要はありません。今日のあなたに語りかける一節を選び、声に出して読み返し、心の中で静かに働くままにしてください。

もう限界だと神に打ち明ける

1. 列王紀上19章4-5節

「自分は一日の道のりほど荒野にはいって行って、れだまの木の下に座し、自分の死を求めて言った、「主よ、もはや、じゅうぶんです。今わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません」。 彼はれだまの木の下に伏して眠ったが、天の使が彼にさわり、「起きて食べなさい」と言ったので、」

エリヤは大きな勝利を収めたばかりなのに、疲れ果てて逃げ、れだまの木の下で死を願います。神は説教をなさらず、天の使を送って「起きて食べなさい」と言わせます。神はあなたの落胆に答える前に、いちばん単純な必要を満たしてくださいます。 列王紀上19章を全文で読む。

2. 詩篇42篇5-6節

「わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。 わが魂はわたしのうちにうなだれる。それで、わたしはヨルダンの地から、またヘルモンから、ミザルの山からあなたを思い起す。」

詩篇の作者は神殿から遠く離れ、深い悲しみの中にいます。自分自身に語りかけます。「わが魂よ、何ゆえうなだれるのか」。落ち込みを否定せず、それに問いかけ、神に望みを置くことを選びます。あなたも、自分の魂の声を聞くだけでなく、魂に語りかけることができます。 詩篇42篇を全文で読む。

3. 詩篇143篇3-4節

「敵はわたしをせめ、わがいのちを地に踏みにじり、死んで久しく時を経た者のように わたしを暗い所に住まわせました。 それゆえ、わが霊はわがうちに消えうせようとし、わが心はわがうちに荒れさびれています。」

ダビデは追われ、暗やみに閉じ込められた人のように感じています。自分の状態を飾らず、霊は消えうせようとし、心は荒れさびれていると描きます。聖書は、どん底にいる人に、美しく言い換えなくてもそのまま神に告げられる言葉を与えています。 詩篇143篇を全文で読む。

4. 詩篇94篇18-19節

「しかし「わたしの足がすべる」と思ったとき、主よ、あなたのいつくしみは わたしをささえられました。 わたしのうちに思い煩いの満ちるとき、あなたの慰めはわが魂を喜ばせます。」

詩篇の作者は、足がすべりそうになったときのことを語ります。支えは自分からではなく、神のいつくしみから来ました。思い煩いが押し寄せるとき、神の慰めは魂を喜ばせます。それは、もう倒れると思ったまさにそのときに届くことが多いのです。 詩篇94篇を全文で読む。

神は倒れる者を起こされる

5. 詩篇145篇14節

「主はすべて倒れんとする者をささえ、すべてかがむ者を立たせられます。」

この賛美の詩篇は神の偉大さをたたえます。その賛美の中心に、優しい一言があります。神は「すべて倒れんとする者をささえ」、かがむ者を立たせてくださいます。宇宙の神は、うなだれる人を見ておられ、地に倒れたままにはされません。 詩篇145篇を全文で読む。

6. イザヤ書42章3節

「また傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことなく、真実をもって道をしめす。」

イザヤは神のしもべを告げ、新約聖書はそれをイエスに見ています。このしもべは「傷ついた葦を折ることなく」、ほのぐらい灯心を消すこともありません。あなたの弱った力や揺れる信仰を見て、離れていかれることはありません。主は、もろいものにとりわけ優しい方です。 イザヤ書42章を全文で読む。

7. 詩篇138篇7節

「たといわたしが悩みのなかを歩いても、あなたはわたしを生かし、み手を伸ばしてわが敵の怒りを防ぎ、あなたの右の手はわたしを救われます。」

ダビデは、自分の道が時に苦難のただ中を通ることを認めます。神がそこから遠ざけてくださるとは言いません。苦難のただ中でこそ、神が自分を生かしてくださると断言します。約束された助けは、いつも回り道とは限らず、通り抜けている間の神の臨在です。 詩篇138篇を全文で読む。

8. ミカ書7章8節

「わが敵よ、わたしについて喜ぶな。たといわたしが倒れるとも起きあがる。たといわたしが暗やみの中にすわるとも、主はわが光となられる。」

預言者は、あざける者に囲まれて倒れた民に代わって語ります。一つの確信を握っています。「たといわたしが倒れるとも起きあがる」。そして主が暗やみの中の光となってくださいます。この一文をそのまま、自分の祈りとして口にすることができます。 ミカ書7章を全文で読む。

疲れの先を見つめる

9. コリント人への第二の手紙4章16-18節

「だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。 なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。 わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。」

パウロは、獄中、難船、裏切りを経験しました。それでもこう書きます。「わたしたちは落胆しない」。体は衰えても、内なる人は日ごとに新しくされていきます。今の軽い患難を永遠の重い栄光と比べ、まだ見えないものに目を注いでいます。 コリント人への第二の手紙4章を全文で読む。

10. ヘブル人への手紙12章3節

「あなたがたは、弱り果てて意気そそうしないために、罪人らのこのような反抗を耐え忍んだかたのことを、思いみるべきである。」

著者は、反対に疲れ、あきらめそうになっていた信者たちに書いています。助言は、はるかに大きな敵意を耐え忍ばれたイエスを思いみることです。イエスを思うことは痛みを否定することではなく、魂が疲れたときに息を取り戻す方法です。 ヘブル人への手紙12章を全文で読む。

11. ローマ人への手紙8章18節

「わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。」

パウロはこの言葉を軽々しく書いたのではありません。彼自身が苦しんだのです。今の時の苦しみは、やがて現される栄光に比べると言うに足りないと結論します。このみことばは何も軽んじません。今日の痛みがあなたの物語の最後のページにならないよう、地平を広げてくれます。 ローマ人への手紙8章を全文で読む。

12. ペテロの第一の手紙5章10節

「あなたがたをキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、あなたがたをいやし、強め、力づけ、不動のものとして下さるであろう。」

ペテロは、苦しみ散らされた信者たちに語ります。その試練は永遠の視点から見ればしばらくのことであり、神ご自身が彼らをいやし、強め、力づけてくださると告げます。自分で自分を立て直す必要はありません。それは神がしてくださいます。 ペテロの第一の手紙5章を全文で読む。

再び勇気を出して続ける

13. ネヘミヤ記6章9節

「彼らはみな「彼らの手が弱って工事をやめるようになれば、工事は成就しないだろう」と考えて、われわれをおどそうとしたのである。しかし神よ、どうぞいまわたしの手を強めてください。」

ネヘミヤはエルサレムの城壁を再建していて、反対者たちは工事を止めさせようと彼をおどします。彼の反応は短い祈りでした。「どうぞいまわたしの手を強めてください」。落胆のさなかには、これほど単純な願いで十分であり、その願いは必ず聞かれます。 ネヘミヤ記6章を全文で読む。

14. ゼカリヤ書4章10節

「だれでも小さい事の日をいやしめた者は、ゼルバベルの手に、下げ振りのあるのを見て、喜ぶ。これらの七つのものは、あまねく全地を行き来する主の目である」。」

捕囚から戻って再建された神殿は、以前の神殿に比べてとても質素に見えました。神は問われます。「だれでも小さい事の日をいやしめた者は」喜ぶのではないか、と。小さく始まったものが小さいままとは限りません。神はすでに、ゼルバベルの手にある下げ振りを見て喜ばれます。 ゼカリヤ書4章を全文で読む。

15. ハガイ書2章4節

「主は言われる、ゼルバベルよ、勇気を出せ。ヨザダクの子、大祭司ヨシュアよ、勇気を出せ。主は言われる。この地のすべての民よ、勇気を出せ。働け。わたしはあなたがたと共にいると、万軍の主は言われる。」

ハガイは、神殿の工事を放ったままにしていた総督、大祭司、民全体に語ります。神は三度、勇気を出せと言い、さらに、働け、わたしはあなたがたと共にいる、と告げます。勇気は待っていれば湧く感情ではなく、神とともに踏み出す一歩です。 ハガイ書2章を全文で読む。

16. 歴代志下15章7節

「しかしあなたがたは勇気を出しなさい。手を弱くしてはならない。あなたがたのわざには報いがあるからです」。」

預言者アザリヤは、霊的な改革を前にしたアサ王にこの言葉を告げます。勇気を出し、手を弱くしてはならない、あなたのわざには報いがあるから、と。疲れていても誠実に行うことは、神のもとで決して報われないままにはなりません。 歴代志下15章を全文で読む。

すべてが不確かに見えるときも望みを持ち続ける

17. 哀歌3章21-23節

「しかし、わたしはこの事を心に思い起す。それゆえ、わたしは望みをいだく。 主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。 これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい。」

エレミヤはエルサレム崩壊後の廃墟の中で書いています。彼は、望みを与える真理を心の中で繰り返し思い起こそうとします。主のいつくしみは絶えることがなく、それは「朝ごとに新しく」なります。一日一日が、それぞれの恵みの分を運んできます。 哀歌3章を全文で読む。

18. 詩篇30篇5節

「その怒りはただつかのまで、その恵みはいのちのかぎり長いからである。夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る。」

ダビデは、神に導き出していただいた暗い時期を思い出します。神の怒りはつかのまで、その恵みはいのちのかぎり続くと気づきます。そして単純な絵でそれを語ります。「夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る」。夜は現実ですが、最終的なものではありません。 詩篇30篇を全文で読む。

19. ハバクク書3章17-18節

「いちじくの木は花咲かず、ぶどうの木は実らず、オリブの木の産はむなしくなり、田畑は食物を生ぜず、おりには羊が絶え、牛舎には牛がいなくなる。 しかし、わたしは主によって楽しみ、わが救の神によって喜ぶ。」

ハバククは完全な荒廃を描きます。収穫もなく、群れもいなくなります。すがるものは神のほかに何も残りません。彼の結論は意志の選択です。「しかし、わたしは主によって楽しみ」ます。聖書の喜びは、牛舎の状態に左右されません。 ハバクク書3章を全文で読む。

20. ローマ人への手紙15章13節

「どうか、望みの神が、信仰から来るあらゆる喜びと平安とを、あなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを、望みにあふれさせて下さるように。」

パウロは長い教えを、ローマの信者たちのための祈りで締めくくります。「望みの神」に向かい、聖霊によって喜びと平安で彼らを満たしてくださるよう願います。キリスト者の望みは、前向きに考える努力ではなく、受け取るものです。 ローマ人への手紙15章を全文で読む。

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よくある質問

落胆しているとき、どの聖書の言葉を読めばよいですか。

詩篇42篇5-6節は、落ち込みに言葉を与え、神に望みを置くよう招いてくれるのでおすすめです。コリント人への第二の手紙4章16節も助けになり、「わたしたちは落胆しない」と語ります。疲れ果てているなら、神がまずエリヤを食べさせる列王紀上19章の場面を読み返してください。

落胆は罪ですか。

いいえ、聖書は落胆を罪としては扱っていません。エリヤ、ダビデ、そしてモーセでさえ落ち込みを経験し、神は優しく彼らを起こされました。危険なのは落胆を感じることではなく、ひとりでそれに閉じこもることです。神に、そして信頼できる信者に打ち明けてください。

すべてをあきらめたいとき、どうすれば勇気を取り戻せますか。

小さなことから始めましょう。エリヤのように、食べ、眠り、外に出て空気を吸います。そしてネヘミヤのように、簡単な言葉で祈ります。「どうぞいまわたしの手を強めてください」。今日再開する行動は十ではなく一つだけ選び、一緒に祈ってくれる人に話してください。勇気は小さな段階を経て戻ってくることが多いのです。

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